第四十七話「怨敵誅殺」

 朝鮮人民解放戦線に潜んだ内通者スパイは、結局美煐ミヨンの密告通り宋泰希ソン・テヒであった。あの後ぼくが耀徳ヨドク収容所に向かった忍美しのみを急遽連れ戻し(無津呂むつろ耀徳ヨドク収容所にいるという情報は泰希テヒから得たもので、〈党〉がぼくたちをめるための罠である可能性が高い)、泰希テヒを密かに監視させた。

 数日後、泰希テヒが〈党〉の連中と密会している現場を録画、それを泰希テヒを除いた〈解放戦線〉のメンバーを集めて公開した。

「よお、泰希テヒ。俺は悲しいぜ。まさか、お前が〈党〉の内通者スパイだったなんてな」

 居酒屋・大浦洞テポドン階上うえにある〈解放戦線〉のアジトにて、は他のメンバーとともに、泰希テヒを問い詰めていた。

「何の話」

 泰希テヒは何食わぬ顔で、平静としている様子だった。

「とぼけても無駄っすよー。うちが全部録画してるんで。あんたと〈党〉の人間が接触してるところを、ね」

 忍美は得意げな顔でスマートフォンの映像を再生した。

 そこには泰希テヒと、〈千里馬チョンリマ部隊〉の宋赫ソン・ヒョクが、夜の港で密会している姿が映し出されていた。

 泰希テヒは眼を大きく見開き、やがて観念したように、大きくため息をついた。

 それからすべてを諦めたように項垂うなだれ、力なくあははと渇いた声で笑いだした。

「何だ。ばれちゃったの。あは。あははは。だめねえ。私も」

「なぜです、泰希テヒ! 信じていたのに」

 〈黒電話〉こと韓正雄ハン・ジョンウンが、普段の冷淡な態度からは想像もできぬほど激昂げっこうし、絶叫とともに泰希テヒに掴みかかり、なじっていた。

「落ちつけ、正雄ジョンウン正雄ジョンウンの肩に手を置き、制止した。

「落ちついてなどいられますか! なぜあなたはそんなに冷静でいられるんだ」

「うるせえ。静かにしろ。話ができねえだろうが」

 正雄ジョンウンは歌舞伎の連獅子れんじしの如く髪を振り乱して喚き散らしていたが、いきなりに一喝されると渋々とその口を閉ざし、ばつが悪そうに部屋を出ていった。

泰希テヒ理由ワケを教えちゃくれねえか。お前さんのことだ。よほどのことがあったんだろう。なあ」

さん」

 が態度を一変させて優しく問いただすと、泰希テヒせきを切ったように眼尻からぼろぼろと涙をこぼし、泣きだした。

 号泣しながら断続的に話していたため、泰希テヒの弁明は十数分にも及んだ。話をまとめると彼女にはヒョクという弟がいて〈千里馬チョンリマ部隊〉の隊長を務めているという(そう、あの宋赫ソン・ヒョクだ! 美煐ミヨンの両親、勝元スンウォン星蓮ソンリョンを殺し、ぼくたちも殺そうとした、あの!)。その宋赫ソン・ヒョクは、姉の泰希テヒが〈解放戦線〉の一員であることを〈党〉に知られ、自身も〈解放戦線〉が送りこんだ内通者スパイなんじゃないかと疑われているらしい。彼自身は〈党〉のためなら命も惜しまず戦う忠実な兵士であると泰希テヒは語るが、そんな彼の忠節も虚しく、泰希テヒのせいで濡れ衣を着せられてしまった、と。このままでは彼は〈粛清〉されるか、〈労働教化刑〉、すなわち強制収容所送りにされてしまうかもしれない。そこで泰希テヒは、自分こそが〈解放戦線〉に送りこまれた内通者スパイであるということにして、秘密裏に弟に協力しているという嘘をついてヒョクの容疑を晴らそうとした、そうだ。もっともそのせいで美煐ミヨンの両親、勝元スンウォン星蓮ソンリョンは殺されてしまったのだが。

「いつかバレるような気はしていたわ。私のせいで勝元スンウォン星蓮ソンリョンは殺されてしまった。ふたりには何とか無事に生き延びてほしかったけれど、今さら言い訳にならないことはわかってる。覚悟はできてるわ、さん。この落とし前は、自分でつける」

