第七十二話「逢瀬」

 ぼくが鷹条宮美たかじょうみやび奪還任務を引き受けてから二日後の朝。宮美の捜索は、意外な形で打ち切られることとなった。

 宮美からぼく宛に、一通のメールが届いていたのだ。

『拝啓。梅雨寒の毎日ですが、ご壮健でお過ごしでいらっしゃいますか(中略)お久しぶりです。ふたりきりでお会いして、お話ししたいことがあります。大事なお話です。明後日の夜九時、韓国ソウル・ロッティホテルの前でお待ちしております。追伸・お姉さんにはくれぐれもご内密に』

 ふたりきりで、か。この改まった文体は宮美のメールの特徴だが、十中八九ヘリオスの罠だろう。我が国の事実上の属国と化した北朝鮮と違い、韓国は未だ在韓米軍擁する敵地アウェーだ。リスクは決して低くない。だが宮美は聡明かつ警戒心が強い。日本や別の第三国で会おうと提案しても、受け入れることはないだろう。


 翌日の二〇一八年六月十四日昼、ぼくは飛行機で韓国ソウルへ飛んだ。二時間半ほどのフライトを終え、ロッティホテルの場所も確認し、予約も済ませておいた。受付嬢に宮美が宿泊しているかどうか訊ねてみたが、答えはノーだった。宮美との会合は明日の夜九時。ヘリオスの連中が張っている可能性を考慮し、逃走経路の確認など下準備を進めていく。ホテルの周囲も少し散策してみたが、特に怪しいものは見つからなかった。

 そして十五日の夜八時五十分ごろ、ロッティホテル入口前に宮美とおぼしき女性がやってきたのを、ぼくはホテル内の部屋から確認した。ヘリオスの狙撃兵が宮美ごとぼくを狙撃してくる可能性も考慮し、ぼくはホテルの中から宮美に電話をかけ、ロビーへと誘導した。

「久しぶりだね、宮美。相変わらず……いや、しばらく見ないうちにますます美しくなった」

 お決まりの爽やか美男子微笑イケメンスマイルを浮かべてぼくはそう言い、懐から取り出した一輪の薔薇スムース・ベルベットを、差し出した。

 そんなぼくの気障きざったらしい仕草に、宮美はわずかに頬を赤らめ、顔を背けた。

「お久しぶりです。ヒデルさん。あなたの方こそ……相変わらずですね」

「ここで話すのもなんだから、ちょっとドライブでもしようか。車を借りておいたんだ」

 有無を言わさず、ぼくは宮美の肩に手を回し、提案した。彼女の背後にヘリオスがいる以上、ぼくが主導権を握らなければならない。宮美は相変わらず頬を赤らめたまま何も言わず首肯した。

 ぼくは宮美とともにホテルの敷地内の駐車場へと移動し、予めレンタルしておいたヒュンダイ・ジェネシスに乗りこむと、そのままソウルを離れ、郊外へ向けて走り出した。進行方向、郊外に点在する山々の上空、雲ひとつない漆黒の夜空に浮かぶ鮮血の如くあかく毒々しい新月が、ぼくたちを死地へといざなっているようだった。

「君の方から連絡してくれて嬉しいよ。ぜひ会って話したいと思っていたんだ。電話もメールも通じないから、愛想を尽かされてしまったのかと」

「あの。どこへ向かっているんですか」

 運転しながら軽口をたたくぼくを無視して、宮美は真顔で訊ねた。段々と人気のないところへ向かっていることに不安を覚えたのだろう。

「気になるかい」

 ぼくが笑顔を崩さずにそう言うと、宮美は緊張した面持ちのまま頷いた。

「ぼくにとって、ここは敵地アウェーだからね。〈話しあい〉はなるべく邪魔の入らないところでしたいんだ」

「話なら、ここでいたします」

 宮美がやや語調を強めてそう言った。

「学業の方はどうだい。相変わらずトップ争いをしていると聞いているが」

「概ね順調です」宮美は即答した。

「星子のやつ、最近彼氏ができたらしいんだ。七五三田宗一郎しめたそういちろう君っていうんだけど、どうにも頼りない男でね。星子を任せるにはちょっと心許ないんだ、兄として。君は彼に会ったことはあるかな」

「ありません」宮美は即答した。

「お仕事の方は」

「概ね順調です」宮美はぼくの質問を遮り、即答した。

「恋人とかは」

「いません。そんな話をしにわざわざここまで来たわけではないでしょう。車を止めてください」宮美の口調が、段々鋭くなっていく。

「つれないなあ。もうちょっとドライブを楽しもうよ」

「止めてください」


 ぼくの蟀谷こめかみに、冷たい〈何か〉が突きつけられた。


 宮美が懐から小型の自動拳銃を取り出し、ぼくに向けていたのだ。

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