第2話

 アンノトスと呼ばれるその町に着いたのは、予定通り二日後の朝のことだった。

 雲のない青空から注がれる陽光が、幌を通してでも感じられる。軽減された白い光が照らすのは、荷台に積まれたいくつかの木箱――これは商材ではなく、隊員の私物や隊商の資材などだ――と、それを背もたれにしながら談笑に花を咲かせる、隊員である商人たち、そして彼らに背を向ける形で荷台の最後部に座るリヴィッドの姿だった。

 かなり窮屈で、息苦しくも感じる中、リヴィッドはちらりとだけ振り返った。見えるのは三人の男。癖毛の男がタングスで、目の据わった面長の男がモーリス、首から鼻まで隠すマスクを着用しているのがロクシュウだ――と名前と顔を一致させてから、リヴィッドは胸中で苛立たしげに吐息した。

(全員まとめて、強面糞野郎って名前でいいだろ)

 それぞれに違う名前がある、そんな当たり前のことにも憤りを覚える。自分に対してやってくることは同じなのに、と。

 そうした憤りを振り払うように、リヴィッドは幌を少し押し退けて、揺れながら流れていく町の風景を見やった――リヴィッドが乗っているのは五番車であり、その後ろにもう一台の馬車が付いているのだが、流石に左右の視界までは塞がれていない。

 一般的な街並みである。石畳の道は、隊商の二頭立ての馬車が通るには十分な広さがあった。その脇にいる、物珍しそうな目を向けてすれ違う通行人を挟んで、奥にはくすんだ色をした煉瓦造りの家が整列している。大きさはまちまちだが、建築様式はどれも変わらない。たいていは二階建てをした切妻屋根で、一階には窓が二つ、二階には一つある。

 遠目にも汚れが目立つのは町自体の歴史を考えれば当然のことだが、中には異なる色の煉瓦を使って、壁面になんらかの幾何学的な模様を作り出している家も見つけられ、近代的な雰囲気を醸し出していた。

 ただ、最も特徴的――それも恐らく住民にとっては不本意だろう特徴は、そうした街並みが見受けられるのは、町の北、そして東西のみという点だった。

 隊商の通る道を境にして、そこから南側はまるで別世界であるかのような、朽ち果てた廃屋ばかりが並んでいたのである。

 元々は他と同じような造りをして、洒落た街並みの一角を担っていたことだろう。しかし今やそれは正反対のおぞましさを生み出し、町に漂う暗澹たる不安を暗示していた。

 全ての廃屋の壁には横一文字に、それら廃屋と同じように古びた板が打ち付けられ、それが通りに沿う形で、防護柵のように連なって伸びている。それは紛れもなく進入を禁ずる証だった。

(どうなってんだよ、この町は)

 リヴィッドは訝り、眉をひそめていた。するとその心中を読み取ったかのように、同乗している商人たちの話がそちらへとずれてきた。

「そういや、ここも相変わらず”刃の根”が残ってんのか?」

「そりゃそうだろうよ。そもそも、もう除去する気もないんじゃねえか?」

 珍しくも嘆息した調子の声だ。しかしリヴィッドはそれよりも、”刃の根”という言葉に反応して、眉をひそめたままで振り返った。

 しかしそれは最大の悪手だったに違いない。リヴィッドはすぐに後悔した。肩越しにちらりと振り向くのと同じタイミングで、癖毛の男、タングスが街並みを見ようとしてか、リヴィッドの方を向いていたのだ。おかげで一瞬だが視線が交差してしまい、その瞬間に男はニヤリと笑みを浮かべてきた。

「なんだ? まさか刃の根を知らねえのか?」

「あン?」

 不意な言葉と苛立ちによって、リヴィッドは一度、間を置く意味で聞き返す声を発した。それもまた悪手だったのだろう。癖毛のタングスは他のふたりも含めて面白がるように顔を歪めると、嘲る調子で続けてきた。

「刃の根ってのはな、昔起きた災害の一つだ」

 彼が語ったのは、大陸史上最大で、最悪の災害についてだった。

 それは現在からおよそ百年前のこと。ゼホリォという村が突如、深い森に覆われたのである。

 原因は不明だが、現実的な思考を持つ者は、急激な突然変異によるものではないかとか、辺境の村であることを利用した、なんらかの薬物実験の結果ではないかと囁き合っている。

