第31話
次の夜は、上り坂が終わり、間もなく下り坂になろうという平坦な頂上で迎えた。
……もっとも。その坂はそれほど長かったわけではなく、本来ならば既に下りきっている頃だったのだが、酒盛りで暴れた整備班の操縦ミスに加え、バンダナ男のミックの点検漏れが発覚したため、半日分ほど予定が遅れることになったのである。
ミックは、仕事を増やす罰は無闇に疲労を蓄積させ、失敗を増やす原因になる非効率的なものだ。とインテリぶって言い訳していた。
一方で若い整備班の操縦ミスは前日の酒によるものではなく、たまたま踏んだ地面が凹み、ラバが足を取られたことによるものだったので、不運とも言える。他の整備班に言わせれば、それに対応するために自分たちが専任しているはずだ、とのことだが。
いずれにしてもリヴィッドは自分の作業を終えると、この日は酒盛りに顔を出すこともなく最後尾の馬車に戻り、そのカーテンから顔を覗かせていた。
空に雲がかかり、星のほとんどを消している。おかげでどこまでも暗闇で、微かな明かりがあるのは、馬車よりさらに後方に設置された小さな見張りテントくらいだ――棒の上に布の天井を張っただけでもテントはテントである。
とはいえ見張りが必要なことなど、実際にはほとんどなかった。相手が隊商だとわかれば、盗賊はまず襲わない。割に合わないからだ。よほど貧困して自棄になっているなら別だろうが、それほど切羽詰った連中が、このような辺境に留まっているはずもない。おかげで見張りは、どちらかと言えば野生動物への警戒という意味合いが強い――ただしここでは赤い森の影響か、その類も見かけないのだが。
(赤い森の影響で、動物がモンスター化したなんて噂もあったな)
ぼんやりとそんな与太話を思い出しながら、森の方へと目を向ける。
頂上で止まったというのは、リヴィッドとしては幸運なことだと言えた。そこからはまだ、遥か遠くにだがチャネルベースの町を見下ろせる――暗闇に包まれているため、姿が見えるのではないが、そこにあるのはわかるのだ。
そして同時に、その南方に広がる巨大な黒々とした森も、だ。
むしろ高所だからこそ、森の奥深い場所にまで目を向けられる。そこは上から見ても赤い色など一切存在しないが、自分が絶望しながらも慎重に歩いた道のりを考えれば、――空間が歪んでいるのでなければと突飛なことを考えてしまうが――町から遥か離れた場所、というわけでもないはずだった。
そこに、少女がいる。
今も剣を作り続けているはずの少女が。
リヴィッドはどうしても、彼女のことが頭から離れなかった。そして思い出すと同時に、あの時の自己嫌悪が再燃し、さらに全く別の、心底が熱くなるようなもどかしさを抱いてしまう。
そうした苦悩を振り解くことができず、リヴィッドは悶え苦しんでいた。けれど彼女のことを考えるのは、どうしてもやめられないのだ。
もう一度会いたいとさえ思う。あの、異常なまでの真っ直ぐな瞳に――
(俺は……憧れてる、のか?)
ふと、リヴィッドはそう気付いた。
どこまでも真っ直ぐで、純粋な瞳。不気味な森の中、おぞましい赤い色と、それにまつわる全ての惨劇を知りながら、それでもなお揺らぐことのない決意を持った瞳。それに憧れ、焦がれているのではないか、と。
自分にはない、強固な一本の意志に羨望を抱いているのだ。怒り狂っているはずの時ですら慎重になり、恐怖して逃げ出す時ですら足元に注意を払うような、散漫な自分が。
何かに一心不乱になり続けたい。そうでなければいけない気がしてしまう。
(俺も、サヤみたいに……)
その時だった。
「敵襲ー!」
不意に、隊商全体に大きな声が響き渡った。
リヴィッドは驚き、慌て、転がるように馬車から落下した。どうにか体勢を立て直しながら声の方向を探すと、それはすぐに見つかった――一番車だ。そこから断続的に、酒盛りとは全く違う荒々しく騒がしい声と、物音が響いている。武器を持って殴り合うような音だ。
(戦闘!? まさか、盗賊が!)
気付いた頃には、他の隊員たちは既に加勢へ向かっているようだった。リヴィッドも驚愕しながら、急ぎ駆け出す。暗闇だが、一番車には明かりがあり、それを目指した。
が――
隊列の中央辺りまで来ると、リヴィッドは馬車を挟んだ向かい側に、自分と逆方向へ向かう人影を見つけた。
逃げてきた隊員かと思ったが、明らかに違う。人影は助けを求めるものでも、怪我を引きずるものでもなく、まるで闇に潜むことを目的としているような動作だったのだ。
不審に思い、リヴィッドはそれを追って引き返した。荒野めいた固い砂と土の道で、戦闘の喧騒に紛れて足音は微かなものだったが、注意すれば聞き分けることができる。それは商材を積んだ五番車の前で止まった。
顔を覗かせると、闇に慣れた目で辛うじてだが、その輪郭が浮かび上がる。まさしく暗闇に紛れようとする、見知らぬ黒尽くめの格好をした男だ。それが素早い動作で荷台に飛び乗り、中でごそごそと何かを漁り始めたようだった。
(……こっちが本命か!)
一番車での戦闘は陽動なのだろうと、すぐに悟る。隊員たちが出払ったところで、実行犯が商材を盗むという算段に違いない。
リヴィッドはそれを止めるため、すぐさま荷台へ向かった――いや、向かおうとした。
しかしその身体は、不意に背後から現れた太い腕によって引き戻された。
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