💘17 献身的なマネージャーになる!

“献身的なマネージャー” になる!


 リュカと相談した結果、大山先輩の好みに近づくためにあたしがまず目指すべきはがいいんじゃないかということになった。


 というわけで、大学へ行く前、いつもより30分も早く起きた(というか起こされた)わけだけれども――


『ちょ! ちえり! レモンを洗わない人がどこにいるんですかっ!!

 皮ごと漬けるんですから、食器用洗剤で洗わないと残留農薬が落ちませんよっ』


「えー!?

 ツルツルしててきれいだし、洗って売ってるんじゃないの?

 スポンジ使って洗うなんてめんどくさーい」


『じゃあ、僕が洗いますからちえりは蜂蜜を用意して……って!!

 包丁に慣れてないくせに薄い輪切りは危ないですっ! 僕が切りますからそこに置いといてくださいっ』


「それじゃああたしじゃなくてリュカが作るようなもんじゃない」


『どうせ部活に持っていくのはちえりなんですしいいじゃないですか。

 レモンの蜂蜜漬けを堕天使が作ってきたなんて誰も思いませんよ』


「……じゃあもう任せる!」


 細かすぎるリュカにめんどくさくなり、あたしはベッドで二度寝を決め込むことにした。

『ベッドで寝るならエプロンは外してくださいよ』という小言に「へいへい」と適当に返事をして、しゅるしゅると背中の紐を解く。


 冷静に考えれば、こんなズボラなあたしがいきなり内面を磨こうったって無理な話なんだよね。

 二人で協力して目的達成できればいいわけだし、目標にいきなり近づかなくてもいいわけだし、ここは料理が得意なリュカに任せておけばいいや。


 外したエプロンを床に落として、明るい陽射しが差し込むベッドの上でゆっくりと目を閉じる。


 リュカのリズミカルな包丁の音が次第に遠のき、ふわふわと意識が軽くなる。


 ああ。いい気持ち──



 青空に吸い込まれていく風船のように、静かにふわふわと意識が遠のいていく。


 遠のいて……いきそうなのに。


 なんだろう。

 風船の紐の端を、何かに掴まれているみたい。

 僅かな抵抗を感じる。



 “本当にこれでいいの?”



 遠くに聞こえる包丁の音が風船の紐を引っぱりながらそう囁きかけてきて、あたしは布団を頭の上まで被ってその声を遮断した。



 👼



 密閉容器の蓋を開けると、レモンの爽やかな香りが木と汗の臭いが沁み込む武道場に広がった。


「うわぁ! うまそうー! これマネージャーが作ったの!?」


「はい! ちょっとだけ早起きして作ってきました! 皆さん召しあがってください♪」


 きつい練習を終えて汗だくになった部員たちが群がってくる。


「ちえりちゃんって面倒くさがりでほとんど自炊しないって聞いたけど、意外とマメなんだね! 酸っぱさと甘さのバランスが絶妙で美味しい~!」


 有紗ちゃんが蜂蜜の滴るレモンの輪切りをつまようじで口に運びながら満面の笑みで褒めてくれる。


 あたしがズボラだという情報をいつの間に仕入れたんだろう?

 さすが、スパイ志望だけあって彼女の情報収集能力は早くて正確だ。

 彼女が赤フン同盟のメンバーじゃなくて本当によかった。


「やっぱりマネージャー入れて正解だったよなぁ」

「藤ヶ谷さん、沢山作ってきてくれて大変だったでしょ?ありがとうね」


 みんなが嬉しそうにレモンを頬張る姿を見ていると、心にツンと小さな痛みが走った。




 みんな喜んでくれているけど、これを作ったのはあたしじゃなくてリュカだ。

 本来ならば、あたしが感謝してもらえることじゃない。




 チラリと横目でリュカを見ると、部員たちとあたしのことを交互に見つつニコニコしている。


『よかったですね! 皆さんに喜んでもらえて』


「うん……」


 こちらに向けられた満面の笑みに、笑顔で返すことができなかった。




 リュカは、あたしが微笑まないその理由が別のところにあると思ったみたいだ。




『そういえば、白フンの君の姿が見えませんね。

 彼に向けてのアピールなのに、食べてもらわなくては困りますね。

 ちえり、彼を探しに行きましょう』


「うん、そうだね」


 なんとなく皆の前が居心地悪くなって、あたしは大山先輩に声をかけに行くことにした。





 廊下を歩いてお手洗いの方へ向かっていくと、先輩の声が聞こえてきた。

 誰かと話をしているみたいだ。


「……ら、俺にはそんな……まったくない」


「ワタシはマスに……てもらいタイの!」


「まったくしつこいな。何度言っても無駄だ。もういい加減諦めろ」


 角を曲がった先から聞こえてきた冷ややかな言葉に思わず足を止めた。




 そのとき──




 ドンッ!


 角から飛び出してきた人物と肩があたった。


「あっ……」




 赤いサテンのトランクスに、赤いタンクトップ。

 黒いポニーテール。


 見開いた彼女の大きな瞳には涙がたまっていて──




「スパポーン……?」




 手につけていたグローブで涙をぐいっと拭うと、彼女は何も言わずにそのまま走り去って行った。


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