三章

第16話

■3

 チャネルベース。赤い森を眼前に据えたその町は、そう呼ばれていた。

 正式な名前ではない。町民たちが使う自称だ。ただし他に名前がないため、それが一般化している。というのも、そもそもそこは、国から町の認可を受けていなかった。しかし住民は頑なに町と呼ぶし、他の多くの者もそれを町と呼んだ。

「赤い森の町……」

 やって来た隊商を見て、色めき立ったり、どよめいたりするよりも、興味深げにじろじろと観察するという、他の町とは少し変わった反応を見せる住民たちの中、リヴィッドはぼんやりと町を眺めていた。

 実際のところ、それは村や集落といった規模に近い。地面は石で舗装されているなどということもなく、土が剥き出している。

 ただし元来のものというわけではなく、盛り土によるものだ。それによって下草を全て埋め尽くしたのである。さらにところどころに見つけられる石の固まりのようなオブジェは、地面から突き出た刃の根を覆い隠すためのものらしい。その数は少なくない。

 そしてそれらの石塊の機嫌を窺うようにして、民家が乱雑に建っている。一応、石造りや煉瓦造りをしているが、他の町で見かけるものよりどこか頼りなく見えるのは、災害を受けて捨てられた、大昔の廃屋を資材として取り込んでいるためだ。

 大通りのようなものはない。というより、明確な通りは存在しなかった。刃の根が規則的に並んでいるはずもないし、民家はそれを中心としなければならないのだから仕方ない。道はその二つより優先度が低くなり、偶然の産物として曲がりくねった、幅も一定でないものが生まれているだけだった。

 隊商は、そうした道の中では最も広い場所を見つけ出して設営を始めていた。か細い街道から入って、市壁の代わりに街道から続く林が囲っているという町の、入り口に近い辺りだろう。

 隊は道の北側に馬車を寄せ、向かい側に建つ、好き勝手な方角を向く古びた民家と、半端な間隔を空けて点在する、大小様々な石塊を眺める形になった。

 しかし、リヴィッドが見つめたのはそれではなかった。

 それよりも、もっと先にあるもの――

「なんだよ、思ったより赤くねえな」

 呟いたのは商人のひとりだった。屋台を組み立てるための資材を運び出す途中、リヴィッドとは少し離れた場所で、同じ方向に目を向けたらしい。

 歩けば一日で全てを見て回れるだろうという、小さな規模の町。その奥にある森、あるいはさらにその深部。

 それこそが赤い森――百年前に発生した史上最悪の災害の、発生地に他ならなかった。

 しかし当の外観は、商人の言葉通り赤くなどなかった。鬱蒼とした背の高い樹木たちは、暗澹たる曇り空の下、せいぜいが不気味な暗黒の色に似た濃緑色をしているという程度である。

 それでも、そこが赤い森と呼ばれていることは間違いない。そして恐怖の代名詞であることも、また紛れもない事実だった。樹林など比ではない、世界を隔絶するようなおぞましい壁にも思える森の佇まいは、そうした一面ならばまざまざと見せ付けていると言えた。

「町には歴史があり、由来があり、それに従い住民がいる。こんな場所でもそれは同じだ」

 やがて設営を終えた頃。毎度のことながら出来栄えに頷く商人や整備班の前で、そう語ったのは隊長、マクファデンである。

 町は元々、森の中心地へ災害の原因調査団を派遣するため、無理矢理に切り拓いた場所らしい。か細いながら街道が通っているのも、そのためだ。その過程では多くの苦難と犠牲があり、赤い森も相まって怪談話には事欠かない。

 もっとも、その調査団の努力は実りを見せなかったわけだが――災害が止まり、彼らが引き上げて以後、物好きたちが勝手に住み着き始めたことで、町は現在の形になったのである。

 国は立場上、一応は立ち退きを命じているが、さほど不都合もなく、また場所が場所であるため、特にこれといった対抗処置が施されることもない、事実上の黙認状態となっている。

