第40話

 町へ戻った時、陽光は可能な限り木々の影を町に落とさないよう降り注いでいた。

 また一つか二つ、残っていた民家が赤い樹木の餌食となったようにも見えたが、リヴィッドはそれについて深く考えることはしなかった。

 今はそれを嘆いたり、悲しんだりしている暇もない。

 リヴィッドが隊商に近付いた時、そこでは多くの隊員が怪我を押して外に出ており、どうやらラバや輓具の補強を行っているようだった。

 その中のひとり――バンダナをしたミックがこちらの姿を見つけると、即座に爆音のような激昂した声が飛んできた。

「てめえ、何してやがったんだ!」

 それに反応して、他の隊員も一斉にこちらを向き、激昂は既にミックが行ったためか、代わりにざわめきながら集まってくる。補強の手を止めてまで様々な声を投げかけてきたことに、リヴィッドは例えその多くが罵声だったとしても歓喜を抱いた。

 しかし頬を綻ばせている暇すらなく、

「聞いてくれ、時間がないんだ!」

 リヴィッドはようやく辿り着いた彼らの前で立ち止まると、そこに響く全ての声を上塗りする心地で、上がりきった息で可能な限りの大音声を発した。

 そして実際の大きさというより、その感情や、あるいは息を切らせ、汗と血が滲むぼろぼろの身体を見たために、隊員たちは気圧されたようだった。一瞬にして静まり返り、何事だと怪訝に耳を傾けてくる。

 それを確認してから、リヴィッドは荒い呼吸と同時に語り始めた。

 森の中のこと、そこで見たもの、そこにいた少女、少女から聞いた話、今しがた見てきた惨状――そして少女、サヤの意志。その全ての事情を明かしたのである。

「…………」

 隊員たちはそれを聞き、しばしきょとんと目を丸くしていた。

 だがやがて、誰かの鼻で笑う声がした。

「ンな話、信じろってのか?」

 それを皮切りに、隊員たちは次々と馬鹿にしたような言葉を飛ばしてきた。

「今までいなくなってた言い訳がそれかよ!」

「妙なことが起こったからって、妄想も大概にしろ!」

「そんな馬鹿な話に付き合ってる暇ねえんだよ!」

 わかっていたことではある。当然の反応だろうと、リヴィッド自身も納得していた。しかしそれでも、リヴィッドは必死に首を横に振るしかなかった。

「世界を救うためなんて……口にすると、今ですら俺だって信じられなくて、馬鹿馬鹿しいほど恥ずかしい話だって思える。だからせめて、あいつを助けたい。それが赤い森を抑えることにもなるはずだ」

「いかれた女に騙されてるだけだっての! てめえ、前もそうだっただろうが」

「まさかこいつ、森の中に抜け道でも見つけたんじゃねえか?」

「そうか、それで適当な理由を付けて商材を持ち逃げしようってことか!」

 どれほど言葉にしても、やはり彼らは信じるはずもなかった。旅芸人やスレインの手口を見て、自分も同じことができると思い込んだに違いないという疑いを向けてくる者もいた。

 そして彼らは最後に必ずこう言うのだ。

「どうしても裏切りたいなら、ここを逃げた後にしろ! てめえはまだ隊の一員だ!」

 リヴィッドはその言葉に、彼らに対する感謝と苛立ちの二つを同時に抱かされ、竜巻めいたぐちゃぐちゃの感情の中で混乱させられた。もはや説得を諦め、隊が逃げるために尽くすべきかとすら思ってしまったほどである。

 ただ、それでも譲れない部分でリヴィッドは堪え、なおも食い下がろうとして――

「……戻ってきたのか」

 隊員の怒号も、口にしかけたリヴィッドの説得も、全てを飲み込むような静かな声は、マクファデンのものだった。

 隊員たちの奥からゆっくりと現れ、その男は彼らよりもさらに一歩前に進み出てきた。リヴィッドの間近で立ち止まり、大柄な体躯で見下ろしてくる。

 リヴィッドは反対に見上げながら、商人には全く不向きに思える鋭い双眸、その威圧感に思わず息を呑んだ。しかし退くわけにはいかず、滲む汗を拭って改めて説得を口にする。

「俺を信じてくれ。サヤを助けて、赤い森の災害を止めて、必ず戻ってくる」

「…………」

 隊長は沈黙した。その代わりとばかりに背後からは、再び隊員たちの疑う声が上がる。

 が、隊長は片腕を振るい、それを制した。そして静寂とした中で真っ直ぐにリヴィッドと視線を交わらせて――それを外さぬまま静かに、しかし背後の隊員たちに向かって言う。

「この中に、こいつの”お守り”をしたことがない奴はいるか?」

「…………」

 今度は隊員たちが沈黙を返した。

 誰しもが顔を見合わせて、該当者がいないことを確かめ合っているようだった。

 その時――リヴィッドは不意に気が付いた。

 思えば今まで、隊商内の全ての作業を経験してきた。そしてその中で、全ての隊員と顔を合わせ、共に作業をしてきた。自分は全ての隊員の顔や名前はもちろん、あれだけ嫌い、避けようとしていた彼らの素性、趣味趣向、悪癖までも知っているのだ。

 そのことにハッとさせられる。と同時に隊長は続けた。

「だったらこの中で、こいつがこの状況で、こんな馬鹿な話で持ち逃げを計画するほど、何も理解できない馬鹿に躾けた奴はいるか?」

 すると再び、隊員たちは顔を見合わせたようだったが――

「おい、救急箱はどこだ!」

「うっせえ、そりゃ俺に聞くな! 俺は今から工具を準備するんだよ!」

 誰かが声を上げるのと同時、それは瞬く間に怒号と行動の渦に変わった

「どっかにひとり用の荷車があったな? 管理してた奴は誰だ!」

「森の中なら補強が必要だろうが! 資材をこっちに回せ!」

「そういや俺が女から買ったあれ、使えるんじゃねえか?」

「はんっ、馬鹿もたまには役に立つもんだな」

「なんとでも言いやがれ。これで俺が正しいことは証明されたってわけだな!」

 取り囲んでいた隊員たちは一斉に散らばり、協力の準備を始めたようだった。

「…………」

 リヴィッドはその光景に、思わず呆気に取られていた。

 が、そうしていると頭上から隊長が、今度はこちらに向けて言ってくる。

「隊の出発は明日だ。お前は自分が、自分の仕事もこなせない馬鹿に育ったと思うか?」

「……礼は、言わない。けど感謝はしてる」

「そんなものはいらん。さっさと仕事を済ませろ」

 そう告げてから――しかし彼はふと思い出したように付け足した。

「ひとりで仕事を任せるのは初めてだな」

「スレインの調査に行かされた」

「……あんなものは、ただの社会見学だ」

 鼻を鳴らし、隊長は踵を返すと、隊の補強は手の空いている者が代われと指示を出し始めた。

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