第4話

 この町で興行中だった旅芸人一座が、次の町へと向かう道中、一時的に隊商に加わることになった――という話は、その夜に副隊長の男、サドナから伝えられた。

 こうしたことはそう多くあるわけではないが、全くないことでもない。場合によっては、隊商が契約金を受け取る形で同行を許可する、ということもある。今回がどういった契約なのか、リヴィッドには知ったことではなかったが。

 いずれにせよ翌朝になると座長らしい男が現れ、隊員たちに丁寧な挨拶と、暇があれば興行を見に来てくれという社交辞令ついでの営業をしていった。

 そしてさらにその夕刻には――リヴィッドのもとに、また例の少女が現れたのである。

「また片付けしてるの?」

 前日と同じ作業中、前日と同じ場所、同じ調子で声をかけられた。

 ただしリヴィッドの反応だけは前日と異なっている。声を荒げることもなく、「ああ」とだけ答えて振り向くこともしないのだ。

 しかしそうやって突き放しても、少女は全く無関係に、そして全く無防備にとてとてと歩み寄ってくると、しゃがむリヴィッドの顔を覗き込んできた。

「ねえねえ。今ってさ、暇?」

「ンなわけねえだろ」

「でもお喋りくらいできるよね」

「気が散る。黙ってろ」

「片付けなんて、ちょっと気が散ってる方がいいんだって」

「うるせえって言ってんだよ」

 商材の入った木箱を持ち上げると、少女から逃れるようにそれを荷台の奥にどかっと押し込む。勢いで微かにランプの火が揺れ、少女も一緒によろめいた。

 かと思ったら、彼女は飛び跳ねるようにまた隣までやって来て、

「ね、名前はなんていうの? わたしはルルナ。すっごく若く見えるけど、ひょっとしてわたしと同じくらいの歳なんじゃない?」

「お前よりは確実に年上だ」

 なんとなく、そこだけは譲れずに答える。しかしそれは少女――ルルナに会話の許可を与えたようなものだったかもしれない。彼女はずっと湛えている笑顔をさらに強いものにしてきた。

「そうなの? でも十五歳くらいだよね。それなのに隊商で働いてるなんて、すごいよね」

「……お前だって旅芸人の一員だろ」

 リヴィッドは一瞬、無視しようとしたのだが、それでも自然と言葉を返してしまった。それはやはり自分が会話の許可を与えてしまったためか――それとも薄暗闇の中でルルナが向けてきた、尊敬の眼差しのせいだったか。

 彼女はぶんぶんと首を横に振って、変わらぬ笑顔を浮かべていた。

「全然違うよ。わたしなんてまだ入団したばっかりで、ほとんど雑用だし。舞台の上でも、横の方でただ立ってるだけだもん」

「そんなもんだろ、子供なんて」

 吐き捨てるように、リヴィッド。けれどそこには同情心のようなものが含まれていた。それは紛れもなく、リヴィッドが日頃感じている不満そのものだったからだ。

 さらに続けて言いかけた言葉を、リヴィッドは寸前で堪えようとしたが……

「雑用ができなきゃ、まともな仕事だってできねえさ」

 それでも思わず溢れたものは、実のところ別の隊員から怒鳴りつけられた言葉の一つだった。それを口にするのには抵抗があったのだが――ルルナはそれを聞き、驚き、感心するように、大きな瞳を輝かせてきた。

 そしてさらに声のトーンを上げると、今度は前に回り込むほどに詰め寄ってくる。

「ねっ、休みの日ってないの? 休み時間とかさ。うちはお昼頃に少し、休憩があるの」

「ンなもんねえよ。昼は飯を食う時間だけだ。夜もせいぜいこの片付けが終わってから、寝るまでの間くらいのもんだ」

 ほとんど身体を密着させ、擦り寄るほどになったルルナに対し、胸中でしくじったことを悔い、舌打ちしながら、虫でも追い払うように腕を振る。しかしルルナはそれをひょいと避け、窮屈な荷台の中、器用に立ち位置を変えながらも距離を変えず、矢継ぎ早に聞いてくるのだ。

「じゃあ、いつ終わるの? もうすぐ? あ、ご飯ってここで食べることになってるの?」

「あぁもう、うっせえ! ちょろちょろすんな! ンなことされるから終わらねえんだよ」

 ついには怒鳴って犬歯を剥き出してみせると、ルルナもようやく一歩ほど飛び退いた。片足だけで着地すると、わざとらしく両手を広げ、軽そうな体重のバランスを取ってから、けれどやはり懲りることはなかったらしい。

「つまり、大人しくしてたらすぐ終わるってこと?」

「さあな。そうなってから考えてやる」

「わかった! それじゃあわたし、着替えてくるから。それまでに終わらせといてね」

「なんにもわかってねえだろ!」

 叫ぶ。が、その時には少女は既に荷台から飛び降り、本当に着替えに戻ったらしかった。嘲笑うようにはためくカーテンを見やりながら、リヴィッドはとうとう舌打ちを外に出した。

「ったく、なんなんだよ、あいつは……」

 しかしそう呻きながら、心中にはどこか、別の感情が湧いているのも自覚していた。煩わしさと同時に、一種独特の高揚感がある。

 それは――後輩を躾ける快感だったかもしれない。

「なんだか大変そうだね」

 と、カーテンの隙間を縫うように、現れたのはフレデリカだった。

 リヴィッドが驚き、恥らい、淡い感情に胸を高鳴らせる中、彼女は可笑しそうに息を漏らすと、外――それもきっと、ルルナが走っていったのだろう方向を見やりながら言ってくる。

「歳の近い相手なんて珍しいんだろうさ。あんたの方が上ではあるだろうけど、ね」

 そうしてリヴィッドの方に向き直る。その瞳は夕刻の薄暗さのせいか、どこか懐かしむような、あるいは一種の翳りに似た不可解な色を窺わせた気がしたのだが、

「ちゃんと年上の自覚を持って接してあげるんだよ」

 フレデリカは微笑むと、ひらひらと軽く手を振り去っていった。

 何も答えられないまま――そもそも何か答える隙をあえて与えないようにしていたのか。その理由もわからなかったが――リヴィッドはしばしぼんやりと、今度こそ誰もいなくなったカーテンを見つめていた。緩やかに吹く風が、薄く汚れているそれをはためかせ、ちらちらと外の景色を、暗い夕陽に染まった町の姿を垣間見せてくる。

「お待たせ! もう終わったよね?」

 その風景に、息を切らせたルルナが飛び込んできた。

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