第27話
フレデリカは、町について調べているとのことだった。現状を見て回り、後学と同時に今現在でも対応できる商品、商売はないかと模索するのだという。
リヴィッドは、それに同行しないかと誘われた。すぐに戻っても怒鳴られる時間が延びるだけだし、自分と一緒であれば戻ってから叱責されることもないだろう、とのことだ。
「どうせ今は大した仕事なんかないしね」
悪戯っぽく笑って、そう言ってきたのである。
実際、その推測は正しいだろうし、断るのも不自然だろうと合意し、リヴィッドは彼女と共に町を歩くことになった。
今までどこにいたのかと聞かれ、運送業者と共に町の西側を回っていたことを話すと、ならばと彼女は足を南の方角へ向けた。
「それで、どうだった? 町の様子は」
歩きながら、フレデリカはいつも通り気のいい表層で話しかけてきた。気さくな微笑を湛え、いかにも幼い少年を甘やかす姉といった雰囲気の顔を向けてくるのだ。
以前ならばそれに心癒され、安堵し、拠り所として自分も頬を綻ばせていただろう。ただ……今はそんな気持ちにはなれなかった。
あの夜、彼女が言っていた言葉を思い出してしまう。フレデリカの顔を見るたび、声を聞くたび、それが頭の中で反響して激しい鈍痛を与えてきた。
「リヴィッド? 大丈夫?」
「あぁ、いや……どこも変わんねえよ、この町は」
顔を覗き込まれ、リヴィッドは恥じらいとは違う、居心地の悪さから目を逸らして答えた。
フレデリカはそれを訝ったようだが、一度首を傾げただけで深くは追求してこなかった。あるいはなんらかの不愉快な出来事があって、それを気に病んでいるのだと思ったのかもしれない。彼女はそうした気を紛らわせようとしてか、話を変えたがったようだ。
辺りをざっと見回して、話題になりそうなものを見つけたのだろう。通り過ぎる大きな石塊を目で追って、行く先にある小さな石塊に目を向けて、
「刃の根って言われてるけど、これって結局なんなんだかね。もう百年も経ってるんだし、そろそろ効果的な除去方法くらいわかってもよさそうなもんだけど」
「……調査器具が壊れるから、そもそも研究できてないんだよ」
リヴィッドはそれに、ほんの少し前にスレインから聞いたばかりの話で答えた。
さらに地中から採掘される不可解な鉄との関連性についても語ると、フレデリカは意外そうな、感心するような顔と声でそれを歓迎したらしかった。なるほどなるほどと呻ってから、しかしまた首を傾げる。
「けどそんなに不思議なものなら、もっと研究家が集まって大都市になってもいいってのにね。不思議なものなら食いつくのが研究家ってもんだと思ったけど」
これにもリヴィッドは、スレインからの知識で返答した。森の奥へ侵入する困難さについては、漠然と言葉を濁して、脅威だけを伝えるに留めたが。
ともかく、それらを披露したことでフレデリカはいっそう驚いたようだった。
「あんた、意外に博識だったんだね。うちの連中は商人のくせに短絡的な馬鹿ばっかりだし、こりゃ将来有望かもしれないね」
「別に……人から聞いた話だ」
「知識なんてのは人から聞くもんさ。それを覚えてるかどうかが大事なんだよ」
快活に笑うと、彼女は賞賛して頭を撫でてきた。
そこに喜びだとか、高揚感だとかを感じなかったわけではない。リヴィッドは確かに、胸の中に得意げな感情が湧くのを自覚していた。
しかし同時に――ひねくれた心が、こんなものはただのお世辞だと伝えてくる。本当はこれくらいのこと、全て知っているのではないかと思えてしまったのだ。
以前にはフレデリカにだけ感じられた安堵が、今では正反対になっていることに、リヴィッドは気付かされていた。彼女の前では不信感ばかりが募ってしまう。それは紛れもなく、あの夜に聞いた言葉が原因なのだろう。
理不尽だ、と思わなくもない。自分自身に対して。
少なくとも表面上は自分に優しく接するフレデリカに、たった一度の言葉だけで、こうまで疑り深くなってしまうなんて。他の者には、もっと多くの傷を与えられているはずだというのに。
ただ、そう思っても心中を御することはできなかった。リヴィッドは彼女と共に歩きながら、しかし密かに一種の自己嫌悪に陥る苦悩に喘ぎ――
その時だった。
ふたりの耳に、大きな物音が聞こえてきた。巨大な何かが地面に叩きつけられるような轟音である。一瞬、地面までもが揺れたのではないかと思える。それくらいの衝撃音だった。ちらほらと見つけられる町の人々も驚き、何事かと辺りを見回している。
「あっちの方だよ、行ってみよう」
フレデリカに扇動され、リヴィッドもそれには断る理由なく続いて走り出した。
向かったのは町の、さらに南東――赤い森の方角だった。リヴィッドはそこへ近付くと、ぞわぞわした後ろ暗い感情が湧き上がったが、幸いにして森の中ではないらしい。
森の手前に土煙が見えた。紛れもなく、音の発生源だろう。駆け寄ると、濛々とした土煙で輪郭をぼやけさせているが、どうやら廃屋のようだった――と同時に、リヴィッドにだけは気付くことがあった。そこはあの夜、森へ入る直前に隠れ潜んだ場所なのだ。
もっとも、それは奇妙な偶然でしかないだろうが……嫌な胸騒ぎを抱きながら見守っていると、やがて土煙が晴れて全貌が見えてくる。
木の根のような植物に絡まれた、赤茶色をした煉瓦造りの崩れた、比較的新しく見える廃屋である。二階建てだが、その二階部分が崩れ落ち、一階部分の三分の一ほどを巻き込みながら、瓦礫を地面に散乱させている。
「なんだ……崩れただけみたいだね」
不穏な出来事ではないことが判明し、フレデリカは緊張を解いて肩をすくめた。
実際、廃屋の一部が崩落することなどさほど珍しくもないだろう。まして森との境界付近に家を建てる者は少ない上、石塊のおかげで隣接することもなく、被害はあくまでも単独である。野次馬たちがちらほらと集まってきているが、やはり怪我人などはいない。
「意外といい煉瓦を使ってるし、どうせなら廃材回収もさせてもらえないもんかねえ。刃の根が絡み付いてるし、面倒臭そうだけど」
商魂たくましいと言うべきか、崩れたばかりの廃屋にひょいひょいと近付いて、瓦礫を探るフレデリカ。いくつかの煉瓦をどけたところで下に刃の根が現れたらしく、慌てて手を引っ込めていたが。
ただ、リヴィッドはそんなことよりも疑問を抱いていた――あの夜。赤い森に侵入したあの夜のこと。その時、この廃屋にこれほど植物が絡んでいただろうか?
暗がりだったから気付かなかったのだろう、と言われればそれまでだ。実は場所が違っていて、これは別の廃屋だと言われても納得する他にない。実際、境界付近をざっと眺めると、別の廃屋を見つけ出すことはできた。
しかしリヴィッドはそれでも、得体の知れない胸騒ぎがするのを止められなかった。
視線を森に向ける。まだ昼間だが、それでも黒々とした壁として広がる、赤い森。ほんの手前の僅かまでしか光が届かず、奥は到底見通せないが――思い出すことはできる。
そしてその記憶の中に浮かぶのは、今も森の奥にいるはずの、そして今も鉄の音を響かせているはずの少女、サヤの姿だった。
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