第20話

 またも、理解のできない話だった。リヴィッドはしばらく、少女の顔をじっと見つめたほどだ。彼女は一体、何を言い出したのか。自分が森を止めている――?

「何を馬鹿な」

 反射的に出てきた言葉は、同時にリヴィッドの心中の全てでもあった。馬鹿げている。彼女の祖父が掲げる理想と同じように。

 ただ、サヤはそう言われることを予想していたのかもしれない。顔を上げないまま、自分の手か、足か、あるいは地面かを真っ直ぐに見つめながら、言ってきた。

「わ、たしは……お祖父ちゃん、に……憎ま……れて、るから……」

 それは最初、異様な話下手の少女による、またしても全く無関係の内容であるかのように思えた。さらに言えば、いまひとつ辻褄の合わない、矛盾した話だということにも気付く。

 彼女の祖父は、孫娘を溺愛していたはずだ、と。

 しかしそうした疑問を全く無視して、サヤはさらに話を続けてきた。

 次に語られたのは――彼女の両親の死についてだった。

 ただ、彼女はやはり話が下手なのか、それともあえて、その死の原因や、有様について避けているのか、ほんの短い言葉で事実を伝えてきただけだった 

 しかし少なくともサヤの母は、夫の死に関するなんらかの実情を知るや、サヤ曰く、”おかしくなってしまった”らしい。

 また祖父は同じく嘆き悲しみながらも、それを堪え、我が娘を慰め、なだめることに全てを費やしたようだった。

 その甲斐がなかったと言ってしまうのは、あまりにも乱暴かもしれない。しかしサヤ自身は、まるでそうであるかのようにあっさりと、母はその後すぐに命を落としたのだと伝えてきたのである。

