第5話
その翌日も、さらにその翌日にも、ルルナは一座の興行が終わると必ずリヴィッドのもとを訪れ、仕事が終わるのを待つようになった。
リヴィッドはそれを鬱陶しそうに追い払おうとしたが、ルルナは決して従うことなく、また仕事が終わるまでの間、以前のように疎ましいほどくっ付いてくることはなかったが、話しかけてくるのを止めることもなかった。
ただ、リヴィッドがそれを追い払う最も確実な手段――例えば相手の座長に厳しく追求するとか――を取らなかったのは、彼女の存在が不利益ばかりでもなかったためだ。
まず一つには契約相手の一員、それもリヴィッドより幼い子供がいることによって、他の隊員があまり近付いてこなくなった、ということだ。他所に自分の悪評が広まることを恐れてか、仕事の指示こそあれ、怒鳴りつけ、罵倒してくるようなことはほとんどなくなったのである。仕事内容も屋台の点検のような簡単で、時間のかからないものが主になったのは……なんらかの余計な気遣いかもしれないが。
そしてもう一つには、以前に感じたものと同じ理由だ。つまりルルナのなんらかの行動を窘めたり、尊大に振舞ったり、それに羨望を浴びせられたりすることで、リヴィッドは隊商内で受けているのとは正反対の立場になれたという充実感と、なにより優越感を得られたのだ。
それによって、リヴィッドは表層こそ彼女を疎ましく扱いながらも、行動の面では懇意に接していたと言える。事実、リヴィッドは自らの作業が終わると、いつもならば隊員からの難癖を躱すため眠りにつくのだが、ルルナに誘われるまま、彼女とふたりで町に繰り出すようになった。
もっとも、さほど大きくもない町だ。珍しいものがあるわけでもなく、ただ薄暗くなり、民家の灯が現れ始める中を漠然と歩き、会話をするだけではあったのだが。
それでもルルナは一度たりとも会話を止めることなく、いかにも興味深そうな様子で矢継ぎ早に質問をぶつけてくるため、退屈することはなかった。
「わたし、隊商に同行するのは初めてなの。ほら、隊商って話には聞くけど、物を売ったり買ったりしてる以外は何をしてるのかわかんなくて」
「それ以外に何をしろって言うんだよ」
肩をすくめながら、隣を歩くルルナを見やる。彼女は舞台衣装らしい、夕刻に見かけるような格好ではなくなっている。しかしネックレスのような紐で吊るされただけの、肩から腋、背中まで空いた服、というより胸を隠すだけの布めいたものを纏い、丈の短い黒のタイツを履いているため、本質的には大差ないとも思えた。
日中はまだしも夜間は冷え込む季節だというのに、彼女はそれも気にしないらしい。むしろそうやって目立つ方が、一座の人気や知名度を上げる効果があるのだと言う。
銀に近い金髪も今は左右で結んでおり、ルルナはそれを軽快に揺らしながら、髪と同じようにリヴィッドの左右を忙しなく行ったり来たりしていた。
大通りではないが、町の中を網目状に区切るいくつかの通りの一本である。民家が多いにせよ、彼女が多少跳ね回ったところで塀にぶつかるわけでもない。夕刻過ぎの時間であっても見かけられるまばらな人通りの誰しもがルルナを一瞥する程度に注目したのは、狙い通りというところか。
「特別なことじゃなくてさ。ほら、決まりとか規則とか。あと、リヴィッドがどんな仕事をしてるか、とか。お店の片付けは町の中だけでしょ?」
「そりゃあ、な」
仕事内容を聞かれると自尊心がくすぐられるのを、リヴィッドは薄っすらとだが自覚していた。けれどそれを抑える術はなく、多少の大袈裟な表現を交えながら話していった。
例えば、隊商内において隊長と副隊長の果たす役割以外の、ほとんど全てを経験していること――これは間違っていない。隊はリヴィッド、そして隊長と副隊長を除く十八人の隊員を、整備班、救護班、そして商人という三つの役割に分類させているのだが、リヴィッドはかなりの頻度でそれらを転々とさせられていた。整備班として馬車の補修をさせられた翌日、今度は商人として商材の点検を行い、救護班として隊員の手当てや、輓獣――ラバの管理を任されるといった具合である。
リヴィッドはそうした処遇について、自分が簡単に作業をこなしてしまうための嫌がらせだと、ルルナに熱弁してみせた――実際にはなんらかの失敗を犯して怒鳴られている、という場合がほとんどだったのだが。
とはいえルルナは知る由もなく、言葉通りに感心している様子だった。
「わたしなんか練習でも失敗が多いから、怒られてばっかりでさ。早くリヴィッドみたいになれたらいいのに」
旅芸人の性なのか大袈裟に、がくんと肩を落としてみせるルルナ。その言葉にリヴィッドは多少、良心の呵責に近いものを感じたが、悟られないよう、できる限り尊大にしてみせた。
「お前は入ったばっかりなんだろ? だったら普通はそんなもんだ」
「リヴィッドも最初の頃、そうだったの?」
と聞きながら、彼女ははたと思い出したように顔を上げた。そして最初の質問の答えも待たず、続けてくる。
「そういえばリヴィッドってさ、そんなに若いのになんか慣れてるって感じだよね。いつから隊商にいるの? 生まれた時から?」
その問いに、リヴィッドは思わず一瞬、肩を震わせてしまったが、それは彼自身にとって失態以外のなにものでもなかった。その問いに対する答えを頭の中で浮かべる時、僅かにでも動揺を見せることは、わけもわからず何かに敗北させられるような口惜しさがあったのだ。
