第42話
「サヤ!?」
声を上げ、駆け寄る。荷車が廃屋の残骸を踏み抜き、がたんっと大きく飛び跳ね、その衝撃が腹部にまで伝わったが、痛みを感じている暇などなかった。
彼女の傍らまで辿り着くと荷車を手放し、少女の身体を抱き起こす。仰向けにしながら触れると改めて、その身体が無数の裂傷を負い、血を滴らせ、怪我による熱を篭らせているのがわかった。
反対にリヴィッドは寒気を覚えながら、目を閉じた少女の頬を軽く叩き、懸命に呼びかける。
「サヤ、大丈夫か! おい、サヤ!」
「リ、ヴィッド……」
何度目かの声で、彼女は薄っすらと目を開けた。震える声はいつにも増して弱々しいが、それでも安堵感を抱く。気を失うのはよほどのことだが、それでも最悪の事態ほどではない。
しかしサヤは絶望を色濃くさせていた。
「どう、しよう……わ、たし……」
そう囁くと、震える傷だらけの腕でリヴィッドの服を掴みながら、視線を向けたのは別の方向だった。リヴィッドもそれに倣うと、そこにあったのは――サヤが自作したと自慢していた、鎚打ち機である。
ただし以前とは違い、下から切り裂かれたように破壊されている。
「これは……どうしたんだ? 何があったんだ?」
「わか、んな、ぃ……」
彼女は小さく、首を横に振った。曰く、リヴィッドがこの場を離れて少しした頃、突如として地面が揺れたかと思うと鎚打ち機が砕かれ、サヤも全身を裂かれるような痛みを受け、気を失ってしまったらしい。
話を聞いたリヴィッドが詳しく見てみると、機械のあった地面には、深淵から魔の手が顕現したかのように刃の根が姿を現し、サヤが椅子にしていた瓦礫をも貫いていた。恐らくはそれが機械を砕き、サヤを傷つけたのだろう。
「これがな、いと……剣も、作れな、い……このままじゃ、わ、たし……何、も、できない。お祖父ちゃんの、理想……叶えら、れない……!」
「サヤ……」
ほとんど慟哭するような彼女を腕に抱きながら、リヴィッドは自分の瞳が大きく揺さぶられるのを感じた。それは衝動のようなものだったのかもしれない。
リヴィッドはサヤの身体を、できる限りまともな石床が残る地面に横たえさせると、引いてきた荷車の中からいくつかの道具を引っ張り出した。
「……リヴィ、ッド……?」
そして首を傾げるサヤの腕を取ると、引っ張り出した救急箱を開け、治療を始めたのである。
「俺は救護班の仕事も任されてたからな、簡単な治療くらいはできる」
手際よく血を拭い、薬を塗り、包帯を巻く間、リヴィッドはそう話した。
「せいぜい応急手当みたいなもんだけど、少しは痛みも減るだろ。そしたら――俺に教えてくれ。お前の作った、鎚打ち機の作り方を」
それを聞き、サヤは混乱したように目を丸くし、驚いた声を上げた。いや、不慣れな彼女の喉は実際のところ、ただ息を漏らしただけだったが。それでも彼女は喫驚を主張するように、口をぱくぱくと大きく開閉させてきた。
リヴィッドはそんな彼女とあえて視線を合わせないようにしながら、照れがむず痒くさせる口をどうにか制御し、続けた。
「工具も材料もあるからな。俺が直す。直して、また剣を作れるようにする。俺は整備班の仕事も任されてたんだ、やってやれないこともないだろ。だから――」
そこまで言うと、包帯を巻く手が自然と止まってしまった。
その先は淡々と告げるつもりだったのだが、そうするのはひどく困難で、無意味なものに思えたのだ。だからむしろ精一杯に、自分も彼女のように、強い意志を抱くつもりで言葉を紡ぐ。
「諦めるな。あの刃を防げるだけの剣――人を守る剣を作るのがお前と、お前の祖父ちゃんの理想だったんだろ?」
サヤの驚く顔が見えた。こちらをじっと見つめている。それを見つめ返して。
「俺も力を貸す。お前の理想のために」
告げると、彼女は少なからぬ沈黙を挟んだ。動揺し、信じがたいという思いの瞳だ。ただ、そこには純真な色が戻りつつあるように思えて、リヴィッドはそれだけでも嬉しかった。
彼女の沈黙は、治療のおおむねが終わるまで続いた。何を考え込んでいるのか、悩んでいるのか、リヴィッドはその理由に考えを巡らせ、時に不安を抱きもしたが……
「ど、うして……?」
やがて震える唇が、掠れ掠れのたどたどしい、か細い声を発してきた。
最後の包帯が巻き終えられると、彼女は上体を起こして、控えめにリヴィッドの服を掴んだ。
「そん、なに……私を、助けてく、れるの……? 嫌わ、れてる……と思、ったのに。こん、な世界……滅んでいい、って……言っ、てたか、ら……」
「最初に会った時は、そう思ってた」
リヴィッドは震えているような少女と向かい合い、言葉を返した。
「けど、そうだな。お前のおかげで変わった」
「私の……?」
「俺は今、誰かを殺したいなんて思ってねえ。むしろ逆だ。いい奴はもちろん、嫌な奴も、あくどい奴も、全部含めてな」
サヤや彼女の祖父と同じように、人々を守りたいというほど大それたことは言えなかった。まして彼女のように自ら世界を守るために奮闘するなどとは、考えれば考えるほど途方もなく、現実感のない、馬鹿げた話に思えてしまう――世界を破滅させたいという願うと同じ程度に、だ。
自分にはそんな巨大な話を抱えるほどの余裕などないと、リヴィッドは自覚していた。しかし同時に、自分が誰かを助けることでなら、それに与することができる気がしたし、それを躊躇いたくはないとも思っていた。
ルルナやチーニャ、スレインのような顔が頭に浮かんだとしても、それは変わらなかった。
そして浮かぶ顔は次々と変化して隊員たちの顔や、町で見かけただけの人々のおぼろげな顔になっていく。
自分は今まで様々な者の、様々な姿を見てきた。表と裏というほど簡単なものではないが、まだほんの少ない数の、まだほんの一面でしかない。しかしそれでも、見てきたのだ。
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