 ただ――今度はそこに秘められたなんらかの実情に、祖父が気を狂わせたようだった。

 そして二人が死に際に抱いていた、サヤの作った鉄製のお守りを理由に、サヤの呪いあると、憎しみをぶつけるようになったのである。

 二人の死は、よほど凄惨なものだったに違いない。そのため祖父の怒りや、恨みもまた、凄絶なものとなった――

 そうした感情の極地が、祖父に一振りの刃が生み出させたのだろう。

 あらゆる悪辣な怨念、邪心、悪意の魂が込められた刃……それはある意味で、彼の長年の理想を叶えたのかもしれない。

 それは、全てを切り裂く狂刃だった。

 近付くだけで四肢を断ち、人も、物も、果ては世界そのものですら。祖父の恨んだ全てを切り裂く、憎悪そのものだった。

 曰く。それが守り神の大樹を、『赤い森』へと変貌させたのである。

「だ、から……わた、しが……止める」

 サヤの声は相変わらず小さく、たどたどしい。しかし強く。

「お祖父ちゃ、んの……理想……人、を守る……け、んを作って……私が……止める、の」

「何を、馬鹿な」

 リヴィッドは、以前に吐き出した言葉を繰り返した。

 ただ、その心中は大きく異なっていた。信じがたいことは変わらないが、何かが、大きな予感か、暗示めいたものが、自分の中に湧き始めていたのである。

 だからこそリヴィッドは、サヤとは反対に弱々しくなりながら、それでも懸命に否定しようとして続く言葉を口にした。

「そんなこと、あるはずねえ。そんな刃が存在するはずねえし、だいたい、てめえの祖父ちゃんが赤い森を生み出したなら……お前は百年以上、生きてるってことじゃねえか」

「そう」

 異常なほどあっさりと、サヤは頷いてきた。

 リヴィッドは息を呑まされた。彼女が返してくる言葉は、なおさら信じがたい突飛なものであると同時に、心中の予感を射抜くものに他ならなかったのである。

「私は……お祖父ちゃん、の作った……刃で……世、界から……切り離、された……」

 赤い森が生まれた時。

 大地に無数のおぞましい草葉が生え盛り、木の根が鋭い刃を持ち、瞬く間に村の人々を斬殺し、村そのものを滅ぼし、世界を切り裂いていった。

 ほんの幼い少女はそれを間近に見ていた。村の人々の死も、村の破滅も。夕暮れの中、祖父が大樹の下で孫娘に怨嗟を叫びながら、自らの刃に切り裂かれる様も。

 サヤだけが残った。

 血と夕陽、そして怨念……サヤは世界から切り離され、それら赤色の中に取り残されたのだ。

 ――それが祖父の望んだ死なのだろうと、彼女は語った。

 永久に、死と破滅の満ちる赤い森に生きさせることで、憎しみを晴らそうとしているのだと。

「…………」

 リヴィッドは愕然としていた。

 途方もない、とても容易には信じがたい話は、しかし信じずにはいられない気配を帯びていた。それは彼女の言葉に篭る、なんらかの強い意志によるものだっただろう。

 彼女の語る突飛な話が、しかし真実でなければ説明できそうにない。それほどの鬼気迫る、揺らぐことのない決意の感情を意識させられたのだ。

 サヤはそれを、最後に語った。

「私は……お祖父ちゃんに、ばっかり……辛い、思い……させたくなか、った……」

 呟くような声である。それを落とす時、彼女は自責の念にすら駆られているようだったが――

「悲しく、て……どう、しようもない……気持ち、吐き出せるなら……私は、それ、を、手伝い……たかった。お祖父ちゃんが……それで、少しでも、悲しみ……を、拭えるなら。だから――」

 その目に決意の色が宿っていることに、リヴィッドは気が付いた。ただしそれはおぞましいほどに深い、狂気的な赤い色に染まった決意だ。

「私が、お祖父ちゃん、にとって……憎しみを……ぶつけ、られる相手に、なるのなら……それでも、構わない」

 それはリヴィッドにとって、恐怖に他ならなかった。

 恐るべき祖父の憎しみに対してではない。サヤの決意に対してだ。

 彼女の話を信じてしまうと……自分の失意や憤りが酷くちっぽけなものだったように感じられてしまうのだ。

 この赤い森でひとり、発声もおぼつかなくなるほどの孤独の中、百年もの歳月、どころか、これからも続く永久――その苦痛がどれほどのものか、リヴィッドには想像することもままならない。

 思い付くことができるのは、チャネルベースで見た狂った男のことだけだ。一歩間違えば、ここへ辿り着く前に、自分もそうなっていたに違いない。そしてここに少女がいなければ、この場で狂っていたかもしれない。

 ましてそこで、敬愛していた者の裏切りを感じ続けなければならないのだ。ルルナやチーニャ――あるいはフレデリカも含めて、自分を裏切った者たちへの怒りに任せて森へやって来たリヴィッドにとっては、想像するだけでも苦悶に喘がされるものだった。

 けれど彼女は、その中にあっても決意を揺るがせることがないのだ。

 一点の曇りなく生きる少女――リヴィッドは自分の心臓が大きく脈打ち、手足が”焼けるように”凍り付き、眼球が大きく揺さぶられるのがわかった。

 震えているのだろう。狂気的なまでに純真を保ち、理想を追う少女に。自分の触れていた現実とはかけ離れた途方もない惨状と、その中でも純真な意志を持ち、前を向き続ける彼女の存在に。

 少年はそれを素直には認められなかった。だからこそ、少女に問うた。

「なんで……そうまで守りたがるんだ? こんな世界、滅んだっていいはずだ。俺は、そのためにここに来たんだ!」

 少女はそれに答えようとしたのかもしれない。口を開きかけて――けれどリヴィッドはその声が聞こえる前に、覆い隠すように叫んでいた。

「祖父ちゃんのためって言うんだろう、お前は。苦しんで狂った祖父ちゃんを救ったつもりになりたくて。けどそんなものはただの偽善だ! 理想を真似てるだけで、本当に人を守ろうとしてるわけじゃないってことだからな!」

 それは紛れもなく、ただ自尊心を守るためだけの言葉だった。

 リヴィッドもそれを口にしながら、自分の心を何かで斬りつけているような、吐き気を催すほどの自己嫌悪と罪悪感に苛まれるのを自覚していた。

 すぐに言葉を撤回し、謝罪するべきだったのだろう。けれどそれができなかった。

 それをしてしまえば――つまり少女を認めてしまえば、逆に自分が否定されることになる。そんな気がしてならなかったのだ。

「私、は――」

「……!」

 その瞬間、リヴィッドは駆け出していた。これ以上、気高い少女の言葉を聞かないように、踵を返して逃げたのだ。

 来た道を引き返すことは、意外なほど難しいことではなかった。がむしゃらに逃げる。

 ただその途中、刃の根を避けなければならず、無我夢中であるはずにも関わらず、それを正しく行えることに憤りを覚えた。

 自分は罪悪感にすら夢中になれないのか、と。

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