第32話
(賊の、仲間!?)
迂闊だったことを、リヴィッドは一瞬遅れて認めた。周囲の警戒を怠っていた。
そしてその一瞬の遅れ、油断が致命的であることも悟る。既に身体は宙に浮き、足を踏ん張らせることもできず、両腕を巻き込んで組み付かれているため、反撃に転じることもできなかった。辛うじて放った後ろ蹴りも、空中では大した威力にならない。目と口を塞がれ、声を出すこともできず、暗闇の中で、もがくだけになってしまう。
(まずい……どうすりゃいい!?)
自問するが、答えは出なかった。太い、大人の腕だ。ただでさえ荒事に強くない自分のこと、それを振り解けるはずもない。
そして手立てなく、混乱と焦燥に喘ぐうち、リヴィッドは組み付かれたままどこかへと運ばれていくのを感じた。
直感的に自分の末路――つまり人身売買の類が頭に浮かぶ。それは紛れもなく絶望だった。
(くそ! なんで……こんなんで終わりかよ、俺は!)
口惜しさに、せめてもの抵抗に暴れる。空中で懸命に後ろ蹴りを叩き込み、全力で相手の腕に反発し、口を塞ぐ手に噛み付く。少なくとも、それくらいの意志はあった。
もっとも実際には、ほとんど動いている感覚も得られないほどであり、ただの徒労でしかない行為だったのだが――
またしても不意。リヴィッドの両足は突然に地面に着地し、自分の身体を締め付けていた圧迫感が消え去った。視界が開け、夜の闇が見える。口が開き、声を出せるようになった。
まさか自分の抵抗が功を奏したわけではあるまい。リヴィッドはきょとんとして叫ぶことも忘れ、咄嗟に振り返った。
そこには――癖毛の商人、タングスが立っていた。
「な……?」
なんなんだと口にしようとするが、彼は人差し指を立て、静かにしろと伝えてきた。それに従い、解放された口を今度は自分で閉じる。
その間によく見てみれば、そこは見張りテントだった。灯された僅かな明かりが、リヴィッドの想像をかき消していくのが自覚できた。
「てめえはここで大人しくしてろ。すぐに終わるさ」
するうち、タングスは一方的にそう告げると、自分はテントの外へと走り出した。
わけがわからぬまま取り残されて……しかしリヴィッドは、だからこそ大人しくすることなどできるはずもない。
呆然としていたのも束の間、すぐに自分の為すべきこと、というより為したいことが頭に浮かび、それを実行するのに躊躇わなかった。
それはタングスを追って詳しい話を聞くことではなく、例の黒尽くめ男を追うことだ。そのためにリヴィッドは駆け出した。
テントから出ると、意外なほどの素早さで、タングスの姿は既に見えなくなっていた。そして同じく黒尽くめの男も、既に商材を盗み出した後なのか、五番車の中から消えている。
だがリヴィッドは、男が向かう先について直感していた。
唯一明かりの灯っていない、隊列の中央――スレインの馬車だ。
リヴィッドはそこに辿り着くと、先ほど見た黒い男が、積荷を運び込んでいるのを発見した。
御者台にはスレインが座っている。黒い男に気付いていないはずもない。というより、きょろきょろと忙しなく、警戒するように辺りを見回し、さらには駆け寄ってきたその男となにやら慌しく、秘密裏の会話を繰り広げているようだった。
「何をやってるんだ? 数が足りない」
「中身は人形だとか犬の置き物だとか、いかにも無価値な下らない物ばかりだ。どうなってるんだ。これがこいつらの商材なのか?」
「馬鹿な。商材の位置は隊の連中に確認したから間違いない。昨夜から今まで荷の入れ替えもされていないはずだ」
戦闘の喧騒に紛れて微かに聞こえるそれは、スレインと黒い男との関係や、その陰湿な正体を解き明かすものに他ならなかった。
彼らは盗賊の類で、商材を盗み出そうとしていたのだ。
リヴィッドはそれを確信すると、自ら彼らを捕らえようと決意した。相手はふたりだが、不意打ちで”足”であるスレインを取り押さえればなんとかなるだろう。応援を呼ぶのは、そうやって逃げ足を封じてからだ。でなければ、応援が来る前に逃げられてしまう。
タングスが近くにいればと思うが、ともかくリヴィッドは自らの策を実行に移すため、こっそりとふたりに忍び寄った。馬車の荷台を横目に、御者台へと回り込もうとして……
その時である。突然――ばっ、と周囲に光が満ちた。
何事かと驚いたのはリヴィッドのみならず、スレインと黒い男も同様である。三者とも、突然の光に目を細めながら、慌てて周囲を見回した。
そこに見えたのは、ランプを掲げてスレインの馬車を取り囲む、隊員たちの姿だった。
「なんだ……どういうことだ!?」
声を上げたのはスレインである。動揺し、あるいは絶望している声音だ。聞くまでもなく全てを察しているようでもあった。
それでも答えたのは――隊員の間を割って進み出てきた、とても商人とは思えない鋭い顔立ちをした隊長、マクファデンだった。
「碌な噂を聞かん奴と、碌な噂しか聞かん奴は、警戒するのが俺の流儀でな。”どこぞのガキ”から聞いた限り、お前はその両方だ」
無感動な表情を一切変化させることなく、彼はそう告げた。
「あいにくうちの連中は鼻が利く奴らばかりだ――残念だったな、盗賊」
軽く両手を広げると、種明かしでもするように語り始める。
曰く、出発の時点で秘密裏に隊列を入れ替え、商材が後尾にあるという間違った情報を与えておき、誘い込んだのだという。最初の騒ぎが陽動なことも見越し、泳がせている間に包囲を形成しておいたらしい。
暗闇に乗じるのは賊の専売特許ではない、と隊長は告げた。
「何もしないなら見逃すこともできたが、まさか馬車の中に仲間を隠しているとはな」
(隊長の野郎、また俺に教えなかったな)
スレインたちと共に自分を照らす光の中で、リヴィッドは犬歯を見せた。
ただ、今回は薄っすらとながら直感していたことでもあった。スレインには常になんらかの不信感を抱いていたのである。事が起きるまで確信には至らなかったし、それでは気付かないのと同じかもしれないが――少なくとも、さほど驚くことも、失望することもなかった。
「くそ!」
毒づくと、スレインは懐から笛を取り出し、ピーッと甲高い音を鳴らした。
それは恐らく、他の仲間を呼び寄せる合図だったのだろう。戦いの喧騒が僅かに変化したように感じる。具体的には、それがこちらへと近付いてくるのだ。
同時に、この場にいた黒尽くめの男が隊長へと飛びかかり――新たな戦闘が始まった。
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