第七十九話「二択」

 先天性色素欠乏症アルビノのように白い肌に、神秘的な黄金のふたつの瞳。そして何より印象的なのが、その白く美しい髪を束ねる黄金の太陽を模した大きな髪飾り。

 白金機関総帥であり、ぼくの姉でもある白金ヒヅルが、黒服の護衛ふたりを率いてサリーの部屋に入ってきた。

 護衛のひとり、二メートル近いカマキリのような顔立ちをしたアジア系の大男が、テーブル中央の椅子を引き、白金ヒヅルは着席した。そしてもうひとり、カピパラみたいな顔のずんぐりむっくりしたアフリカ系の女が、サングラスの奥から鋭い視線をぼくに向けてきた。が、そんなことはどうでもよく――


 どういうわけか、ぼくは白金ヒヅルに、奇妙な懐かしさ、もっと言えば、安堵感のようなものを、感じていた。


 サリーの話では白金ヒヅルも昔は秘密結社ヘリオスのエージェントだったらしいが、昔の彼女とぼくは仲睦まじい姉弟きょうだいだったのではないだろうか。真相はわからないが、そんな気がした。

「遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。白金ヒヅルさん。初めまして。私は〈ミラクル・オラクル〉理事長にして当〈リリカル・マジカル・キャッスル〉城主、サリー・ブラックメロンです」サリーが黒い薔薇ばらの咲き誇る鍔広帽子キャペリンを取り、深々と一礼した。

「初めまして。サリー・ブラックメロンさん。白金グループ会長、白金ヒヅルです。以後お見知り置きを」白金ヒヅルも同様にサリーに一礼した。彼女は表向きは一企業グループの会長であり(といっても、日本の経済圏の四割以上を支配する巨大グループだが)、政治家でもなければ官僚でもないのだが、その実態は大嶽克典おおたけかつのり日本国総理大臣を裏から操る影の総理……いや、〈日本国総統〉である。

「あなたは私の尊敬する憧れの人です。白金ヒヅルさん。わずか十数年で世界有数の財閥を築き、没落必至と言われていた日本経済を再興させてしまった。あなたこそが日本復活の真の立役者であると、私は思っています。同じ経営者として、ぜひ見習いたい」サリーは無垢な少女の如き笑みで白金ヒヅルに歩み寄り、握手を求めた。

 ぼくの全身に緊張が走った。かつて秘密結社ヘリオスのエージェントであった白金ヒヅルは、言うなれば百戦錬磨のつわものだ。サリーのような戦の素人を一瞬で仕留めることなど造作もないだろう。

 ヒヅルが少しでもおかしな動きをしたら最後、サリーがられる前に、ぼくがヒヅルを殺るしかない!

 しかしヒヅルはにこやかに微笑み、サリーの手をとった。

わたくしもあなたのご高名と、ミラクル・オラクル財団が行ってきた慈善事業の数々は存じています。サリー・ブラックメロンさん。私も、ぜひあなたに一度お会いしてみたいと思っていました。より良い世界を築くために、我々はこうして手を取りあうべきだったのです」

 とうとうふたりはそのまま抱きあい、互いの頬に口づけをした。

「白金ヒヅルさん。私とお友達になっていただけませんか? きっと私たち、生涯の友になれると思うわ」

「ええ。私も実は同じことを考えていたのですよ。サリー。あなたほど魂の共鳴する人と出会ったのは初めてですわ。今日は何と素晴らしい日でしょう」

「うふゝゝゝ」

「おほゝゝゝ」

 そんな和やかなやりとりの裏で、互いの腹を探りあい、隙あらば出し抜こうと計略を巡らせているのが、ぼくには何となく肌でわかった。

 会談は人数に不釣りあいなほど広い、狭く見積もっても五百平米はある大食堂で行われた。サリーとヒヅルはもちろん、ぼくやヒヅルの護衛たちにも豪華な高級料理の数々が振舞われた。ヒヅルが食事を口にする前に、左隣にいたカピパラのようなアフリカ女がひと口毒見していたが、何事もなかった。当然だ。サリーがそんな姑息な真似をするはずがない。

