四章
第22話
■4
隊商がチャネルベースの町に到着してから、二度目の朝を迎えた――到着した日は既に朝とは呼べない時間だったが、それを含めれば三度目か。
いずれにせよリヴィッドは身支度を終えると馬車の荷台から降り、外へ出た。店の準備は既に始まっており、いつものように隊員たちの怒号が聞こえてくる。
しかしその中に、いつもと少し違う雰囲気のやり取りがあった。
馬車から少し離れ、北の方角から聞こえてくる、小さな声だ。といっても距離があるためであり、実際には大声での怒鳴り合いだっただろうが。
「おい、てめえまたやりやがったな!」
「な、なんのことだ? 俺は何も知らんぞ!」
リヴィッドは馬車の裏へ周り、声の主たちを見やった。食って掛かっているのが面長で目の据わった男――モーリスで、動揺しているのが左腕にバンダナを巻いた男、ミックだろう。
未だ呆然とした、わけのわからぬ心地だったせいか、リヴィッドはその会話を聞き続けた。
「しらばっくれてもわかってんだよ! 昨日の買い付けはてめえだろうが!」
「だから俺は鉄の大量購入なんか知らねえって! ましてこの辺りで採れる、鎚の方が割れちまうせいで加工はできねえけどなんとなく珍しいっぽい鉄なんて買わねえよ!」
「やっぱりてめえじゃねえか!」
ミックは、なぜバレたんだというような驚き顔をしたようだった。モーリスの方は、それを見て呆れ顔で項垂れている。
「どうせまた女に騙されたんだろ。その悪癖はいい加減に直さねえとまずいぞ」
「馬鹿言え! あの子は純粋ないい子だぞ。悪い男に騙されて困ってるってのを、俺が助けてやったんだ。そんでお礼に鉄を格安でだな――」
「うっせえ馬鹿! 頭にでかいこぶまで作りやがって! どうすんだよ、このままじゃすぐにバレちまうぞ!」
「ま、まあ待てって。こういう時は誰かに押し付けちまえば……」
ミックは辺りを見回し始めたようだったが――
リヴィッドはその気配を察し、既に踵を返してそこから立ち去っていた。矛先を向けられ、余計なことに巻き込まれるのはまっぴらである。ただ、
(また……これだ。この感覚)
醜い争いと、姑息な魔の手から逃れながら、しかし心中には昨日感じたものと同じ、不可解なまでの動揺が走っていた。
内蔵がねじれ、骨が歪み、脳が渦を巻いているような感覚。自分が今、地面の上を飛んでいるのか、空の下を掘っているのかわからない。それくらいに大きな混乱だったのである。
ただしそれは同時に、奇妙な高揚感でもあった。
---
なんとか気を鎮めながら、リヴィッドはチャネルベースの町を歩いていた。
隊商が店を出す町の入り口から、中央へ向かっていく。かといって街並みがそう変わるわけではない。濃密な緑の臭いに包まれた町は、各々が自由に、刃の根を封じる石塊が邪魔をしない場所に家を建てているため、郊外や繁華街といった概念に乏しいのが原因だろう。
ただ、こうした場所であるにも関わらず、建物の数は多かった。それが町に、曲がりくねりながらも四方八方、好き勝手な方向に伸びる土道、というより石と建物の隙間を作り出している。
反対に人の数は多くないらしい――つまり空き家が多いのだ。辺境での研究や採取というのは、そう簡単なものではない、ということなのだろう。
それでも朝陽の下には、そうした研究や採取に向かうのだろう町民を見つけられる。いかにも学者風である痩躯の老人や、つるはしやハンマーを担いだ重装備の屈強な男などだ。
リヴィッドは、そうした町の風景をきょろきょろと見回していた。
とはいえ観光をしているわけではない。隊員は順番に休暇を貰い、その時に停泊している町で遊び回る権利を得ることがあるが、リヴィッドはブリンクノアでの失態からそれを剥奪されている――本来ならば下されなかったはずの処罰を、自ら懇願したのだが。
リヴィッドは隊商としての役目を与えられていた。町にいる、ある男のもとへ行けというのだ。
それは、このチャネルベースから次の町までの間、隊商に同行することになった輸送業者らしい。隊長から直々に、その男が忘れていったものを届けるように、とのことである。
しかし――肝心の忘れ物というのは、単なる一本のペンだった。
リヴィッドは最初、わざわざそんな下らないお使いを、と思いかけたのだが――ふと、隊長の向けてくる目を見て気付くことがあり、すぐに承諾した。
隊長はペンを届けることと男の所在以外には何も言わなかった。しかしその実、それを口実として、隊商以外の人間と交流してこい、ということだったのだろう。リヴィッドはなんとなしにだが、それを察することができた。
辿り着いたのは、町の中央からやや東寄りにある、比較的小さな宿だ。主に少数か、単独の旅人などはそこに泊まるのだろう。こんな場所に単独でやって来る物好きがいるのかと思うが、逆にこんな場所に来たがる者がそう多いとも思えないので、正しいのかもしれない。
外観は土や樹の薄暗い色を模し、赤い森のおぞましさに調和していた。一階の酒場――これが主な収入源なのだろう――を抜け、二階にある男の部屋を訪ねるため、最低限の採光しかない薄暗い廊下を前にすると、彼は丁度よく部屋から出てくるところだった。
リヴィッドが声をかけ、名乗ると、
「……隊商からの使い?」
しばしの間を空けてから、その男は首を傾げた。
男にしてはやや長めの金髪をした、典型的な美男である。歳は二十を超えた頃だろう。隊商の整備班と同じようなマント姿であり、飾り気はないのだが、その美貌とスタイルの良さによって今めかしい雰囲気を醸し出していた。
ただ、男はその端整な顔にどこか不安そうな、警戒するような色を浮かべて尋ねてくる。
「何か……契約に不備が?」
「いや、これを届けろって言われたんすけど」
あっさりと否定し、リヴィッドは曖昧に敬語の雰囲気だけを出した声音でペンを差し出した。
男は一瞬、面食らったようだった。しかし直後、今度は安堵した様子で笑い出す。その声すらも、美男に相応しい清涼としたものだ。
「はは、なんだ。道理でキミみたいな――いや、わざわざありがとう」
言いかけた言葉は簡単に察することができたが、リヴィッドは気にせず言葉を続けた。それは隊長に指示されたことではないが、
「あとついでに、仕事の見学でもさせてもらえればと思って。俺は……まだ経験が浅いもんで。後学のためにってことで」
男はこれにも一瞬の間を置いたが、今度は笑顔を崩さなかった。むしろ面白がるように、
「僕の素行調査ってことかな?」
「そんなわけじゃねっすけど」
「はは。なんにしても、構わないよ。丁度今から仕事に行くところだしね」
彼はあくまでも美男らしく爽やかに、承諾してきた。
そうしてリヴィッドは、男と共に外へ出た。宿には古びた馬屋と倉庫があり、そこに馬と輓具を収めているらしい。
そのうちの小さな荷車と一頭の馬を選び出すと、男は流石に手慣れた様子で荷馬車を作り出し、リヴィッドを御者台に呼んで走り出した。
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