 泰希テヒは腰に下げていた自動拳銃トカレフを抜くと、自分の蟀谷こめかみに突きつけた。

「まあ待て。早まるな、泰希テヒ

 が強引に泰希テヒの腕ごとトカレフの銃身を掴んだ。

「放して、さん。私は勝元スンウォンを」

 泰希テヒはまるで大切な玩具おもちゃを取りあげられた子供のように泣きじゃくり、喚き続けていた。

 は、そんな彼女の震える身体を、優しく抱きとめた。

「落ちつけ」

 泰希テヒの頭を優しく撫でると、しばらく抵抗を続けていた泰希テヒが、諦めたように、銃を床に落とした。

「お前さんにゃ、そうするしかなかったんだろうよ。〈党〉の連中は卑劣なやつらだ。悪いのは全部、〈党〉の連中なんだ。だからこそ俺たちは、あのろくでなしどもから国を解放してやろうと団結したんじゃねえか。そうだろう」

「ええ。そうよ。でも、だからって」

 泰希テヒの胸に額をこすりつけながら、号泣していた。

 そんな彼女に構わず、は予想外の提案を切り出した。

「お前さんの弟も、これで〈党〉がどういう連中なのか理解しただろう。これを機に〈解放戦線〉に誘ってみるってのはどうだ。〈千里馬チョンリマ部隊〉にいるくらいだから、腕は立つんだろう」

「それは」泰希テヒの顔が曇ってゆくのが、はっきりとわかった。「あの子はたぶん、それはしないと思う」

「俺がうまく説得してやるよ。だから、泰希テヒ。お前さんにゃ奴をおびき出すために、ひと芝居うってほしいんだ」

 自信満々の笑みでそう言うに対し、泰希テヒは明らかに戸惑とまどっている様子だった。

 事の成り行きを見守りながら、ぼくは黙考していた。

 いいのか、それで?

 たしかに〈解放戦線〉に宋赫ソン・ヒョクが加われば泰希テヒは苦悩から解放されるし、〈党〉の情報も手に入るだろう。しかし、ヒョクが〈党〉のスパイとして情報を洩らしたり、土壇場で寝返る可能性も充分にあるし、何より彼は羅勝元ナ・スンウォン羅星蓮ナ・ソンリョンを殺した張本人で、他の仲間とうまくやっていけるのかはなはだ疑問だ。

 馬鹿げている。無茶苦茶だ。

 それに、宋赫ソン・ヒョクに情報を流した泰希テヒの落とし前は、どうつけるというのだろうか。いくら事情があったからとはいえ、敵に情報を流し、仲間を死に追いやった人間を無罪放免するというのか。事情さえあれば、今後も〈党〉に情報を渡す裏切り者が現れても仕方ない、と? ぼくには泰希テヒ依怙贔屓えこひいきしているようにしか見えない。

 宋泰希ソン・テヒに裏切り者の烙印らくいんを押して消えてもらうのが、もっとも迅速かつ確実な方法である。

 ……が、この様子だと、それはが許さないだろう。

 くそ。面倒な展開になった。


「何よそれ」


 そんなぼくの思考を、美煐ミヨンの声が遮った。

 美煐ミヨンはいつの間にか泰希テヒの捨てたトカレフを拾い、彼女に向けていた。

「あ、あなたが裏切ったから、わ、私のパパパ、パパとママは、死んだのよ。この、く、くくく、くそばばあ。そ、それだけじゃ飽きたらずに、今度は何。よりにもよって、パパとママを殺したやつまで仲間に入れようっていうの。ふ、ふふふ、ふざけないで。ふふふ、ふざけ」

「おいやめろ。美煐ミヨン。銃をおろすんだ」

 もまさか美煐ミヨンがこんな行動に出るとは予想してなかったようで、青ざめた顔で懸命になだめようとしていた。

「動かないで」

 美煐ミヨンが叫んだ。

 あれじゃ、いつ引金を引くかわからない。

さん。私から離れて。私が流した情報で、勝元スンウォン星蓮ソンリョンは死んだ。美煐ミヨンちゃんが私を恨むのも当然だわ。美煐ミヨンちゃん。撃つなら、早く撃って。できれば、頭か心臓に当ててちょうだいね」

 泰希テヒが頭と心臓を指さしながら言った。観念したように力なく笑う彼女のその肩は、微かに震えていた。

 ポケットに手を入れた真茶が、こちらを見ている。美煐ミヨンを撃つのか、と、訊ねているようだった。ぼくは首を横に振って真茶を制止した。

「殺してやる!」

 美煐ミヨンが銃の引金を引き、乾いた発射音が、フロア中に響き渡った。

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