 サリーとヒヅルのふたりは、しばらく当たり障りのない世間話や、互いの身の上話をして時間を過ごした。サリーはヒヅルに心を許したのか、矢継ぎ早に自分のことを語っていた。ブラックメロン家の四女として何不自由なく暮らしてきたこと、自身の財団ミラクル・オラクルの活動を通して見てきた世界の現状。それを変えるために今自分に何ができるのか、そして実際に何をしてきたのか。過去にマイクという名の恋人がいたこと(そして現在は故人。何でもサリーの政敵が雇った殺し屋に撃たれて死んだらしい)、などなど。ヒヅルもここ十数年のIT革命に乗じて短期間で巨万の富を築いた逸話や、白金グループの理念なども語り、それはそれで興味深い話であったがここでは割愛する。気になったのは、ヒヅルには生き別れの弟がいて、現在も捜索中であるということ。ヒヅルがぼくに気づいた様子はなかったし、サリーもぼくのことについては一切触れなかった。が、自分によく似た顔の男が眼の前にいるというのに、白金機関総帥ともあろう者が気づかないものだろうか。実はヒヅルはぼくの存在に気づいていて、敢えて無視しているのだろうか。そんな疑問がぼくの脳裏をよぎった。

「さて。ここからが本題なのだけれど。聞いてもらえるかしら? ヒヅル」

 サリーがふたたびあどけない少女の笑みでそう切り出すと、ヒヅルは温和な笑みを保ったまま「どうぞ」と言った。

「日本が主導する〈世界平和連合〉。国境なき平和な世界を築こうというその理念は、とても素晴らしいと思うの。そこで、ぜひ我がアメリカも世界平和連合に加えてほしい。そうすれば、世界は恒久的な平和へ向けて一気に歩を進めることができるわ」

「ほゝゝ」サリーの提案に対し、ヒヅルは懐から金の下地に雲が描かれた扇子を取り出し、口もとに当てた。「まるで私が一国の指導者みたいな口ぶりですね。残念ながら、私にそれを決める権限はありませんわ。白金グループが日本を支配しているといったデマを一部のメディアが報じていますが、あなたのように聡明な方が、あんな根も葉もない噂を真に受けてはいけませんよ。ほゝゝゝ」

「そうかしら。あなたは大嶽おおたけ総理ととても親しい間柄と聞いているわ。なら、アメリカを世界平和連合に加えるよう、働きかけてくれるだけでいいのよ。そうすれば、すべてうまくいくわ。あなたの影響力は、あなたが思っている以上に大きい。ヒヅル。私たちの悲願である世界平和のためにも、ぜひひと肌脱いでほしい」

「大嶽総理とは交流はありますが、生憎私は彼の政策に口を出せるような立場では」


「ああ。もう。めんどくさいわね。あなたが日本を牛耳ぎゅうじってるのはわかってるのよ。ヒヅル。白々しい建前の応酬はうんざりだわ」


 平行線をたどる会談にしびれを切らしたサリーが、とうとう均衡を破った。

 ヒヅルは表情を変えることなく、相変わらず穏やかに微笑みながら扇子を閉じ、頬を当てた。

「あら。何を根拠に仰るのかしら。サリー。私はしがない一企業グループの会長にすぎま」

らちがあかないから単刀直入に聞くわね。〈日本国総統〉として、世界平和連合に私たちアメリカを加える意思はあるかしら? あなたの回答が日本の、ひいては世界平和連合の総意であると見做みなします。今ここで、答えを聞こうじゃないの。ヒヅル。私たちの友情が本物なら、受けてくれるわよね?」

 何だか不穏な空気になってきた。

 ぼくはサリーの護衛として、ヒヅルとふたりの護衛の動きに最大限の注意を払っていた。臨戦態勢である。なお、部屋の外では麗那れいな村正むらまさが率いる特殊急襲部隊が、有事の際に加勢できるよう待機している。

 ヒヅルは、おそらくサリーの要求を受け入れないだろう。世界平和連合加盟国の多くは反米国家だ。無論一国では自国の安全確保が難しいため、事実上の軍事同盟である同連合に加わった。ヒヅルの独裁国家と化した今の日本は、世界最大の反米国家。世界平和連合とは、言うなれば反米の砦。アメリカは建国してから二百四十年間のうちの二百二十年を戦争に費やしてきた、世界で最も戦争している国である。そんな国を日本の総統であるヒヅルが受け入れれば、世界平和連合の大義は揺らぎ、結束は薄れ、やがて空中分解してしまうであろう。アメリカが核を放棄し、未来永劫戦争などしないと誓うのなら話は別だが。

