第六十六話「彼氏」
結局ぼくは
失恋した
「しかし、前から思ってたんだけどね、
ぼくの指摘に意表を突かれたのか、
「でも。ヒデル様はワタシのご主人様なので、最上級の敬意を払って呼ぶべきと思う。組織の皆々様が、あの御方を〈偉大なる太陽〉〈ヒヅル様〉と呼ぶように」
ようやく日本語での会話に慣れてはきたものの、
「うーん。それなら言葉遣いも」
「まあ別にいいじゃん、兄貴。細かいことは気にしなくても。それはそれで可愛いと思うし。ね、
ぼくが唸っていると、通路の反対側の席に座っていた
「えへへ。そうでしょ」
相も変わらずこの兄と同居している我が妹星子も、新たに使用人として配属された
「で、宗一郎君といったか。星子は当然として、なぜ君までついてくるのかね」
ぼくは頭を抱えて言った。
「まあまあ。お
星子の隣の窓側の席で、肩口あたりまで伸びた茶髪にピアスといういかにも今風の細身の男が、あからさまな作り笑顔でぼくに手を振っていた。
「君にお
「ま、まあまあまあまあ。そんなこと言わずに。ほら、星子。黙ってないでナントカ言ってくれよ」
露骨に眉を
「んー。まあ、兄貴けっこう気難しいからね。気長にいくしかないんじゃないかな」
「まいったなあ」
星子に突き放された宗一郎は、頭を掻きながら気まずそうに視線を
そもそも今回の小旅行は、仕事の息抜きとしてひとりで北海道の大自然の中でのんびりと過ごし、さらに北朝鮮から帰国してまだ一度も会ってないネオ夕張在住のアルマに顔を見せに行こうと思っていたのだが、
羽田から新千歳空港までは二時間弱を要した。ぼくたちは空港を出ると、すぐ近くにあったレンタカーショップにて白の日産リーフを借りた。先日冬のボーナスで買った純白のブガッティ・シロン(三億円)で北の大地を走るのもよかったが、生憎二人乗りであった。新型日産リーフはガソリンを一切使わない新型の電気自動車だが、〈
アルマのいる工業都市ネオ夕張までは約五十キロメートル。北海道では隣町へ行くのに何十キロメートルという山道を走るなんてざらで、車はまさに生活必需品と言っていい。自動車税完全撤廃という偉大なる姉さんのお心遣いの賜物か、街のあちこちで新型の電気自動車を見かける。ネオ夕張は白金グループが巨大な工業都市を築いたおかげで景気もよく、もはや夕張市が
しばらく山道を進んでいると、まるで豚の大群が一斉に
前に割りこんできた二台のバイクが急に減速し、仕方なくぼくは車を路肩に止めた。一瞬アクセルを踏みこんで
いくら日本が〈
常習的犯罪者に更生の余地などない。聖職者や法律家がいくら道徳を説いても彼らを改心させるなどできはしない。屑はいつまで経っても屑だ。連中を巨額の税金で飼育するくらいなら、体罰を復活させるべきである。盗みの常習犯は盗みを働く手を、性犯罪者は性器を切り捨ててしまえばよい。いや、生きてても害にしかならぬ根源的犯罪者は速やかに死刑にするのが世の中の善良なる臣民たちのためである。
ぼくが無意識に汚物を見るような眼で連中を見下していると、
「行こう。ヒデル様。関わっちゃだめ」
特に怯える様子もなく、
「おい待てよ。お嬢ちゃん」
にやけ面をしたモヒカン頭の
「ひゅーひゅー。お嬢ちゃんたち。こんな平日の真っ昼間からデエトかい」
「なまら可愛いべや」
「んなもやしみたいに細っこいやつらなんてほっといてさ、お兄さんたちとちょっと遊んでいかないかい。いっひっひ」
「何こいつら。うざ」
星子が嫌悪感剥き出しの顔でぼやいた。そんな我が妹とは対照的に、宗一郎の顔は完全に青ざめ、その
いくら世のため人のためとは言え、ぼくが先に手を出して社会の屑どもにこの場で正義の鉄槌を下せば暴行罪および傷害罪、向こうから手を出してきても殺してしまえば過剰防衛。まったく我が国の司法ときたら、犯罪者を保護しているようなものである。ぼくたち白金機関が命を賭して勝ち得た平和と繁栄の上に、
しかし臣民の模範たる国家公務員、それも国家統合情報局秘密情報部副主任であるぼくが、進んで法を犯すわけにもいくまい。ここは法の番人に任せるとしよう。
ぼくはポケットの中からスマートフォンを取り出し、日本国内モデルの全機種に実装されている緊急通報アプリを起動した。するとGPS情報がただちに警察のサーバーに送られ、街の至るところに仕掛けられた顔認識監視カメラが瞬時にこちらを向き、人工知能
「くそ。お巡りを呼びやがった。逃げるぞ」
チンピラたちは
