第10話

 日が明けて、チーニャは自宅の玄関内で目を覚ましたことに疑問を抱いた。

 そしてしばし、がんがんと殴りつけられるような頭痛の中で、はたと思い出す。少年に引きずられて家に辿り着き、扉を開けたところで放り捨てられたのだ。

 足首の辺りに、まるで扉に挟まれたような痛みと、踵には硬いブーツで蹴り付けられたような痛みがあったが、それもその際のものだろう。

「あぁ、そうか……私、振られたんだった……」

 真っ先に口に出たのは、そんな言葉だった。というよりチーニャにとっては、酔いが覚めた今となっても、他に考えるべきことがあるとは思えない。煉瓦造りである自宅の、狭苦しい板張りの廊下をずるずると這うように進んで自室を目指しながら、チーニャは深い後悔に苛まれていた。

 ブリンクノアは小さな町だ――少なくとも十七年前、自分が生まれた時からそうだった。再開発がどうだとか、刃の根の除去がどうだとか、色々な話は聞くものの、それは自分にとってどこか遠いものでしなく、ただ大した娯楽のない小さな町というだけだ。誰しもがなんらかの陰鬱な欲求不満を抱え、それを発散する場所に困窮している。

 そんな町で、なによりの娯楽であり、心を安らがせるものといったら恋愛しかない――そう考えるのは、この町ではさほど特別なことでもなかった。

 しかし小さな町では、そのチャンスが巡ってくる回数もそう多くない。現実に自分の知り合いの女は、二十五歳を超えた時点で既に完全な独身生活に陥ってしまっている。日々を仕事と酒、あとは決して成功することのない減量に費やしている。

 自分はそんなことになど、なりたくなかった――昨日、酒に溺れていたのは別として。

「とにかく……身体を洗って、着替えなくちゃ。それから謝りに行こう。絶対、許してもらわなくちゃ……他の男なんて、もうみんなに取られちゃってるんだから」

 呻きながら部屋の前に辿り着くと、ドアノブに手をかけてどうにか立ち上がる。

 家に両親がいないため様々な準備を自分ひとりで行う必要があったものの、酒を飲んだ手前、それは幸運だった。きっと例の、二十五歳を超えた独身の女――俗に姉と呼ばれる女がいる、青年団の事務所へ行っているのだろう。

 台所でも覗けば、それを記した書き置きが見つかるはずだが、見る必要はない。今までも何度か見たことがあり、何度も同じ内容だった――『お酒を飲んで暴れたみたいだから、なだめて、引き取ってきます』

 着替えを手に入れると脱衣所へ行って服を脱ぎ、風呂場に入る。そこは本来ならば湯気が立ち込めて視界が塞がれているのだが、今は火を焚く時間も惜しいため、ひやりとした灰色の石造りである、狭苦しい浴室の様子が浮き彫りになっていた。

 浴槽に溜まっているのも今は単なる水である。しかし身体はまだ熱を持っていたため、丁度いいとそれを浴びた。頭から爪先まで、桶一杯分の水で一気に冷やされる。

 それで多少は気を落ち着けて、チーニャはさらに意識をハッキリとさせた――

(そういえば……あの子、名前なんだっけ?)

 ふと思い出したのは、自分を家まで運んでくれた少年のことだった。

 名前を覚えていないのは聞いていないからなのか、忘れただけか。姿形は記憶している。初めて見た子供だった。

(お礼くらい言うべきなんだろうけど)

 見た目だけで探し出すのは骨が折れるし、聞き込みをするにしても、尋ねた人に事の経緯を詮索されたら恥ずかしい――彼氏に振られたことまで知られてしまう。

「まあ、いっか……こんな小さい町だし、そのうち勝手に会うよね」

 礼はその時に言えばいい。チーニャは気楽にそう考えて……

 その時、奇妙な音が聞こえてきた。

 玄関から飛び込み、どたどたと勢いよく家の中を走り回る音だ。両親が帰ってきたのかと思うが、違う。音はしばし家中を駆け、いくつかの扉を乱暴に開け放ってから、とうとう風呂場にやって来た。そしてやはり、扉は引き剥がされるように強く開け放たれて――

「チーニャ! てめえ、どういうつもりだ!?」

 入ってきたのは、左頬にガーゼを当てた――恋人の男だった。

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