第17話
夜を待って、リヴィッドは動き出した。
隊商を抜け出し、土が剥き出しになった道ともつかぬ道を横切っていく。星の見えない真っ暗な、民家の明かりすら乏しいチャネルベースの町を駆ける。
手にはランプを持っていたが、火は灯していなかった。リヴィッドはそこへ向かう時、隊員はもちろん、町の誰にも見つかってはならないようが気がしていた。
止められるに違いないのだ――赤い森へ入るなどと。
リヴィッドは暗闇に紛れ、急ぎ隊を離れると、今度は石塊の脇にしゃがみ込み、周囲を確認してから次の石塊を目指して土を蹴る。そんなことを繰り返しながら進んだ。
目指すものが巨大であると、進むには楽だった。途中で見失わずに済む。次第に数を増していく石塊の中を縫うように、ふらふらと道順を変えながらも、森は少しずつその姿を間近に見せ付けてきた。
幸いなことに、誰とも遭遇することがなかった。そもそも娯楽など存在しない――ある意味では唯一にして最大の娯楽が森である町だ。その調査ができない時間に目を開けて、動き回るなど、住民にしてみれば愚かしい行為なのだろう。リヴィッドは警戒したわりにあっさりと森との境目に辿り着き、拍子抜けする思いだった。
それでも、その境目にある廃屋の陰に身を隠したのは、もはや手の届く距離にある森のおぞましい気配のためだったかもしれない。
リヴィッドはランプに火を灯した。最初に見えたのは廃屋の、赤茶色をした煉瓦の壁である。比較的新しいように思えるのは、誰かがここに家を建て、なんらかの理由で引き払ったのだろうか。日の浅い家を放棄するほどの理由など、そう多くは考えられないし、そのどれもが不吉なものでしかないが――リヴィッドはむしろ、それくらいで丁度いいと悪ぶって頬を引きつらせた。
森へ――あとほんの少し、何歩もないという距離に迫った恐怖の代名詞へランプを向ける。
そこはやはり、赤というよりは黒々としている。星明りのない空の下、なおさら不気味な気配を纏い、ほんの僅かな先も見えない黒一色を湛えているのだ。微かなランプの白い光など、一瞬のうちに飲み込んでしまう。
樹木は間近に見ればなおさら高く、その辺りの民家など縦に並べても届かないだろう。それが互い違いに隙間を消すようにして、壁としてそびえている。足元を照らすと、根っこは突き出していなかった。
リヴィッドはそこへ足を踏み入れようとする時、何も恐れることはない、ここは単なる森でしかないと思い込んで、勇気を奮い立たせなければならなかった。
そう自覚した時、皮肉に自嘲する――奇妙なものだった。森へ入ろうとするのは、そこが恐ろしく、異常でものであることを願っているためだというのに。
(そうだ、ここは単なる森じゃない。だから行くんだ)
リヴィッドは改めて意を決し、黒々とした森の中へと足を踏み出した。
(世界を破滅させられるってんなら、やってもらおうじゃねえか。誰も彼も死ねばいい……こんな世界、全部殺されればいい)
森の中は外から見た印象の通り、背の高い木々が密生し、原生林めいていた。
樹木それ自体は幹や枝、葉の形状からして、どこでも見られるようなありふれた常緑樹だろう。地面は腐葉土というほどではないが、湿った柔らかさがある黒々としたものであり、町と違って下草が生えている。
リヴィッドは森に足を踏み入れて最初、その下草に顔をしかめた。草は一般的な緑色をしているが、葉の縁が鋭く砥がれ、素肌でなぞれば裂傷を生むもののように見えたのだ。流石にリヴィッドの着ている厚手の作業着やブーツをずたずたに引き裂くほどの硬さがあるわけではないようだが、それでも触れるたびにざりざりと擦れる音が響くのはおぞましかった。
さらに地面からはところどころ木の根が顔を出しており、それこそが刃の根に他ならなかった。近付いてランプの光を当ててみると、形状は一般的な根と変わらないが、浮き上がった樹皮がそれぞれ無数の刃となっていることがわかる。近くに落ちていた石を拾い上げ、ぶつけてみると、石は硬い音を立てて跳ね、その表面には、くっきりと幾重もの切り傷が刻み込まれた。
リヴィッドはランプで足元を照らしながら、できる限り慎重になって奥へと進んでいくことにした。樹木に触れるのも避ける――その樹皮も硬質な刃と化しているに違いなかった。
森は空模様に加え、天蓋のように覆う枝葉のせいで、ほとんど完全な暗闇に閉ざされている。そのため黒い地面をほんの僅かに丸くくり貫くだけのランプ一つで木の根を避けるリヴィッドの歩は、かなりゆっくりとしたものになっていた。
ただ、それでも根気強く、あるいは捨て鉢の思いで進んでいく。
時間の感覚は、興奮のせいか半ば失われていたが、少なくとも足は疲労を覚え始めていた。
加えて、心底に微かな不安が生まれてくる。前方はもちろん、振り向いても暗闇が支配する森だ。道なきその樹木の中を、自分は無事に戻ることができるのか?
そもそも自分は、どこへ向かっているというのか――
破滅を願い、森へ踏み入れたところで、目指す先はどこなのか。
捨て鉢の心が足を進ませ、リヴィッドはそれに従ったが、一歩、また一歩と進むたび、様々な恐怖が自分の上に圧し掛かってくるような感覚に苛まれた。
しかし――それは不意に、別の恐怖に塗り潰されることになった。
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