第30話

 当たり前だが、彼らが実際になんらかの有意義な話し合いをしているわけではない。酔っ払いらしく好き勝手なことを、好き勝手に喚き合っているだけだ。

 スキンヘッドのトレイマーが、自分の荒々しい用心棒時代の思い出を語り、面長のモーリスから「隊長にボコボコにされてたじゃねえか」と笑われると、「てめえの隠し集めてる人形をボコボコにしてやろうか!」と言い返して掴み合いになる。

 一方で首から鼻まで覆うマスクをしたロクシュウがしきりにゲホゲホと咳を繰り返し、救護班である中年の女、モッツォから「埃っぽいのが苦手なら無理するんじゃないよ」と心配され、換えのマスクを用意されていた。

 戻ってきたラルゥは、また犬を飼いたいと直訴して断られていたのかと茶化され、小太りのアジェバーノが自分の商才について苦悩し、副隊長のサドナがその酒に付き合い、慰め、励ましているのが聞こえた。

 いずれにしても、どうでもないはずのことではある。ひょっとすれば今日だけでなく、酒盛りの席ではいつも似たような話をしているのかもしれない。

 ただ、リヴィッドはまたしても高揚感にも似た、奇妙な感情が湧き上がるのを自覚した。

 窮屈な馬車の中をざっと見回し、その誰もが――人間なのだと認識できる。それは当たり前のことだったが、それでも奇妙なほどに新鮮な感覚だったのだ。

 彼らは自分を怒鳴りつけるだけの遠い、単なる記号の存在ではないのだ、と。

「おうおぉう! やってられっかってんでぇいっ!」

 その時、誰よりも呂律の回らない声で叫んで立ち上がったのは、リヴィッドを除く男の中では最年少の整備班だった。

 フレデリカともそう歳が離れているわけではなく、またリヴィッドとも大差ないほど小柄で細身であり、根っからの下っ端体質だと一目でわかる顔立ちをしている。特技は靴磨きらしい。その彼が今は、こけて筋張った顔を真っ赤にし、据わった目で屈強な商人たちを怒鳴りつけたのだ。

 内容は上手く聞き取れなかったが、いつもいつもこき使いやがって、というものらしかった。そして商人の中でも禿のトレイマーが代表してそれを受け、やろうってのかと立ち上がる。周りが煽り立てる中、狭苦しい馬車での乱闘が始まったのだ。

 それもやはり、日常だったのかもしれないが――リヴィッドは流石に、それに巻き込まれまいと脱出した。

 酒臭い熱気のこもる馬車から一点、星明りに照らされる荒野めいた坂道は肌寒く感じられる。まだ中からの喧騒は続いていたが……リヴィッドと入れ替わるように馬車へ入っていった他の整備班によって、それは静まったようだった。

 気絶した若い男が引きずり出されるのを、リヴィッドは横目に眺めていた――整備班はラバの操縦も担っているため、基本的に停泊期間中にしか酒を許されていない。これは整備班の自主規制らしい。逆に商人は移動期間中にしか酒盛りが許されない、と一応は公言している。

 ともかくリヴィッドはそれに苦笑し、今度こそ自分も戻ろうと歩き出した。並ぶ馬車の横を通り過ぎ、坂道を下っていく――

 と、隊列の中央を通り過ぎた辺りで、今度は別の人影を発見した。明かりも持たずにそろそろと歩いてくるのは長身の美男である。紛れもなく、スレインだった。

 リヴィッドはどうということもなく近付いていった。すると美男の運送業者は、目の前に、同じく明かりも持たず現れた少年を見て喫驚したらしく、声を上げた。

「うわあ!? ……って、なんだ、キミか」

「ンなに驚くことすか」

 飛び退き、また闇の中に潜むようなスレインに向けて淡々と告げる。彼は苦笑した。

「ごめんごめん。外に人がいると思わなくてさ。整備の方も終わったみたいだし」

 空を見上げたのは、時間を示すためだろう。夜になってからの時間は判別し辛いものがある。が、それでも月の位置からして、町であればたいていの者が眠っている頃だろう。

「まあ、こんな時間に出歩くのは酔っ払いか賊くらいのもんすね」

「ここじゃ賊だって出歩かないさ」

 今度は辺りを見回す。土と石のでこぼことした道に、木の枝葉が散見される。右手は過去の姿にすがるように隆起し、左手はその末路を示す急斜面である。道幅は幸いにして、馬車がすれ違える程度には確保されている。

 いずれにせよ、右手側が隆起しているとはいえ見通しは悪くないので、確かに賊が隠れ潜むには向かない場所だろう。

「何してたんすか?」

「見張りの人に差し入れを、ね」

 スレインは空になった箱を見せてきた。酒瓶が入っていたのだろう。見張りは先頭と最後尾辺りに置かれているが、恐らくはまず先頭へ行き、ついでに商人たちにも差し入れし、今は最後尾から帰ってきたということか。

 妙なところで律儀なのか――同性から警戒されないための点数稼ぎか。リヴィッドはそんなことを考えたが、いずれにせよ肩をすくめた。

「そういえば、足は大丈夫なんすか」

 なんとなしに、リヴィッドは彼の左足へ目を向けた。暗闇で見えないが、その足首には深い古傷があるはずだった。スレインは自分の足を持ち上げると、

「心配無用だよ。そう何度も痛むものでもないし、ここの救護班にも診てもらったからね」

 そう言って頷き、それにしてもと言葉を続けた。感服したような声音で。

「この隊の救護班は優秀だね。特に、フレデリカっていったかな。彼女は将来、隊を背負って立つかもしれない。だからもう少し、”仲良く”なりたかったんだけど、残念だよ」

 含みを持たせ、彼はどこか冗談めかして口の端を上げた。リヴィッドは――

「……まだチャンスはあるんじゃねっすか? 次の町まで、あと五日すよ」

 ふと、そんな言葉が口を出た。

 それはどんな感情、どんな考え、どんな声音で言ったのか。口にした自分ですらわからず、驚いたが――スレインはそれを聞くと一瞬きょとんとしてから、大笑した。

「ははは! キミもなかなか、有望だと思うよ。最初の見立てよりは怖い存在だと思っていたけど、それでも見立て不足だったかもしれないね」

「……よくわかんねっす」

「思えばその口調も、一種の顕現なのかな」

 実際、混乱していたのだが。彼は勝手に納得するように皮肉っぽく笑うと、そのまま自分の馬車へと去っていった。

 リヴィッドは暗闇の中、片目を細めてそれを見送った。

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