第二十六話「勲章」

 一瞬の出来事だった。

 姉さんが、飛んだ。

 ヘリから、ものすごい勢いで、真下へ。

 ぼくと宮美みやびの眼前をすれすれで通過し、地面に向かって落ちていく星子せいこを、追った。


 がし。

 

 姉さんは星子を左腕一本で捕まえると、瞬時に背負っていたパラシュートを、開いた。

 パラシュートでの降下訓練は、ぼくもフランスで空挺部隊の訓練に参加した時に経験した。空挺部隊の降下訓練では飛行機の高度は最低でも三百メートル以上が普通であり、それより低いとパラシュートでの減速が充分に行えず、地面に激突してしまう。しかしパラシュートにも色々な物があり、中にはその半分以下の高度でも降下できるものがあるらしい。

 姉さんは星子をお姫様抱っこしたまま、優雅に地面へと着地した。

「すごい」宮美が感嘆の声をあげた。

 直後、歓声が湧き起こった。

 下にいる民衆たちが、姉さんの超人的な救出劇を見ていたのだろう。

 姉さんが、本当に奇跡を起こしてくれた。

 もう絶対に助からないと思っていた星子を、救ってくれた。

「ふえ」

 星子が助かったことで緊張の糸が緩んだのか、ぼくの眼から涙があふれ、止まらなくなった。

「よかった。星子さん」

 ぼくの感情が伝染したのか、宮美がぼくにしがみついたままもらい泣きしていた。

 姉さんなら、この争いだらけの悲惨な世界を変え、本当に〈完全世界〉を築きあげることができるだろう。

 そしてその〈完全世界〉に君臨するに、相応しい御方。

 ヒヅル姉さん……いや、偉大なる我らが人類の太陽、白金ヒヅル様、万歳。

 ぼくは心の中で、改めて姉さんへの忠誠を誓った。


 ぼくたちをぶら下げたヘリはすぐに浮上し、近くにあった病院のヘリポートに不時着した。

 ぼくたちは、助かったのだ。

 脚の骨が粉々になってしまった星子は、白金機関の車によって白金グループ傘下の病院へ搬送され、治るまでに半年以上かかると診断された。もしかしたら後遺症が残ったり、最悪車椅子生活を覚悟しなければならないと医師に言われたが、とりあえず死なずに済んでよかったというのが正直なところだった。

 そして命を救われたせいか、以後星子はヒヅル姉さんを「お姉ちゃん」と呼び、この兄と同様に慕うようになっていた。星子は以前から姉さんに対して怯えと不信感を抱いており、ぼくの悩みの種だった。ふたりともぼくにとっては大切な〈家族〉なのだから、仲良くしてほしい、どうやってふたりの間にある壁を取っ払ってやろうか、と、日々策謀を練っていたくらいだ。

 ぼくも同病院で頭の傷と、いつの間にか血まみれになっていた左足を診てもらったが、こちらはおとなしくしていれば勝手に治るとのことだった。


 日本一の超高層ビルだった白金タワーに飛行機が衝突した、という、この日本中を震撼しんかんさせた衝撃的なテロ事件は、十一月九日に発生したことから〈一一九いちいちきゅうテロ〉と呼ばれ、日本はおろか、世界の歴史に刻まれることなった。

 助けられなかった人々の顔が、ぼくの脳裏に焼きついて離れなかった。

 星子と宮美を救出するために仕方がなかったとは言え、ぼくは彼らを見殺しにしたのだ。

 いや、姉さんが星子を助けてくれなかったら、ぼくは星子すら見殺しにしていただろう。

 御菩薩池みぞろげの地獄の特訓、海外の精鋭部隊の苛酷かこくな訓練にも耐え抜いてきたぼくの自信とプライドは、もはやボロボロだった。

 こんなことじゃ、安那子あなごに犯される星子をただ黙って見ているしかなかった、あの時の情けないぼくのままじゃないか!

 不甲斐ない自分を脱ぎ捨てたい。

 姉さんのように完璧な、本物の〈人工全能〉でありたい。

 強くなりたい。

 力が、ほしい。


 事件から五日後。警察によるテロ事件の調査結果が公表された。白金タワーに突っ込んだのは全日本航空18便、成田発パリ行きのボーイング747。五百人以上もの人間を乗せた、大型の旅客機だった。それが衝突の三十分前にハイジャックされ、進路を変えてこちらへ突っこんだらしい。警察の発表によると、犯人は国際テロ組織エルカイダで、彼らも実際に犯行声明を出しているが、背後では秘密結社ヘリオスが関与している、と、ぼくも姉さんも見ている。

 ヘリオスに楯突いた制裁のつもりか。あるいは宮美を姉さんやぼくたちごと抹殺しようと企んだのか。真相は未だ闇の中だ。

 ぼくたちは今、白金グループの保有する都内のオフィスビルのひとつにいる(なお、白金グループの所有するビルは都内だけで三十以上ある)。そこのホールで、今回のテロ事件での犠牲者たちを追悼する集会が開かれていた。すでにたくさんの花が供えられた大きな献花台の前で、姉さんは深々と一礼し、手に持っていた花束を、供えた。