そのためリヴィッドは、ルルナに負けないほどわざと大袈裟に肩をすくめ、なんらの感慨もないことを示すように、素っ気無く口にした。
「俺は五年前、下働きさせられてた商家から隊に売られたんだ。商家に入った賊を、俺が手引きしたって噂されたせいでな。まあ元々親に売られて入った家だから、清々したけど――言っとくが同情なんかするなよ。下に見られてるみたいでイラつくんだ」
「あー、えーと」
先んじて制され、ルルナは明らかに言おうとしていた言葉を呑み込むと、間抜けとも思える調子で呻いた。そうして次の言葉を探したのだろう。その時、何かに気付いたようだった。
「あれ? じゃあ今のわたしと同じくらいの歳で隊商に入ったんだ」
「そうなるな」
「ってことは、わたしも頑張ればリヴィッドみたいになれるのかなっ?」
ルルナは希望を見い出したようにパッと顔を明るくさせた。
「リヴィッドくらい仕事ができるようになれば、わたしも怒られたりしないだろうし。まあわたしは、リヴィッドみたいに色んな経験してきたわけじゃないけど」
「……別に、隊に入る前の経験なんか活かされたことねえよ」
吐き捨てながら、けれどリヴィッドは密かに、自分の頬が緩みかけるのを自覚していた。不愉快な記憶が、しかし羨望を集める一翼を担ったことで多少は報われた気になったためかもしれない。
口元に手を置いてそれを隠していると、ルルナがふと空を――星の瞬く夜空を見上げてから、「あっ」とリヴィッドの前に飛び出してきた。
「そろそろ戻らないと。寝る時間になっちゃうし」
「そういや、そうだな」
「本当はもっと話を聞きたいけど……個室はないんだよね? 他の隊員もいるの?」
そう言われてから一瞬の間を置いて、リヴィッドは言葉の意味を理解した。
隊商の停泊日程は今日までである――つまり明日になればアンノトスの町を発つことになる。もちろん一座も同行するのだが、町を発てば当然、今のように民家の灯りを頼りにふらふらと出歩く、なとということはできなくなる。
「……個室は、ないな。狭苦しい荷台で、鬱陶しい商人の連中が一緒にいる」
「誰もいないところって、ない?」
ルルナは身を屈め、ただでさえ見上げる視線をさらに潜り込ませるようにしてきた。民家の灯りだけが通りを照らすような薄暗闇の中、その頬が微かに赤らみ、瞳が潤んでいるようにも見える。リヴィッドはなんとなしに目を逸らしながら、頬をかいた。
「どの馬車にも四、五人ずつ乗ってる。一応、商材の馬車は無人……とはいえ無断で入れる場所じゃねえし、野営中は見張りも立てられる」
それを聞くと、ルルナはなるほどと納得しながら、考え込むように腕を組んだ。そこへリヴィッドが助け舟を出すように「森でもなければ近くを歩くこともできなくはないだろうけどな」と告げると――彼女は驚いたような、きょとんとした表情を見せた。
そうしてから不意に悪戯っぽく笑うと……やはり不意に、腕にしがみついてきた。
「っ、てめ、何しやがる!?」
「んふふ。こういうのってさ、逢引みたいだよね?」
「うっせえ、いいから離れろ!」
顔が赤くなるのを感じながら、振り払おうと残った腕を伸ばす。しかしルルナはしゃがみ込んで簡単にかいくぐると――その時、「なんだろこれ?」と何かに気付いたようだった。
そしてリヴィッドが何事かを理解するより早く、慣れた動作でポケットに手を突っ込み、そこに入っていたものを抜き取った。
「おい、てめえ!」
リヴィッドはなおさら慌て、声を荒げた。しかしその頃には、ルルナは身体を離し、手の届かないところへ避難していた。
彼女が奪い取ったのは、紺色をした小さな縦長の箱である。
問答無用でそれが開けられると――中から出てきたのはネックレスだった。民家の灯りを浴びて金色に輝くそれは、まさか純粋な金なはずがないだろう。ただ、金色のチェーンが複雑に絡まる星型のペンダントトップに連結する意匠は、一見ではさほど安物とも思えない。
リヴィッドはそれを見せられ、もはや取り返すというよりも恥じ入るように頭を抱えていた。その頭に、全てを察したようなルルナの声が届けられる。
「これ、あのフレデリカって女の人にプレゼントするつもりで買ったんでしょ。でもずっと渡せないままポケットに入れてた、ってところかな?」
「ぐっ……う、うっせえ! いいからさっさと返せ!」
様々な感情を塗り潰して誤魔化すように、怒鳴り声を上げて腕を振り払う。もちろん腕はルルナに届かず、彼女はその風圧に透明な金色の前髪を揺らしながら、自分の胸元にネックレスをあてがって微笑してきた。
「それなら代わりに、わたしにくれればいいのに」
「誰がお前にやるか」
「将来的にはわたしのものになると思うんだけどなー?」
挑発的というべきか、悪戯っぽく冗談めかしてくる。リヴィッドは流石に微かな苛立ちを抱き、目を細めると、ルルナも「わかってるよう」と言って観念し、ネックレスを箱に戻して放ってきた。
それを受け止め、ポケットへ入れ直すうちに、ルルナはいつの間にか、来た道を引き返すように歩き始めている。
「じゃあ、早く戻ろ。明日は朝から出発準備で忙しいだろうしね」
「……誰が連れ出してんだよ」
呻きながら、リヴィッドもそれに従い引き返した。
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