第五十五話「首脳会談」

 姉さんの訪朝は、四十八時間を待たずに行われた。

 一般人になりすまし、私服の護衛を数名連れて中国国境から陸路で北朝鮮入りした……のは実は影武者で、本物は大仏おさらぎたちとともに、白金機関が極秘に保有する最新鋭のステルス潜水艦・コードネーム〈なぎ〉に乗って北朝鮮入りした。ぼくは真茶まさと一緒に日朝首脳会談の〈仕込み〉を行うため、先に平壌ピョンヤンへ潜入した。

 今回の姉さんと金暻秀キム・ギョンスの会談は、無論非公式なものである。姉さんは日本の実質的な支配者だが、表向きの素性は多国籍コングロマリット・白金グループの総帥だ。金暻秀キム・ギョンスにはあくまで日本の首領としてではなく、白金グループ総帥として個人的に核開発を援助する、という体裁をとっている。これも極秘事項であるが。

 ぼくは平壌ピョンヤンで姉さんと合流した。会談は朝鮮共産党本部ビルの最上階にある金暻秀キム・ギョンスの部屋で行われた。なお、ぼくは姉さんの護衛としての同行を許可された。

 室内は緊迫した雰囲気に包まれていた。

「我が朝鮮へようこそ。白金ヒヅルよ。遠路はるばるよく来たな。歓迎するぞ」

 鎌と槌と星が合わさった朝鮮共産党のマークが中央に彫られた黒い木製の机の奥に、肩まで届く長髪を真ん中できれいに分けた体格のいい美青年が、足を組んで座っていた。

 彼こそが北朝鮮の最高指導者、金暻秀キム・ギョンス

 核・ミサイル開発の全面的な支援者、言うなれば恩人である姉さんに対する彼の不遜な態度に、ぼくは激しいいきどおりを覚えた。金暻秀キム・ギョンスの背後では黒スーツにサングラスといった出立ちの体格のいい男がふたり、こちらに睨みをきかせていた。

「我々は貴国の核・ミサイル開発に全面的に貢献しました。貴国の核戦力を完成させ、安全保障を確固たるものにした。その見返りとしては、今回の件はあまりに礼を失しているのではありませんか。キム委員長。理由ワケを、お聞かせいただけますか」

 白金グループの技術者五人を人質に取られているにもかかわらず、姉さんは毅然とした態度で金暻秀キム・ギョンスを問いただした。彼女の眼は先ほどから笑っていない。

「ふん。とぼけおって、女狐が」

 金暻秀キム・ギョンス拳槌けんついでがつんと机をたたき、姉さんを威嚇いかくした。その姿と振舞いは、一国の元首というよりはマフィアのボスという感じであった。

「貴様らが裏でこそこそと小賢しい真似をしていたのは知っているぞ。今日はそのことについて、徹底的に問いつめてやろうと思ってな」

 金暻秀キム・ギョンスは無礼にも姉さんを指差して糾弾した。キムの剣幕に動じることなく、姉さんは静かにこう切り返した。

「あなたの最大仮想敵国は我々ではないはずですよ。キム委員長。我々には共通の敵が存在する。利害は一致しています。ここで仲違なかたがいをしては、敵……ヘリオスの思うツボですわ」

「では、貴公は我らに全てを包み隠さず伝えるべきだった。そうではないか」

「仰る意味がわかりかねますが」

「ふん。どこまでもしらを切るつもりか。言っておくが、俺は貴様の企みなど全てお見通しだ。貴様の送りこんだ密偵が〈反乱軍〉と接触していた様子を、我が忠実なる部下が押さえていたのだ。見よ」

 金暻秀キム・ギョンスが背後にいた護衛の男にあごで指示を出すと、男は速やかに機敏な動きで机の上に置いてあったリモコンを拾いあげ、操作した。部屋の壁に設置された巨大な液晶テレビの電源が入り、ある映像が映し出された。

 ぼくは、その映像を見てぎくりとした。

 それはぼくたちが北朝鮮入りして間もない頃、平壌ピョンヤン千里馬チョンリマ部隊と一戦交えた時の映像であった。おそらく宋赫ソン・ヒョクの乗っていた軍用ジープに搭載されていたドライブレコーダーの映像だろう。

彼奴きゃつらは、朝鮮人民データベース上の誰とも一致しなかった。我が国の民ではない。貴様の送りこんだスパイであろう」

 姉さんは、ぼくの映像を見せつけられても眉ひとつ動かさなかった(なお、現在ぼくと真茶は変装によって別人の姿となっている)。

「ほゝゝ。憶測で物を言ってはいけませんね。キム委員長。何か根拠があってそう仰るのですか」

 姉さんは懐から扇子を取り出し、口もとを隠して妖しく微笑んだ。姉さんにしては地味な、黒を基調とした夜桜と、その周囲を飛び交う無数の蝶が描かれた扇子であった。

「我が忠実なる下僕しもべの報告によれば、彼奴らは日本語で会話していたという」

「なるほど。しかし我々の一員ではありませんね。密輸業者か何かでは」

「ふん。話にならんな」

 金暻秀キム・ギョンスが露骨に顔をしかめた。

「最近の党幹部の謎の失踪も貴様の差金だろう。どいつもこいつも反日派の連中ばかりだ。親日派の者たちに権力を握らせ、我が朝鮮を日本の属国とし、所有する核ミサイルをすべて支配下に置く。そうすれば、日本は核開発の汚名を着ることなく核武装できる。それが貴様の真の狙いだろう。だが残念だったな。貴様の誤算は、この俺を甘く見過ぎたことだ」

 金暻秀キム・ギョンスは机の引出しから〈ある物〉を、取り出した。

 ……それは、黒と黄の警戒色に彩られた、不気味なボタンだった。

 数秒後の未来を予見したのか、常に沈着冷静だった姉さんの顔が、強張こわばった。


「この金暻秀キム・ギョンスたばかった報い、百万の日本人の死をもってあがなってもらおう」


「待ってくださ」

 姉さんの制止を無視し、金暻秀キム・ギョンスは、冷酷にも核ミサイルの発射ボタンを押した。

 液晶画面に映しだされたミサイルが、激しい轟音ごうおんとともに火を噴き、日本へ向けて、発射された。

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