 一方で空想深い人々の間では、その村に悪魔が紛れ込んでいたせいで罰が下されたのだとか、その悪魔が、村にある神樹に呪いをかけたせいだとか、様々な馬鹿馬鹿しい説が飛び交っていた。

 それは一応、ゼホリォの村に石をも斬り裂く刃を生み出す伝説的な鍛冶屋がいた、という噂に基づいているらしい。無論、そんなものは今まで発見されていないのだが。

 いずれにせよ――その村は、ほんの一夜にして消滅してしまったのだ。

 いや、実際に村がどうなったのかを知る者はいない、と言うべきだろう。なにしろその周囲には、鋭く尖った不可解な草葉が生い茂り、容易には近付くことができなかったのだ。

 そして、そこに生い茂っていた植物の中でも最も危険とされたのが、刃の根である。

「どこの根っこだから知らねえが、そこかしこの地面から顔を出しててな。表面の皮が細かい刃になってやがるおかげで、人だろうが建物だろうが、なんでも斬っちまうって代物さ。触るだけもこっちが斬られる上に、ろくに燃えもしねえし、除去するのが難しいってことで放置されてるわけだ」

 そしてさらに、森はその刃の根を従えながら、次第に範囲を拡大させていった。

 近くの町、あるいは遠方の町でさえも、突如として生えた刃の根によって切り裂かれ、半ば壊滅状態に陥った町も少なからず、その被害は一つの国に留まることすらなかった。その間、各国は様々な対処法を思案し、また森への突入作戦も立てられたが、全て失敗に終わっている。

 そうして森は何者にも封じられることなく、五十年もの長きに渡って多くの国を、大陸を切り裂き続け――ある時、それは不意に止まったのだ。

 原因も理由もわからない。突如として猛威を奮い、世界を切り裂き、拡大していった森は、また突如として動きを止めたのである。

 ただ、その爪痕は今も深く、様々な町に刻み込まれている。このアンノトスの町が四分の一ほどの面積を失っているのも、その一つに他ならなかった。

 そのため根源であり元凶とされる、ゼホリォを覆い尽くした森は、今でも恐怖の代名詞として人々の口に上ることがある。

 血や惨劇の意味を込めて、『赤い森』と。

「けど、怖がられてんのは昔の惨状だとか、今も被害が残ってるだとか、そんなことだけじゃねえ。赤い森には、噂があるんだよ」

 癖毛の商人、タングスはニヤニヤした顔を脅すように突き出して、言ってきた。

「賢人曰く。森は一時眠っただけで、誰かが森の奥へと潜り、破滅を願えば動き出す――そいつの破滅と引き換えに」

「…………」

 リヴィッドが押し黙ったのは、断じて恐怖に竦み上がったためではなかった。ただ、何も答える必要がないほどの下らない話だと判断しただけである。少なくともリヴィッド自身はそう確信していた。

 が、商人たちは三人ともが、そうして黙する少年を見て大袈裟に笑い出した。

 いったい何が可笑しいというのか。リヴィッドは不快の中で、思わず言葉を返していた。

「何が破滅だ。森は単なる森でしかねえ」

 ふんっと、こちらの方から笑い飛ばしてやる。

「誰が怖がるか。そんな御伽噺、子供だって信じねえよ」

 しかしそうすると、男たち一瞬きょとんと顔を見合わせた。そしてまた、なぜか可笑しがって笑い声を発し始める。

 リヴィッドはなおさら不快で、激昂すら覚えたが、先んじて癖毛のタングスが言ってくる。

「まあ、実際に見てみりゃいいさ。てめえも今回の行路は確認しただろ? ここを入れても町二つ、日数にすりゃ三十日くらいか――それくらいで、『赤い森』に着くんだからな」

 その頃、馬車がふと向きを変えた。その拍子に、がたんっと大きく揺れたため、幸運にも話はそこで打ち切られた。

 揺れの勢いを言い訳にしながら、リヴィッドがまた荷台から外を見やると――そこに見えたのは、元は十字路だったのだろう通りの、南へ向かう道が厳重に封鎖されている風景だった。

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