第34話

「大きいけど、深くはないのが幸いだね……ちょっと我慢しなよ」

 真剣な表情になりながら、フレデリカはすぐさま治療を始めた。その手際は、スレインの言った通り優秀なものだったに違いない。リヴィッドは何度も激痛に喘がされながら、それでも次第に血が止まり、完全にではなくとも痛みが引いていくのを感じた。

 そのうち苦悶の声を漏らすこともなくなり、リヴィッドは呼吸を落ち着けさせながら、治療を続けるフレデリカをしっかりと見つめられるようになった。

 ただしその頃、彼女はぽつりと囁いてきた。

「まったく。面倒かけるんじゃないよ」

「…………」

 吐息するように、ぽんと落とされただけの言葉ではあった。

 しかしリヴィッドの中で、それは強烈に過去の言葉を引き戻す呼び水となり、息を呑むほど身体が緊張するのを自覚した。

 ぞわぞわと何かが自分の背中を駆け上がり、冷たい血を頭の先まで届けているように錯覚する。傷とは違う痛みが体内を襲い、吐き気がした。先ほど感じていた死の恐怖にも似たものが突きつけられ、あるいはそれに身を委ねてしまえばよかったのではないか、とすら思えてしまう。

 言葉を失い、ひょっとすれば呼吸も忘れていたかもしれない。しかしフレデリカはそれを不審に思ったのか、こちらの顔を見つめてきた。

 思わずどきりとする。高揚とは全く逆の、言い知れない不安や恐怖だった。

 彼女がまた視線を落とし、どうともつかない顔で微かに口を開こうとした時も、リヴィッドはそこから何が発されるのかと恐ろしくてたまらなかったのだが――

「……あんたがどうかはわからないけど、あたしはこの隊商が好きだよ」

 静かな、どこか優しい声音だった。

 リヴィッドには一瞬、なんのことかわからなかった。ただ彼女は構わず、治療の手を再開させながら、そのままの調子で言葉を続けた。

「あたしには父親がいないんだ。傭兵をやってたみたいでね。あたしが生まれてすぐに戦死したらしい。その後はずっと、母親とふたり暮らしだった」

 布を濡らすと、それをそっと身体に当ててくる。身体に垂れていた血を拭っているのだろう。そうしてから、包帯を巻いてきた。

「あたしの住んでたところは、ブリンクノアの町と似たようなもんでさ。赤い森の被害からなかなか復興できなくて、苦しい状況が続いてたんだ。けど……十歳くらいの頃かな。この隊商が町に来てくれるようになってね。おかげで何度も助けられたんだよ」

 命の恩人っていうと大袈裟だけどね、とフレデリカは苦笑した。

 ただ、彼女にとっては似たようなものだったらしい。それくらいに、彼女は隊商によって物理的にも、精神的にも救われていたのだ。

 そして、そうした自分を助けてくれる隊商に羨望を抱いた。

「だから……十五歳の時さ。あたしは入隊を志願したんだ。元々、父親が死んだって話を聞いた時から医学を学ぶようになっててね。大したものじゃなかったにせよ、救護班は人手不足だったみたいだから、丁度よかったのさ」

 彼女はそこで少しだけ、冗談めかすように微笑んだ。そして最後に、母親について何か付け足そうとしたらしいが……肩をすくめて、それを途中でやめてしまったため、リヴィッドも深く追求しようとは思わなかった。

 その代わりというわけではないだろう。が、フレデリカは巻き終えた包帯の上から、傷のない部分を軽く叩くと、こちらへ視線を向けてきた。

 微笑むのとはまた違う。だが頬の力を抜いて、諭すような、優しい顔だ。

「だからあたしは、この隊商のために可能な限り力を尽くしていくし、その隊員を嫌うことなんかしない――面倒と嫌いは別物さ」

「…………」

 リヴィッドはやはり言葉を返すことができず、押し黙っていた。

 それは、先ほどまでとは少し、違う意味だったが。

「うわああああああああ!?」

 その時だった。外から大きな悲鳴が響き、同時にずどんっと激しい衝撃が馬車を襲った。地面が跳ねたのではないかと思えるほどのものだ。

 そしてそれに続くように、今度は大小様々な、無数の悲鳴が聞こえてきた。

「な、なんだ? どうしたってのさ!?」

 フレデリカが慌てて外へ顔を出す。リヴィッドも、慣れない包帯の身体を押しながらそれに続いた。するとそこに見えたのは――

 足を押さえて倒れ込む賊と隊員、双方の姿だった。

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