十秒ほどすると飛行単車に乗った警官たちが駈けつけ、ネットランチャーを発射、一瞬でチンピラたちを捕獲してしまった。
「恐喝の現行犯で逮捕する」
網の中に押しこめられたチンピラたちは漁獲された魚のようにじたばたともがきながら、飛行単車に吊り下げられ、警察署に連行されていった。しかし警察の力が大幅に強化され犯罪検挙率が急上昇した影響で、今度は裁判所や刑務所の不足が問題視されている。早いところ常習的犯罪者強制死刑法案を可決していただきたいものである。
星子と宗一郎の仲はぼくが思っていた以上に良く、観光地へ行っては一緒にはしゃぎ、あちらこちらで写真を撮るなどしていた。その姿は誰が見ても仲睦まじい若いカップルであった。もう星子も二十二。男がいたっておかしなことではないし、それに関して兄としてどうこう言うつもりはない。しかし……
「ちょっと宗。やめてよ、こんなところで。兄貴たちも見てるじゃん」
「よいではないか。よいではないか」
この宗一郎という男、人眼を
星子が宗一郎を完全に拒絶するわけでもなく、仕方ないなと不承不承受け入れていたのも、ぼくの憤怒の火に油を注いだ。が、星子と
すっかり日も暮れ、ぼくたち一行は予約しておいたネオ夕張の温泉旅館に辿り着いた。
「お
ぼくは無言で宗一郎の
宗一郎は肺を圧迫され「かは」と息を洩らし、何が起きたのかわからない、何故こんなことをするのか、と言わんばかりに、
「てめえ調子に乗ってんじゃねえぞ」
ぼくは低い声でチンピラ・ヤクザの如くメンチを切り、宗一郎を威圧した。
「な、何をするんだよう。警察を呼ぶぞ」
不意を突かれた宗一郎は、動揺を悟られまい、負けまいと必死に虚勢を張り、ぼくを睨み返した。
「警察なんて来ねえよ。ほれ、お前のスマホ」
ぼくの左手には宗一郎のスマートフォンが握られていた。先ほど彼を壁に叩きつけた際に失敬したのだ。
「か、返せ」
宗一郎がスマホに手を伸ばすと、ぼくはすかさず彼の隙だらけのボディに一発、強烈なパンチを叩きこんだ。
「おごえ」
いきなり
何と脆弱なやつか。こんな男に星子を守れるとは到底思えない。
「立てよ。弱虫」
ぼくはありったけの憎悪と軽蔑をこめ、宗一郎を見下し、罵った。
「星子に近づいた理由は何だ。〈俺たち〉に近づくために星子を利用したのか」
宗一郎の髪をひっ掴んで尋問を始めると、彼はすぐさま怯えた表情で首を何回も横に振った。なおぼくの一人称が変わっているのは宗一郎を尋問するために必要な演技である。相手を威圧する時までかまととぶった〈ぼく〉では迫力に欠ける。
「な、何の話だよお。何も知らねえよお。勘弁してくれ」
実はぼくは、宗一郎が敵のスパイかもしれない、と、疑っている。
この男、何となく臭うのだ。
根拠はまったくない、単なるぼくの勘なのだが。
もし宗一郎が白であったとしても、こんな軟弱な現代人代表のような男に、星子の身を任せることはできない。ここでひとつ、骨のあるところを見せてもらわねば、星子を嫁にやることなど到底承認できない。この白金ヒデルの
やはり星子の夫となる者は、命に代えてでも星子を守り抜く戦士でなければならない。
ぼくや姉さんが全面的に信頼できる、勇ましく
林道の奥に使われてなさそうな廃屋がある。ちょうどいい。
「とぼける気か。面白い。化けの皮が剥がれるまで、徹底的に可愛がってやるぞ」
ぼくはわざと隙のあるゆっくりとした動作で、十センチ以上も背の高い宗一郎の首根っこをぐわしと掴み、無理矢理立たせた。
宗一郎の脚は苦痛と恐怖でがくがくと震え、小便をちびっていた。
「やめて。よして。やめて。い、命だけは、お、お助けください。ぼ、ぼくはただ。星子、星子さんのこと、ひと眼見た時から、すす、好きで。ただ彼女と一緒にいたくて。り、利用なんかしてないんですよお。信じてくださいよお。うわーん」
とうとう宗一郎は眼尻から涙をぼろぼろと流し、命乞いを始めた。
この男、あまりにみっともなさすぎる。
きっとぼくが命じれば、豚の真似でも何でもするだろう。
こんな情けない男がヘリオスの工作員とは到底思えない。いや、そう決めつけるのは早計か。演技でやっているのだとしたら大した役者である。
すっかり日も暮れ、血のように赤い新月が禍々しい光を放っている濃紺の空の下で、ぼくは廃屋の中に宗一郎を引きずりこみ、小一時間ほど語りあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます