第33話

 荷台にはもうひとり、賊の仲間が潜んでいたらしく、馬車を挟んで左右での戦いになる。もちろん数の上では、隊員の方が相手の三倍はあったが、

「運送野郎が逃げるぞ! 止めろ!」

 隊員の声が響き、何人かが馬車に向かうことで、数の優位はそう大きなものにできなかった。ましていかに屈強とはいえ商人や整備職人である隊員たちと、戦いに慣れている上に必死の盗賊とでは、数の差があっても圧倒はできない。

 スレインも御者台の上から、張り付いてくる隊員を蹴落とし、馬も操って抵抗し、次第に隊列からずれて移動し始めている。

 さらにそうして時間をかけていると、陽動をしていた盗賊たちが集まってきた。同時に隊員もやって来るが、それによって乱戦はさらに混沌としたものになった。

「商材よりまずは女とガキを守れ! 買い直しはできねえぞ!」

「馬鹿言え、両方守れねえとでも思ってんのか!」

「商人如きが舐めたことを!」

「馬だ、馬を止めろ!」

 そんな怒号が飛び交う中、リヴィッドは馬車が移動したことで生まれた空白――分断された戦闘の中央に立ち、隠れるべきか、加勢するべきか、だとしたらどこへ、どのような加勢をするべきかと混乱していた。一対一や、自分ひとりでの無謀に突進するだけならまだしも、敵味方が入り乱れ、激しく動き回る中では、闇雲に殴りかかることもできなかったのである。

 まして盗賊は、どうやら短剣を携行しているらしく、備えていた隊員たちは各々鉄の棒やらなにやらで武装しているが、リヴィッドは全くの丸腰だった。近付けば、下手をすれば隊員の方の一撃を受けるかもしれない。

 かといって自分だけ逃げるわけには……

 などと堂々巡りの思考で立ち尽くしていると。

 背後から、猛烈な勢いで地面を蹴る足音が聞こえた。

 振り返る。そこにいたのは当然だが隊員ではなかった。周りを囲むランプに照らされた、黒尽くめの男だ。最初に見つけた男ではないかと思ったが、全員が同じ黒い布で身を包んでいて見分けが付かない上、そんな悠長なことを考えている場合でもなかった。

 唯一覗かせた双眸には明らかな敵意、どころか殺意の赤い色がこもっていた。腰に据えた銀色の短剣の輝きが妙に美しく見え、同時におぞましい狂気を感じる。

 あと二歩。そのくらいの距離になるまで、リヴィッドは喫驚に呆然としていた。

 そしてようやく、逃げ出さなければと気付いて身をひねる。それは明らかに遅すぎた。ほとんど横へ転がるようにした脇腹を、賊の刃が切り裂いたのである。

 リヴィッドは悲鳴を上げたかもしれないが、喧騒にかき消されて自分の耳にも届かなかった。ただ異様に熱く、そして次の瞬間には凍てつくような冷たさが全身を駆け巡る。

 咄嗟に手を触れさせると、そこにどろりとした不快な液体の感触が伝った。手の平がべっとりと赤く染まったのが、見ずともわかる。即死することも、気絶することもなかったのは、しかし襲いくる激痛を考えれば喜べもしなかった。

 まして悲鳴を上げ続けて転げ回り、気を紛らわすこともできなかったのは、盗賊が再び自分を狙って振り向いたからに他ならない。手にした刃に、自分の赤い血がべっとりと付いているのを見て、リヴィッドは眩暈を覚えた。

 刃は人を殺す。当たり前のことだ。しかしリヴィッドはその時になってようやく、それを正しく理解した気がした。殺される側になって、だ。

(死ぬのかよ、俺は)

 それは途方もない恐怖だった。その先に何があるのか、何もないのか。何もないなら……それはどういうことなのか。一瞬のうちに、凄まじい量の思考が頭を埋め尽くして、それが全て恐怖に変わっていくのだ。

 これほど恐ろしいものを――と、リヴィッドは愕然としていた。

 こんなものを、あの森の中に潜む少女は間近に見て、触れていたのである。それがどうして、笑えるというのか。彼女はぎこちないながらも、なぜか笑顔を見せていた。こんなにも恐ろしい、死が満ちた赤色の中で、だ。

 自分自身が死に触れたことで、それがなおさら信じがたいことだとわかる。それこそが、彼女が世界から切り離されたという証ではないか。たった一つ、祖父の意志という繋がりだけを残して、他の全てを失った姿ではないか、と。

(人を守る剣……)

 不意にその言葉が頭をよぎる。サヤの祖父が求めたもの。そして今は、サヤが求めているもの。全く同じはずの、けれど正反対の刃――

 唾を吐き、リヴィッドは辛うじて立つ足で後ずさった。激痛に息を喘がせ、悲鳴も上げられないというのに、うるさいほどの自分の呼吸を聞きながら、視界はぐらぐらと揺れていた。膝が震え、そもそもそうでなくとも、逃げ場はないと気付く。数歩ほど下がったと思える頃、その背中が馬車の荷台にぶつかった。

 同時に、賊が突進してくる。刃に付いた自分の血の滴る様が、妙にハッキリと見える気がした。もう避けられない。しゃがむこともままならなかった。次の瞬間、賊の姿が消える。自分が倒されたせいだと、リヴィッドは直感した――

「何やってんだよ、あんたは!」

 しかし違うと、その声で理解する。霞みかけた目を見開かせると、賊が荷箱の直撃を受けて膝を付いているのが見えた。さらにそれを癖毛のタングスが蹴り倒している。

「ほら、さっさとこっちに!」

 そしてまた先ほどと同じ声が、先ほどよりも焦った様子で声をあげ、次の瞬間、リヴィッドの足は宙に浮き、唐突に後方へと引き寄せられた。

 その背中が、どんっと何かに受け止められる。突如として仰向けになった視界に映ったのは――荷台の幌の天井だった。そしてその横から人の顔が入ってくる。フレデリカだ。

 どうやら彼女によって荷台に引っ張り上げられたらしい。安堵した顔で言ってくる。

「盗賊の商材になりたくなかったら、今はしっかり隠れてな。どうせあと五年もすれば、嫌でもあっちに駆り出されるんだ」

「え、あ、あぁ……」

 リヴィッドは呆然として生返事を返し……そこでようやく、自分が助けられたのだと気付いた。すると次の瞬間には、直前まで自分を襲っていた死の予感や恐怖が、理不尽なほど急激に退いていくのを感じる。そして代わりに、未だ小さな破裂を繰り返すような動悸が別の意味――フレデリカに助けられたことに関する複雑怪奇な感情として湧き上がってきた。

 そうしたことに忙しかったせいで、自分の状況を正しく整理するのはかなり遅れた。自分が傷を負っていることを思い出したのも、彼女がそれに気付いて驚いた後だった。

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