「ひどいわ、サリー。私は本当にそんな大層な人間ではないのに、そんな……日本の運命を左右する重大な決断を迫るなんて。なぜそんな無茶を言うのですか。友達でしょう? 悲しいわ。しくしく」

 サリーの無茶な問いに対し、ヒヅルはハンカチを取り出し、眼尻から流れ落ちる涙を拭った。

胡散臭うさんくさい芝居はもういいわ。イエスか、ノーか。私が求める答えは、このふたつのうちのどちらかだけよ」

 サリーは見た目に不釣りあいなほど酷薄な笑みを浮かべ、ヒヅルを追いこみ始めた。相手は世界征服を目指す秘密組織のボスであるというのに、何と大胆不敵な人だろうか。正直尻拭いをするこちらの身にもなってほしい。

「ほゝゝ。初めから和平など結ぶつもりはなかったということですか。サリー・ブラックメロン。まあ良いでしょう。私も我が弟を洗脳して利用した輩と共存するつもりはありませんでしたし。ねえ、ヒデル」

 ヒヅルがいきなりこちらを見て微笑み、ぼくの背筋が凍りついた。

「あなたの弟、白金ヒデルはもうこの世にはいないわ。ここにいるのは私のかわいい部下、パエトンよ」

 サリーが挑発するようにぼくを抱き寄せ頬に軽く口づけすると、ヒヅルの顔に張りついていた笑みが消えた。

「何がヘリオスの子パエトンですか。盗人猛々ぬすっとたけだけしい」憎悪剥き出しの低い声で、威圧するようにヒヅルが呟いた。「私の眼はごまかせませんよ。身長も体格も手足の長さや形も耳の形も肌や瞳の色も歯並びも黒子ほくろの位置も、すべてが一致する別人などこの世に存在しません。彼はこの白金ヒヅルの弟、白金ヒデルです。よくもまあ、この私の前で堂々と同席させられるものですね。その神経の太さには感心いたしますわ」

「本人に確認もせずに、適当なことべらべらとまくし立てないでほしいわ。ねえ、〈パエトン〉?」

 サリーが確認するようにそう言うと、ぼくは戸惑いつつも「うむ」と首肯した。今のぼくに、記憶を失う前の真実を知る術はなかった。

「ヒデル。あなたはその女の正体を知らないのです。彼女、サリー・ブラックメロンは、自身の財団ミラクル・オラクルで人間を洗脳し操る術を極秘裏に研究している。あなたはサリーに操られているのです。私があなたの眼をまして差しあげ」

「あら。ひどいわ」ヒヅルの言葉を遮り、サリーが叫んだ。「私のミラクル・オラクルは、そんなよこしまな研究なんかしていない。人を洗脳して操っているのは、あなたの方でしょう、ヒヅル。自分が世界の覇権を握るためなら、自らの弟さえ手にかける非道。何てひどい人なの。ああ。おぞましい」

「非道はあなたの方です」

 完全に冷静さを失い、ヒステリックに喚き続けるサリーを尻眼に、ヒヅルは冷淡な声調で切り捨てた。

「ヒデル。私の言うことが、信じられませんか。この姉の言葉が」ヒヅルがぼくの眼をまっすぐに見据えて言った。「あなたは、どちらにつくのです」

 ずきん、と、ぼくの頭に激痛が走り、体は緊張によって硬直する。

 精神的吸引力、とでもいうべきか。まるで台風の中心に引きずりこまれるような、抗いがたい強烈な〈何か〉が、ヒヅルからは感じられた。

 姉さん! と、ぼくの心の中で、何者かが叫んだ。

 自己を強く保たねば、ぼくはおそらくこの場でヒヅルにひざまずいてしまうだろう。

 ぼくの異変に気づいたのか、サリーがぼくの前に割って入って叫んだ。

「あんまりだわ。自分の味方をしなければ、実の弟すら敵だというの。やはりあなたは、平和の敵だわ。何ということでしょう!」

「あなたのような極悪人に、〈完全世界〉の理想の何がわかるというのです。世間知らずのお嬢様の戯言に付きあうほど、私は暇ではありません。ヒデルは私が連れ帰ります。彼には〈治療〉が必要です」

