六章
第36話
■6
赤い森。
それは実際に赤かった。
今までのような、見た目だけは真っ当な深緑ではない。リヴィッドだけが知っている、あの夜に見た森の光景と酷似していた。おぞましい赤色をした木々が、家や石を砕きながら、好き勝手にチャネルベースの中へと侵食していたのである。
辛うじて空はまだ赤くないし、地面も、建物も元の色合いを保っている。ただ、原生林じみた背の高い樹木によって覆われた空は薄暗く、目の前に広がるおぞましい赤い色がなおさら強調されるようでもあり、リヴィッドはぞっと背筋を凍らせ、言いようもない不安と恐怖に駆られた。
隊員たちもそれは同じだったに違いない。誰しもが混乱し、恐れていたのだ。
「三日前、地面が跳ねるような衝撃を感じた直後、町にある石塊がいくつか破壊されているのが見つかった――」
怪我を負っていない整備班のひとりが言ってきたのは、町で集めてきた情報である。治療を受けている者を除き、十人近くの隊員が一つの馬車に集まってそれを聞いていた。リヴィッドは無理を言って、その中に混じった。
「二日前には、外出していた住民が突如として負傷した。そのほとんどが足だ」
自分たちと同じである。何人かの隊員は、傷の残る自分の足を見下ろしていた。
「そして昨日、町の中に赤い木が生い茂って、町を森へと変貌させた。それは凄まじい勢いで、地面が裂けていくと思えたほどらしい」
その結果が現状だと、彼は言った。
原因は全くの不明である。誰も、何もわからない。ただチャネルベースは、真に赤い森に取り込まれてしまったのである。
報告によれば、残っているのは隊商の辿り着いた西の街道際と、正反対にある東の街道付近以外にないらしい。町の人々は逃げ出したか、負傷して逃げるに逃げられず、僅かに残された町の残骸とも呼ぶべきいくつかの民家に身を寄せ合い、恐怖しているのだという。
リヴィッドは荷台からちらりと顔を出し、改めて周りを見やった。
街道から町に入った直後の、辛うじて残された空間である。確かにあれだけ見つけられた石塊は存在せず、代わりにそれと同じ場所に刃の根が生えるか、あるいはおぞましい赤色をした背の高い常緑樹が生えていた。
賑わうことこそないが、確かに人の営みがあったはずの民家も、今はただの瓦礫と成り果てている。完全に崩れ去ったものもあれば、一部を樹木に削り取られ、半ば同化しているものもある。それはなおのこと無残で、森の侵食を強調するものだった。
木々の隙間に遠く見えるのは、スレインへおにぎりを差し入れした女の家だろうか。玄関からは人ではなく、曲がりくねった木の幹が突き出し、屋根の代わりに枝が伸びている。
あの女は逃げたのか、今もこの近くで恐怖に竦み上がっているのか。スレインに歓声を上げていた他の女は、森の調査や採掘へ向かっていた者は、因縁を付けてきた男は。逃げられたのか、竦んでいるのか。それとも……
「おい、どうすんだよ、隊長!」
「今すぐ街道に戻るべきだろうが! こんなとこ長居できねえぞ!」
「落ち着けよ! 今から戻ってもどうなるってんだ。歩いてるうちにまた足が切れるぞ」
「ンなもん、ここにいたって同じだろうが!」
「だからまずはラバの足と車輪の補強をするべきだろ!」
「やってる時間がねえってんだよ! だいたいてめえはいつもそうやって――!」
「そもそもこうなったのはだな――!」
一度誰かが声を上げると、それに続いて様々な議論や、単純な怒り、愚痴が入り混じり、瞬く間に膨れ上がっていった。
ただ、いずれにせよ隊員たちの意見は、可能な限り早くこの場を離れるべきだ、ということで一致しているのだろう。後はその『可能な限り早く』というのが、いつなのかということだ。
実際、すぐに移動するべきだという言葉も、準備をするべきだという言葉も間違っていないだろう。隊長は両者の意見を聞きながら、苦悩しているようだった。
リヴィッドも同じくその両者の意見を聞きながら、自分はどちらに賛同するべきかと考えていた。考えて――けれど自分でも馬鹿馬鹿しいほど悠長な方向に、思考が飛んでしまうのだった。
(サヤは……どうしてるんだ?)
森の中の少女。
彼女はこの状況を知っているのだろうか。
紛れもなく、この奇怪な天変地異の原因は赤い森にあるのだ。ならば彼女と無関係ということはないだろう。しかし、彼女がこれを引き起こしているとは考えにくかった。
サヤは言っていた。
赤い森を発生させたのは祖父の刃であり、自分の剣がそれを止めているのだと。
だとしたら……これが赤い森の再発だとしたら。
(サヤに、何かあったっていうのか……!?)
突如、馬車の外で大きな音が響いた。隊員たちが咄嗟に身構え、カーテンの近くにいた隊員は慌てて外を覗き見る。
リヴィッドも同じく、音のした方を見やった。そこでは小さな民家がまた一つ、木によって破壊されたところだった。
恐らく地面から生えてきたのだろう。家の中央を貫くように赤い樹木が伸びている。
それはまるで、鋭い刃が身体を貫き、赤い血を滴らせているようで――
「……!」
リヴィッドは反射的に、外へ飛び出していた。
何を考えたのか、その瞬間には自分にも全く理解できなかった。隊員が制止に叫んだようだったが、それも耳に入らない。もはや脳を介す必要もないといわんばかりに、傷の痛みも忘れて身体が勝手に動き、駆け出していたのである。
ただしそれほど咄嗟にも関わらず、しっかりと赤い樹木の間をすり抜け、生え盛る刃の根を丁寧に飛び越えて――向かう先は当然、森の奥深く。
サヤのいる、ゼホリォの村だ。
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