第26話

 リヴィッドがそこまで執念を燃やしたのは他でもなく、ブリンクノアでの体験に基づくものだった。リヴィッドもそれを自覚していたし、そうすることでせめて自分の記憶の中だけでも過去を改変するか、ある種の気持ちの整理を付けたいと願っていたのかもしれない。

 しかし同時に、それだけではないという感覚も抱いていた。

 もっと別の、今朝も感じたような、自分でも掴むことのできない感情が渦巻いている。それは白く、黒く――時には赤いような、複雑怪奇な色合いで急き立ててくるのだ。

 リヴィッドはそれに従い、突き動かされるように奔走した。

 己の体験と違うのは、逃げ延びたことで弁解する準備の機会を与えられたということか。真っ先に向かったのは件の女のもとだ。彼女はスレインに心酔しきっていたのかもしれない。美男の運送業者が協力を頼むと、あっさりと真実を話すことに同意してくれた――だというのに、そもそも最初に誤解を抱かせたのはなぜか疑問だったが、今は無視した。

 さらにリヴィッドは次いで、証言者を集めた。それも誤解を与えた虚偽の証言者を探し出して嘘を白状させるのではなく、逆に潔白な証言をしてくれる者を集ったのである。

 これは驚くほど簡単に達成された。なにしろ町の女の多くはスレインの味方だったのだから。中には家に入ってから出てくるまでの正確な時間だとか、中で聞こえた会話や物音などを事細かに話す者までいたが……そのおぞましさも今は無視した。

 加えて、証言者が女だけということに不安を感じたリヴィッドは、自分たちが隊商や運送業という、外との交易を図る数少ない手段であることを強調し、いくらかの男を味方にした。その際、件の派手で厳つい男の後ろ暗い、盗賊の類との繋がりを仄めかす話を耳にしたものの、それを考慮したところで行動は変わらなかった――恨みを買うというのであれば、このままでいる方がよほど危険だからだ。

 以前には果たせなかった、またその暇さえ与えられなかった解決の好機に、リヴィッドは他人のことながら高揚感を隠せなかった。己の正義が成就されようとしている感覚は、やはり以前の口惜しい経験を上塗りするものに違いない。

 リヴィッドは得られる限りの全ての解決に足る材料を集めると、満を持してスレインと共に件の男を訪ねた。当事者である女、また証言者を連れて現れたふたりに、男は酷く困惑したらしい。「いまさら泣いて謝ったところで」と凄む男の声音には戸惑いの方が勝っていたし、そのおかげで解決を図る話し合いに持ち込むことが容易になったとも言える。

 あるいは単純に、多勢に無勢かもしれない。いずれにせよ主立って説得したのはリヴィッドであり、かき集めた証言を突きつけることで、男が納得せざるを得ない状況を作り出すことには成功したのである。

 ただ――そうした中で、謝罪を口にしたのはスレインの方だった。

 頭を下げ、誤解を招くようなことをした自分の責任であり、怒りを受けても仕方がないと言ったのだ。加えて、それに関する制裁であれば受けると申し出た。

 リヴィッドはそれに喫驚し、止めようとしたが――どうあれ、申し出通りにはならなかった。男は毒づきながらも「今回だけは許してやるが、次は容赦しねえぞ」と凄んでリヴィッドたちを追い出したのである。

 それが、事件の終結だった。

 スレインは安堵したように胸を撫で下ろし、女たちに礼を言って引き上げた。リヴィッドもそれに続いたが……

「こっちが折れる必要なんか、なかったはずだ。誤解を招くことをした責任なんかねえ」

「そりゃまあ、そうだけどね」

 ふたりで歩く道中、リヴィッドがもはや雰囲気ばかりの敬語すら忘れて不満を口にすると、スレインも肩をすくめて頷いた。

「でも、あの手の激昂してる相手を完全にやり込めるなんて、無理な話さ。話し合うなら、逃げ場を与えて折り合いをつけさせるのが一番だよ」

「俺は……」

 逃げることに関しては得意だからねと語るスレインに、リヴィッドは一種の劣等感めいた、罪悪感にも近いものを抱いた。あるいは恥か。自分が暴走し、前が見えなくなっていたかのような。

 ただ、スレインはそうした、バツ悪く顔を赤くする子供にも慣れているのかもしれない。軽く笑って、肩に手でも置くように言ってきた。

「キミのおかげで助かったのは間違いないよ。これで町を出た途端、妙な連中に絡まれるって心配は絶対になくなっただろうしね。ありがとう」

「…………」

 なおさら恥を覚えて、目を逸らす。そうしてまたスレインに笑われている間に、宿に辿り着いたようだった――馬車は既に宿まで運んである。

 スレインは、今日は疲れたから休むことにすると言って部屋に引き上げ、リヴィッドも流石にそこまでついていくことはなかった。ただ、その別れ際、

「逃げ方なんて後で覚えればいいさ。僕はもう、キミのようにはなれないしね」

 そう独りごちた声音は、確かに酷く疲弊していた。

 リヴィッドはそうした彼の言葉や、今日の出来事、自分の行動を噛み締めるように、しばし宿の前でぼんやりと立ち尽くしていたが……やがて踵を返した。

 頭の中でまた、竜巻めいた感情が頭の中で吹き荒れ始めている。その正体を掴もうとして、けれどどうやっても叶わないのは、妙な苛立ちだったが。

「あれ、リヴィッド?」

「?」

 隊へ戻ろうとする道中、声をかけてきたのは――フレデリカだった。

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