 住民の多くは訪れる隊商、行商との売買、自力での行商、研究書の出版や研究所との契約によって生活している。物好きなスポンサー契約によって成り立っている者もいる――赤い森の影響を受けたと思われる、珍しい植物や鉱物が採取できるのだ。

 しかし採取物の多くは日常生活の役には立たず、結果としてそこに集まっているのは物好きと悪趣味な連中ばかりということになる。

「つまり俺たちも、悪趣味の仲間入りってことか?」

 商人のひとりが皮肉げに言う。隊長は首を横に振った。

「馬鹿言え。こんな辺境だ、まともな物資は高く売れる」

「けど、買い付けもするんだろ?」

「この町以外にも、変わった趣向の連中はいる」

 別の商人の言葉にも、彼は即座に答えた

 そして最後に、「こんなところで商売なんかできるんかねえ」と心配する隊員の言葉を聞き、ふんと鼻から息を抜く。

「悪趣味と狂人は別物だ。でなければ町など形成する暇もなく、今頃は全員が森の奥へ入って発狂している――丁度、あの男のようにな」

 隊長はそう言うと、街の方へ目を向けた。

 石塊や民家が複雑な細道を何本も形成する中、森の方角に何人かの町民が集まり、漠然とした円形を作り出していた。その中心には、ひとりの若い男がいる――転んだのか、地面に伏せるように頭を抱え、何やら喚き散らしているらしい。耳を澄ませばその声も聞き取れた。

「赤い……赤い森だ! やっぱり森は赤かったんだ! あそこは、死の森だぞ!」

 酷く怯え、恐怖しきった様子でがたがたと喉を震わせながら、そう叫んでいる。

 町民たちはそれを遠巻きに見つめ、しかしこちらは怯えるわけではなく、特に年配の者たちはむしろ興味深そうに男の様子を窺っているようだった。

「森に入る者は不定期的に現れる。たいていは森の噂を軽視した者が、度胸試しと称する場合だ。そしてたいていが、ああやって恐怖に狂う。町の住民、特に望んで住み着いた者は、森に関するおぞましい噂話を信じている。だからこそ軽んじることなく、迂闊に森へ踏み入ることもしない。研究の類はその周辺や、せいぜいごく浅い場所だけだ」

 森の中に驚異的な、おぞましい何かがあるのは、竦み上がった男の様子を見れば明白だった。豪気で大雑把な隊員たちですら、その姿には怖気を抱いたに違いない。

 ただ同時に、森に潜むものについて気にならなかった者もいないだろう。それを単なる錯覚や見間違いが引き起こす安全なものだと思い込むか、噂されるような恐ろしいものであると信じるかが、狂人と常人の境界線だというのか。

 いずれにせよ隊員たちは、しばし息を呑んだようだった。しかしやがて、誰かが呟く。

「森に興味がない奴は入るけど、森を調べたい奴らは入らないってのも、妙な話だな」

「そんなことの方が多いだろう」

 場所柄か、町には異様に強い、土と草葉の悪臭が漂っている。リヴィッドは、まるで恐怖に狂う男がそれを発しているかと思うほど、いまさらにそれを感じ取った。

 男は未だ喚き散らし、悪趣味な常人たちの注目を集め続けている。

 その様自体、狂っていると思わなくもない。男も、それを見守る町民や、自分たちもだ。

 しかしリヴィッドは同時に、それもおあつらえ向きだろうと皮肉に独りごちていた。ぼんやりとそれを見つめていると、フレデリカが何か話しかけてきた気もしたが――それは耳に入らなかった。

 彼女の言葉を覆い隠すように、あるいは彼女の言葉自体が、別の言葉に変化する。

(森は一時眠っただけで、誰かが森の奥へと潜り、破滅を願えば動き出す――)

 少年は胸中で繰り返し、その御伽噺を呟いていた。

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