 ヒヅルはぼくに手を差しのべた。

「ヒデル。私と来なさい。あなたは私の大切な弟、そして白金機関にとって必要な人材です。星子せいこのような人々が安心して暮らせる〈完全世界〉を創ると誓ったのではないのですか」

 強い口調でそう言い放つヒヅルの、太陽を模した髪飾りが光を放ち、後光のように見えた……気がした。

 ヒヅルがまるで地上に降臨した女神か何かのように見えてきた。

 ああ、ヒヅル様!

 ずきずきずき。ぼくの頭に、さらなる激痛が走った。

「ぐわあ」

 とうとうぼくは、頭を抱えてうずくまってしまった。

「あら。誰が帰っていいと言ったのかしら。私たちと敵対する道を選んだ以上は、〈世界平和〉に仇なす敵。みすみすこのまま帰してもらえるとでも思って?」

 サリーが今までに見たこともないほどいびつで邪悪な笑みを浮かべて言った。

「茶番はおしまいよ。衛兵、彼女たちを拘束しなさい」

 入口から武装した特殊急襲部隊の兵士たちが十数人ほど雪崩なだれこみ、短機関銃MP5を構えた。麗那や村正もいた。

 ヒヅルと護衛ふたりも瞬時に銃を抜き、構えた。

 まさに一触即発。

「ヒヅル。ここには〈ラブアンドピース〉の精鋭が数十人いる。無駄な抵抗はやめろ」麗那が警告した。

「おや。生きていたのですね。麗那。まあ、あなたがそう簡単に死ぬとは思っていませんでしたが」ヒヅルは奇妙に優しげな笑みで麗那にそう返した。四年前に彼女たちは日本の支配権を賭けて戦ったと聞いていたが、ふたりの間にはそれ以上に深い因縁のようなものが、感じられた。

 そしてヒヅルはふたたびぼくに向き直り、厳しい表情でこう言った。

「ヒデル。言葉ではなく、事実をあるがままに見るのです。これまでヘリオスがしてきたこと、そしてサリーが今まさに武力で我々を脅迫しているという、事実を」

「あなたたちこそ、罪もない人々を投獄したり、殺したりしてるじゃないの」サリーがヒステリックに叫んだ。

「ヒデル。こちらへ来るのです。来なさい。命令です。それとも、ヘリオスに、サリーに加担するおつもりですか」ヒヅルが、今度は幾分強い口調で言った。

「ぐえ」

 がたいほどひどくなってきた頭の激痛によって、ぼくは地面に嘔吐おうとし、地に倒れのたうち回ってしまった。

 くそ。いったい何なんだ、この激痛は。

 ヒヅルがぼくの精神を圧倒的な力で引き寄せ、それを他の何かが無理矢理押さえつけている感じだった。牛裂き刑の如く真逆の方向にふたつの大きな力で引っ張られ、ぼくの精神は今すぐにでも引き裂かれそうだった。

「やめてよ。私のパエトンに何てことするの。このきちがい。悪魔」

 サリーがぼくの前に仁王立におうだちし、ぼくをかばうように、両手を拡げた。

「私は抵抗しないわ。殺せるものなら、殺してみなさい。そうすればヒヅル、あなたは永遠に世界平和にあだなす敵として、歴史にその汚名を刻むことになる」

 サリーがまるで心臓を狙えと言わんばかりに、自分の胸に手を乗せて啖呵たんかを切った。

「だ、だめだ。やめろ。るならぼくを殺れ」

 限界寸前の体に鞭を打ち、ぼくはサリーの前に躍り出た。

「ヒデル。サリーから離れなさい。邪魔です。あなたを撃ちたくはありません」最後通牒だ、と言わんばかりにヒヅルが鋭い声で告げた。

 どういうわけか、この人には逆らってはいけない気がする。

 そして先ほどからぼくの中で何者かが、「姉さん」と繰り返し叫び続けている。

 しかし、非武装にも拘らず勇気を振りしぼってぼくを庇ってくれたサリーを、命に代えてでも守らなければならない。

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