「白金タワー内で逃げ遅れた人々、飛行機内にいたクルーや乗客たち、そして彼らを救助するために犠牲となった消防士やレスキュー隊の方々。総勢千四百二十八名に、白金グループを代表し、心から哀悼あいとうの意を捧げます。黙祷もくとう

 一分間の黙祷の後、姉さんは平静を装ってはいたが、かつてないほど、異常とも言えるほどに姉さんが怒りに染まっているのが、ぼくには容易にわかった。

「これがヘリオスのやり方です。今回のテロは、エルカイダによる自爆テロと報道されましたが、ヘリオスは世界中にネットワークを持っています。メディアや警察を操り、エルカイダの仕業に見せかけることも、実際にエルカイダにテロを実行させることも自由自在。私はこの場で誓います。必ずや真犯人を突き止め、然るべき裁きを下すことを。そして二度とこのような悲劇が起こらない、すべての人々が安心して暮らせる〈完全世界〉を作りあげることを。そのためには、皆さんの力が必要です。私とともに戦ってください。この終わりなき地獄に、終止符を打つのです!」

 姉さんの猛烈なまでの怒りが伝播でんぱしたように、その場にいたほぼ全員がときの声を張りあげた。

 同志たちの怒りの声で集会は二分ほど中断していたが、姉さんが右手をかざして静粛を促すと、徐々に場が静まりかえっていった。

「さて。本日皆さんにここに集まっていただいたのは、犠牲者たちを追悼するのももちろんですが、もうひとつ、我々白金グループを勝利へと導く偉大な功績をあげた者たちを称えるためでもあります」

 姉さんが右手を大きく横へ伸ばしたその先には、ふたつの人影があった。

「雲母。ティキ。こちらへ」

 姉さんが招くと、雲母とティキのふたりが壇上へと上がり、会場はどよめいた。

「彼女たちは見事我々の敵、鷹条内閣総理大臣が国際テロ組織エルカイダと密接に関わっていたことを示す決定的な証拠を、入手したのです。これでカードはすべて揃った。白金タワーが崩落し、後方支援が途絶えたにも関わらず、不屈の闘志と勇気で任務を成功させた。我々を勝利へと導いたふたりの英雄に、この私白金ヒヅルは心から敬意を表し、最高の栄誉である黎明白金勲章れいめいしろがねくんしょうを、授与します」

 姉さんは献花台の脇のテーブルの上にあった赤いふたつの箱を開けると、中から白く輝く白金プラチナ製の太陽のメダルを取りだした。

「ありがとうございます」姉さんから勲章を受け取った雲母が、姉さんに頭を下げた。

「ありがたき幸せ」同じく勲章を受け取ったティキも、深々と姉さんに頭を下げた。

 黎明白金勲章は、白金グループに多大な貢献をした英雄たちに送られる最高の勲章だった。

 そう、白金タワーに飛行機が突っこみ、アルマの虫ドローンがまったく使い物にならなくなったにも関わらず、雲母とティキは作戦を継続し、在シリア日本大使館へと潜入。国際テロ組織エルカイダの司令官ウサム・ビンラディンと、秘密結社ヘリオスの幹部でもある鷹条内閣総理大臣、そしてアメリカ政財界の大物であり、同じくヘリオスの幹部ジョージ・マクレーン。彼らの密会の一部始終を、虫ドローンに仕込まれた超小型カメラを使って、すべて録画してきたのだった。

 姉さんの言う通り、これで日本転覆のための手札カードはすべて揃った。

 あとは宮美の協力を得るのみ。


 雲母きららとティキが持ち帰った映像を見て、自分の父親が国際テロ組織エルカイダの司令官と密会していたことを知った宮美みやびは、さすがに大きな衝撃を受けたようで、しばらく言葉を失っていた。何と言っても、そのエルカイダが先日白金タワーにジャンボ機を突入させ、千四百人以上を殺した実行犯だったのだから(映像には今回の一一九テロを匂わせる発言もあり、宮美の父である鷹条総理の関与はほぼ確実となった)。

「あの人なら……やりかねません。あの人は、目的達成のためなら何でもやる人ですから」

「宮美さん。これは、君のお父さんを失脚させるための切り札だ。が、それをより確実に成功させるには、君の協力が必要なんだ。わかるかい。告発するのが君なのか、それとも敵であるぼくたちの中の誰かなのか、では、説得力がまるで違う。前回は文冬ぶんとうという一週刊誌のみだったが、今度はインターネット、そして全世界のメディアだ。情報発信力も桁違いだし、ぼくたちが総力を上げて君を守る。約束する」

 宮美の肩に手を置き、ぼくは彼女の説得を試みていた。

「お父さんを、まだ止めたいかい」

 ぼくの問いに、宮美は震えながら、頷いた。

「はい」

 宮美の決意は固いようだった。

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