第六話「勧誘」
「あっ。あっ。ちょ。ちょっと、待ってください。ぼ、ぼくがいったい、何をしたっていうんですか」
あまりに理不尽な宣告に、開いた口が塞がらない。
高神はそんなぼくの哀願を無視するように続けた。
「調査の結果、あなたは我が国の極秘プロジェクト〈人工全能計画〉の生き残りであることが判明したわ」
「じ、人工、何」
ぼくの頭脳の混沌は、もはや彼女の言葉を正確に解することすらも困難にした。
そのまま、高神はさらに続けた。
「あなたは国家の最高機密の塊。そして〈人工全能〉は世界の秩序を乱す危険因子。ひとり残らず、始末しなければならない。それが〈組織〉の意向」
抑揚のない声で淡々とそう言った彼女の眼は、もはや笑っていなかった。
「い、いったい何を言ってるんだ。あんたは。わけがわからない。アニメの見すぎじゃ」
突如がつん、と、左頬をハンマーで殴られたような衝撃が襲い、ぼくの視界の天地が反転した。
「言葉を
後藤が嫌悪感むき出しの顔でそう言い、地面にうつ伏せに倒れたぼくの頭を踏みつけた。
「やめなさい。後藤。まだ話の途中よ。彼を座らせなさい」
高神がそう命令すると、後藤は「わかりました」とぼくの
高神は、ふたたび穏やかな笑みを浮かべ、妙に優しい声で、こう言った。
「
「え」
ぼくは思わず声を
「私の管理下で生きるのなら、〈人工全能〉の件には眼を
「局長。それはリスクが。〈組織〉の意向に反します」
高神の背後にいた部下の後藤が、
「大丈夫よ。わかりやしないわ。幸い見かけは普通の少年。髪も黒く染めておけば完璧ね」
高神は後藤に親指を立ててウインクした。
「そういう問題ではありません。白金ヒヅルの二の舞いになると言っているのです」
「そんなこともあったわね。あの頃は私もまだ若かったわ。ふふふ」
説得が無駄であると悟ったのか、後藤は深くため息をついて頭をかかえ、「いつもこれだ」とつぶやいた。
高神は膝元でごろごろと
「あなたは特別な人間よ。朱井空くん。その才能は、扱い方次第で毒にも薬にもなる。野放しにしておけばリスクでしかないけれど、うまく活かせば国家に大きな利益をもたらす。あなたの正体を知ってしまった以上、我々はあなたを解放することはできなくなってしまった」
ぼくは現状に頭が未だ追いつかず、何も言えずにただ死にかけた金魚のように、口をぱくぱくさせていた。
「ぼ、ぼくがいったい何だというんですか」
「それはまた時間のあるときに追い追い話すわ。とにかく、あなたは普通の人間とはちがう。そしてその才能はまだ眠ったままよ。私がそれを引き出してあげるわ。お給料だってたくさん払うわよ。コンビニのバイトなんかじゃ百年かかっても稼げない大金が、あっという間に手に入る。幸い私の組織は人件費は有り余ってるの。ねえ。後藤」
後藤は眼鏡の端を指先でくいと押し上げ、「はい」と肯定、さらにこう付け加えた。
「社会保障も当然完備、医療費完全無料、さらに働き次第では国家特別功労年金、つまり国家に多大な貢献をした人間に対する特別な年金が支給されます。もちろん、そのぶん仕事の要求も高いですが」
思わぬ厚遇に、ぼくの心は揺らいだ。
就職に失敗し、コンビニの夜勤で細々と働いて来た身としては、その提案はとても魅力的だったのだ。世の中金がすべてではないが、金で解決できる問題が多いのも事実。たとえば……
「お金があれば、妹君には好きな高校、大学へ行かせてあげることだってできるわ。そうでしょう?」
高神はぼくの心の声を読みあげるように言った。
そうだ。
この女は父さんと母さんを殺した元締めかもしれないが、証拠は何もない。
それに今は死んでしまった両親のことよりも、ぼくたち兄妹の生活。何より星子の今後のことが重要だ。
ぼくは
高神の言うような特別な力がぼくにあったのなら、ぼくは星子をあの悲劇から救うことができたかもしれない。父さんと母さんだって。
圧倒的な暴力を前に、正しさなんて何の意味もなさない。善人が馬鹿を見るのは、本人の善性よりも弱さに起因することが多い。
ぼくは弱かったから、星子を救えなかった。
国家保安委員会といえば、アメリカでいえばCIA。エリートじゃないか。この女の下で働けば、ぼくはコンビニバイトなんていう底辺、薄暗いほら穴の底で一生を終えることなんかないのだ。
そこまで考え、ぼくは首を縦に振ろうとした。
が、踏みとどまった。
ちょっと待て。
いくら何でも話がうますぎやしないか。
そもそも、国家保安委員会の仕事とは何だろう。スパイまがいのことでもやらされるのだろうか。下手をしたら殺されるリスクがあるかもしれないし、何よりぼくにそんな大役が務まるのか。あるいは高給を餌に鉄砲玉のようなことをさせるつもりなのか。
眼の前のこの女を、信用していいのか?
