第23話
スレインというのが、この容姿端麗な男の名前である。
民営の大手運送会社に勤めており、この町に訪れたのも社の命令によるものらしい。赤い森の被害で世の中が混乱する中での俊敏な立ち回りによって成り上がったため、今でも赤い森に関する業務を定期的にこなしている、とのことだ。調査団を導くために損害も厭わず協力したとも言われ、チャネルベースにも一種の縁があるらしい。
またスレインの方も「ここは競争相手もいないし気楽だよ」と満足げだった。
一方でリヴィッドは御者台の上で、がたがたと揺れながらゆっくりと流れていく、代わり映えしない景色を見やる振りをしつつ、そうした運送業の男を横目にちらちらと観察していた。
といって、彼が何か怪しい行動をしたわけではない。適当に天気や町の印象、隊商への賞賛を口にしたくらいで、あとはほとんど押し黙り、荷馬車が揺れる音を聞いていただけだ。
しかしそれでは間が持たなかったのか、それともリヴィッドの視線が、本当に素行調査のように思えたのかもしれない。彼は身の潔白でも証明するように、片手を広げて話してきた。
「この近くに、アンバスって村があったのは知ってるかい?」
「いや、知らねっす」
「そっか……無理もないね。僕が、今のキミよりも小さかっただろうって頃になくなった村でね。僕はその村の出身なんだ」
唐突だが、世間話のようでもあった。ちらちらと横目にリヴィッドを見ながら、一応は前を向いて馬を操りながら、彼は話し続ける。
「ここと同じで赤い森が近かったせいだろうね。ここよりはマシって程度の規模だけど、刃の根の対策は不十分で、むしろここより危険だったくらいさ。なにしろ――」
と、スレインは片手でズボンの裾をめくり上げてみせた。丁度、リヴィッドの座る左足側だ。その足首の、甲の側から踵にかけてに、真っ直ぐな深い裂傷が刻まれていたのである。腱を掠めているようにも見えたが、彼が歩いているところからみて、辛うじてそれは避けられたのだろう。しかしそれを差し引いても痛々しいものだった。
スレインは、リヴィッドがそれを確認したことを見て取ると裾を戻し、また話し始めた。
「子供の頃にできた傷さ。一時はこのまま歩けなくなるかと思われていたし、奇跡的に治った後も完全には塞がらなかった。まして今でも、不意に強く痛むことがあるくらいだ」
「……それなのに、身体を使う輸送業を?」
「不合理に思えるかもしれないけど、むしろ大部分の時間――つまり移動時間はさほど足を使わずにいられるからね。思ったより、この仕事は身体に合ってるんだよ」
苦笑のように言う。
さらに彼は「それに……」と何か言いかけたようだった。しかし直前で思い留まったらしい。そこから先は口に出さず呑み込むと、別の言葉を発してきた。
「それに、そんな子供時代だったせいで、色んな場所に行ってみたいって思いがあってね。地理学や地形学、もっと広げて鉱物学なんかも学ぶようになって……それが高じてって部分もあるかな。研究がしたいわけじゃなかったしね」
するとスレインは揺れながらゆっくりと進む馬車の上から、閑散としているようでも、繁忙としているようでもある赤い森の町をざっと見渡して、
「学んだおかげってわけでもないけど、ここに住む人たちの気持ちもわかるよ」
どこか感慨じみた様子でそう言ってきた。
「赤い森は多くの謎に包まれている。代表的な刃の根なんか、何十年も研究が進んでいない。調査器具が破壊されるから、なんて理由だけどね。森の地中からなぜか採掘できる鉄鉱石との関連は見い出せるけど、こっちはこっちで刃の根を使っても加工できないくらい頑丈で、これも研究は捗らない。森の奥へ行くのも困難ときて、結局のところ赤い森の発生原因や、その正体については何もわからないまま、関心を持っても手が出せないものとして多くの研究家が放置している現状さ。ただそれは、裏を返せば多くの研究家が、条件さえ整えば調査したいと考えているってことでもあって、ここにいる人たちはその代行というか――」
喋り始めると、彼は止まらなくなってしまった。次第に熱がこもる様はむしろ研究家じみていると思えなくもない。リヴィッドはそう感じ、どこか唖然と、御者台の隣に座って滑らかに口を動かす美男の横顔を見つめていた。
と、その視線に気付いたスレインが、ハッとして言葉を止める。
「……ああ、ごめん、ついね」
「いや、別にいっすけど……博識なんすね」
「まさか。こんなのは子供騙しみたいなものだよ」
そんな話をしていると、どうやら目的地に着いたようだった。
町の西端辺りである。相変わらず民家と石塊が雑多に並び、西の街道へ続いていると思われる道、というより一続きの隙間を見つけることができた。
スレインはそうした風景の中から、一軒の民家の近くに馬車を止めた。一般的な切妻屋根をした、煉瓦造りの二階建てをしている。玄関の脇に一際大きな石塊があるのは、住民があえてそうなるように家を建てたからだろう。おかげで馬車を横付けできないが。
御者台から降りて、スレインは家へと向かった。すると中から若い女が出てきて、甲高い歓声を上げたらしい。なにやら興奮気味に話をすると、一つの荷箱と小さな包みを渡してくる。スレインはそれらを受け取ると、笑顔で手を振って馬車まで戻ってきた。
女はいつまでも玄関前でうっとりした顔をしてこちらを見つめ続けているが、それを気にせず、受け取った箱を荷台に置くと、また御者台に乗ったところで改めて女に手を振り、来た方角へと引き返し始める。
「……なんなんすか、一体?」
「これが仕事だよ」
聞くと、彼は笑顔で即答してきた。
「運送する荷物を預かってるんだ。昨日までに町中で営業をかけていたからね。今度はその収穫ってところかな」
あとはこのまま宿の方へ戻りながら、その道中で同じように荷物を受け取っていくらしい。そして宿に戻ったら本体の馬車に荷物を積み替え、それが全て終わったところで別の町へと運送する。時には同じ町の中での運送を行うこともあるらしい。
そうした話を聞き、リヴィッドはいまさらながら彼の、というより運送業の仕事内容を理解した。スレインが言うには、隊商も本質的には同じ業種らしいが。
「ところで、それは?」
理解したところでふと気になって、リヴィッドは小さな包みの方を指差した。こちらは荷台に置かないようだが――
「これは仕事とは別の、個人的な差し入れだって言われたよ。おにぎりを作ったから食べてください、ってさ。よかったらキミも食べるかい?」
「……いや、それはたぶん俺が食べたらダメだろうし」
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