第四話「写真」

「ぼくの父さん、かな。若い頃の写真ですね」

 高神麗那たかがみれいなの差しだした、集合写真の左端の方に写っている男性の顔を見て、ぼくは言った。それは四年前に事故で死んだ、ぼくの父の、若かりし頃の姿だった。

「では、こちらの女性は」

 高神は、父さんのすぐ隣に写っていた若い女性の顔を指差した。

「若い頃の母さんですね」

 写真の隅には一九九〇年八月二十一日と、だいだいのデジタル数字が印字されていた。今から二十年ほど前の写真だ。父さんは生きていれば今年四十七歳なので当時二十七歳、母さんは四十五歳だから当時二十五歳ということになる。写真の中の彼らはともに二十代半ば、という印象であった。

 ただ不可解なのは、父さんも母さんも、そしてこの写真に写っている全員が白衣に身を包んでいること、彼らの背後に掲げられた横断幕の『人類遺伝子工学研究所・第三次人工全能プロジェクト成功記念』という文字。

 人工全能。

 神様でも作りだそうというのだろうか、彼らは。

「お父さんとお母さん、ね。なるほど」

 高神は何かに納得したように、微笑んだ。そして背後の後藤が、仏頂面のまま機関銃のような勢いでノートパソコンのキーをたたきはじめた。

「両親を知ってるんですか」

 ぼくがそう訊ねると、高神は笑みを崩さず、「昔の知人よ」とだけ答えた。

 そうだ。この女には、何が何でも、確認しておかなければいけないことが、あった。

「あの。ひとつだけ、お聞きしてもいいですか」

 ぼくは緊張しながらも、言葉を紡いだ。

「どうぞ。答えるかどうかはわからないけれど」

「父さんと母さんは、なぜ死んだんですか」

 場を数秒、沈黙が支配した。

「さあ。私はふたりとも事故死した、と聞いているわ。とても残念」

 高神の返答は予想どおりだった。この場でわざわざ「私が指示して殺しました」などと馬鹿正直に自白するメリットは当然ない。

 ただ、返答した彼女の表情や仕草から、何らかの手がかりを得ようと試みたのであった。「男は嘘をつく時に眼をそらす。女は眼をまっすぐ見る」と、以前ネットか何かの記事で読んだことがある。この法則が真実なら、高神は残念そうに眼を伏せたので、本当のことを言っているということになるが、正直あまりあてにはならないな、と、思った。

 ぼくがそんなことを考えていると、高神は突然眼を細め、刺すような、鋭い視線を向けた。

 心拍が、跳ねあがる。

 まるで蛇ににらまれた蛙のように、ぼくの全身の筋肉は、硬直した。

「私の反応から本当の答えを探ろうとしているのね。でも、それで別の答えが得られたとして、どうするつもりかしら」

 そのすべてを見透かすような鋭い眼光の前では、ぼくがどれだけ策を弄し、出し抜こうとしても、児戯じぎに等しい。そう思えた。

 ぼくが反射的にたじろぐと高神はふたたび微笑み、先ほどの集合写真とはまた別の、もう一枚の写真をぼくに差しだした。

「では、次。この写真に見憶えは?」

 新しく差し出された写真を見るや否や、ぼくは思わず「う」と小さく呻いた。

 それは、さまざまな設備の置かれた鉄筋コンクリートの、研究施設か何かの一室のようであった。その中央に並べられた人間の身長ほどある円柱状の青いガラス張りの水槽、その中にいる、酸素マスクのようなものを口につながれた子供たちの姿に、ぼくの眼は釘づけになった。

 そう。ぼくは、この部屋に見憶えがあったのだ。

 ときどき見る、うす暗い群青の、生温かいガラス張りの海の中にいる夢。

 ガラスの向こう側に見えていた景色はまさにこんな造りの部屋で、夢の中に登場する、ぼくを見つめる女性の姿は、そう、先ほど写真で見せられた、白衣をまとった若かりし頃の母だった。

 高神は露骨に観察するような眼をこちらへ向け、「見憶え、あるのね」と訊ねた。

 彼女には嘘は通じない。

 そう悟ったぼくは、正直に首を縦に振った。

「いい子ね」

 高神はにこやかに微笑むと、ぼくの頭を軽くなでた。何だか子供扱いされているようでしゃくだったが、実際にぼくと彼女とでは親と子くらいの歳の差があるだろう。

「痛」

 突如、ぼくは頭に軽い痛みを感じた。

 高神がぼくの頭から髪の毛を数本、引き抜いたのだ。まだ根本を黒く染め直していなかったせいか、先端が白くなっている。

「何を」と、ぼくは彼女に訊ねた。

「ちょっと調べたいことがあってね。いただいていくわ」

 奪ったぼくの髪の毛は、速やかにファスナーの付いた袋の中へ。

「取調べは以上で終わりよ。ご苦労様。今日はもう特にやることもないから、ゆっくりお部屋でくつろいでて」

 そのまま高神が席を立ち、取調室の扉を開けると、サングラスをした黒いスーツ姿の男たちがふたり入ってきて、ぼくを両側から拘束した。

「あの」

 ぼくが思わず呼びかけると、高神はゆっくりと振り返り、「なあに?」と、優しく微笑んだ。

「ぼくはこの後、どうなるんでしょうか。その、妹のことも、心配で」

 もはや動揺も隠さず、すがるようにそう訊ねると、彼女は微笑みを絶やさずにこう言った。

「あなたの処遇に関しては、今は何とも言えないわね。でもあなたの妹君に関しては、安那子あなご捜査官の上司である私の責任でもあるわ。ひとりで暮らしていくのも大変でしょうから、彼女には国から当面の生活保護費と慰謝料、必要であれば病院代を支給しましょう。もっとも、あなたが今後も我々に協力的であれば、の話だけれど」

 最後に不敵な笑みを浮かべ、高神は取調室を後にした。

 要するに、人質ということか。

 この卑劣な秘密警察の女王に、ぼくは激しい憎悪を憶えた。

 父さんと母さんを殺した元締めも、多分こいつだろう。根拠はないが、ぼくは直感でそう思った。

 殺してやりたい。

 今すぐここで黒服から銃でも奪って、後ろから、撃ち殺してやりたい。

 むろん九割九分九厘返り討ちにされるし、星子が人質に取られている今、そんなことはできないが。せめて彼女がぼくの呪いで死にますように、と、強く念を送っておいた。

 そしてぼくは黒服の男に連れられ、元いた独房に戻されたのであった。

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