そうぼくが自問していると、高神がにこやかに口を開いた。
「警戒、しているのね」
心の中を見透かされたような気がして、ぼくの心臓が跳躍した。
彼女には読心能力でもあるのだろうか?
「無理もないわ。あんな事件の直後だし、あなたを強引な手口でここまで連れてきてしまったのも事実。頭も混乱しているでしょうから、しばらく時間をあげる。その間に自分や妹君の今後について、よく考えなさい。これはチャンスよ。朱井くん。いい返事を期待しているわ」
高神がいつの間にか出口の向こう側にいた黒服の男二人に目配せすると。彼らは扉を開けて中へと入り、ぼくの細腕を野球グローブのようにごつい手で握りしめた。
独房に戻ると、また何もない一日が始まる。
ぼくはあれから、出口の見えない迷路を
ぼくは、どうすればいいのだろう。
高神の誘いを断ったら、ぼくは殺されるかもしれない。人工全能だとか国家機密だとか、そんなわけのわからないSF小説みたいな理由で殺されてはたまらない。こんな歳で死にたくないし、ぼくが死んだら誰が愛しい我が妹の面倒を見るというのか。
では高神の下で、国家保安委員会の職員として働くべきか。待遇もいい。
そう考えたところで、ぼくは首を横に振った。
ぼくは危険を冒して大金を掴みに行くようなタイプではない。どちらかといえば、細々と安全にのんびりと小金を稼ぎながら、人生を
星子の好意に対する歓喜と、安那子や警察、国家保安委員会の連中に対する憎悪、そして妹を救えなかった自分への情けなさが、同時にぼくの涙腺を突き動かした。
ちくしょう。何だよ人工全能って。SF小説じゃあるまいし。ぼくは血の通った人間だぞ。人を化物みたいに呼びやがって!
ぼくには平穏な人生を選択する権利、すなわち生存権や職業選択の自由といった最低限の人権すら存在しないのである。司法に関しては日本はまるで中世だと誰かが言っていたが、まったくその通りじゃないか!
これがすべて夢だったら、どんなに素晴らしいことか。眼が醒めて、星子が作ってくれた下手くそな目玉焼きとまん丸のおにぎりを食べて、女装で仕事して男性客や店長をたぶらかして遊ぶ。今まで当たり前のようにあった日常こそが楽園だったのだ、と、ぼくは痛感した。
家に帰りたい。
母さん。なぜあなたは死んでしまったのか。
考えれば考えるほど、絶望の断崖へと追いやられていく。そんないまのぼくに、現状を打破するためのアイデア(たとえば脱獄の方法)など浮かぶはずもなかった。まあ厳重警備の国家保安委員会本部から、ぼくみたいな何の訓練も受けてない一般ピーポーが無事に脱出できる可能性はゼロに等しいだろうが。
失意のどん底にあったぼくは食事もまともに喉を通らず、ただ独房の冷たいコンクリの上で、団子虫のように丸まって、
それでも地球は回り、日は東から西へと赴く中、ぼくの時だけが止まっていた。徐々に赤みを帯びた夕日が窓の外のビル街を彩っていくが、今のぼくには何も感じられなかった。
そして日も暮れ、夜が来ると、国家保安委員会
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