第46話

■EP

 赤い森はますます広がり、チャネルベースはもはや、頑なな住民たちですら町と呼ぶことができないほどになっていた。

 残されているのは街道へ繋がる東西の入り口と、その脇に僅かばかり残された建物がいくつか、という程度である。ましてその東西同士を行き来する道は、完全に断たれているという有様だった。

 空も大部分が覆われて、地表は黒い影に包まれている。赤い樹木はそれを浴び、不気味な色合いを見せていた。

 しかしそれでも、まだ辛うじて残る空白の上には青い空が広がっている――西の街道付近で、リヴィッドはそれを見ることができた。

 隊商が、その白い光を浴びていたのだ。

「約束通り、戻ってきたぞ」

 ほんの少し軽くなった荷車を引く足を止め、リヴィッドは息を落ち着けてそう告げた。

 その時には、隊員のほとんどが外に出て、赤い森を見つめており――リヴィッドは労せずとも、彼らと目を合わせることになった。

 ただ、彼らはしばし無言だった。森を抜け、流石に限界が近いという様子の荷車を置き、青空の下に姿を見せた少年をじっと見つめながら、誰もが黙し続けて……

「おい! さっさと残った荷物を詰め直せ! 荷車の解体も忘れんな!」

 誰かの発したその言葉で、隊員たちは一斉に、わあっとリヴィッド――というより荷車のもとに殺到し、すぐさま作業を開始したようだった。

「……は?」

 今度はリヴィッドの方が呆気に取られたが、ともかく身体は自然と、作業の邪魔にならないようその場から離れていた。

 残った鉄やら工具やらを、手際よく馬車へ運び込んでいく隊員たちの姿を呆然と見つめて、

「ったく。素直に出迎えるってことができない連中だね」

 横から呆れたような声が聞こえ、振り向くとそこには、フレデリカが立っていた。やれやれと苦笑した顔で肩をすくめてから、それを優しい笑顔に変えて、リヴィッドを見下ろしてくる。

「戻ってきたってことは、仕事は済ませた、ってことだね」

「あ、ああ。えぇと」

「詳しい話は後で聞くさ。今は、そうだね――」

 フレデリカは少し考えてから、言葉を選び取った。

「おかえり、リヴィッド」

「……ただいま」

 つい言ってしまってから、リヴィッドは恥らって俯いた。フレデリカがその頭をぐしぐしと撫でてくるのは子供扱いされているようで不快だったが……今は受け入れた。

 そうしながら、彼女から森の侵食が少し前に止まったことを聞かされた。そしてそのおかげで、リヴィッドの話を疑う者は、まあそれほど多くはなくなったらしい。また未だ半信半疑の者でも、何があったのかという話は聞きたがっているようだった。

 酒盛りの中にでも紛れ込んで、ゆっくり聞かせてくれればいい、とフレデリカは言った。その時は自分も同席するから呼んでくれ、とのことだ。

「この忙しい時に、何を話し込んでいる」

 そうしていると不意に、今度は後ろから声が聞こえた。

 振り返ると、そこにいたのは隊長である。相変わらず表情の変わらない、商人とはとても思えない、いっそ傭兵のような鋭い顔付きをして、

「もうすぐ出発の時間だ。暇はないぞ」

「そういえば……間に合ったのか?」

 ふと思い出して、尋ねかける。すると彼は、ふんっと鼻から息を吐いた。

「丁度、丸一日分の時間が経ったところだ。時間厳守は隊員として当然の義務だな」

 すると横から、作業中の隊員が言い合うのが聞こえてくる。

「そうそう、ぴったり丸一日だな」

「色々あったせいで、まるで二日分くらいに感じられるけどな」

「後釜を育てるってのも面倒なことだよなー」

「無駄口を叩いている暇があったら早くしろ」

 キッと視線を向けられると、隊員たちは面白がるように了解しながら駆けていった。隣ではフレデリカも、笑いをかみ殺しているようだったが。

 そうした様を、リヴィッドはどこかぽかんとした心地で見つめていた。

 すると隊長が視線をこちらへ戻し、言ってくる。

「ここに残りたければ好きにしろ。俺たちは時間通りに出発する。お前が乗っているか、いないかに関わらずな」

 彼の言葉に、リヴィッドは迷ったわけではなかった。

 それでも一度だけ、森の方を振り向いてから――

 首を横に振ると、すぐに荷物を運び込む作業に加わった。

 そこではまた隊員たちから叱責され、怒鳴り散らされることになるだろう。またそれだけでなく、行く先々でも都合の悪い、憎らしい人物に会うかもしれない。

 けれど、その誰をも覚えていよう――リヴィッドはそう決意していた。

 そしていつかまた、森に住む少女に話して聞かせよう、と。

「よし、出るぞ! 全員乗ったか!」

 荷物を運び終わり、そのまま荷台に乗り込むと、隊員のそんな声が聞こえてきた。

 少しすると、がたがたと揺れながら馬車が動き出す。同乗している商人たちは、それでようやく安堵した息を吐いたり、リヴィッドに話を聞きたいような、まだ楽しみはとっておきたいようなという態度を見せてきた。

 当のリヴィッドはそれを面白がりながら、片手に持った棒パンを齧る――フレデリカに持たされたものだ。その一端は鋭利に切り裂かれている。自分たちでやったのではない。大樹から戻ってきた時、袋の中で真っ二つに裂かれていたのだ。

 ひょっとしたら――と、リヴィッドは考えることがあった。

 愛情だったのではないだろうか。自分の孫娘によからぬことをするなという、祖父からサヤへの愛情だったのではないか、と。

 それは棒パンのことだけではない。もっと根源。赤い森の発生そのものだ。

 嘆き、悲しみ、やり場のない怒りに狂い、それをサヤへとぶつけながら、けれど根っこの部分では、サヤへの愛情に満ちていた。

 憎い孫娘だけは、両親のように死なせたくないという願い。その一種の矛盾した感情が、少女を全ての事象から切り離す刃という形で顕現したのではないか。

(あれは……サヤを守る剣、だったのかもな)

 走り始めた幌馬車の中から。

 リヴィッドは、今度こそ去り行く赤い森を見送った。


---


 赤。全てが赤に染まった森。

 葉も、幹も、地面も、空も、闇までも赤い。そこで起きた惨劇を仄めかす、赤い森。

 そこには一つの噂がある――森は一時眠っただけで、誰かが森の奥へと潜り、破滅を願えば動き出す。そいつの破滅と引き換えに。

 けれどそこには、少女がいる。

 森の中、白い少女が鎚を打つ。音を響かせ、剣を鍛える。

 彼女は片手に、切れた棒パンを持っているのだという。

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赤い森 鈴代なずな @suzushiro_nazuna

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