💘18 何もしないままでは、何も変わらない
先輩の冷ややかな言葉。
泣いて走り去ったスパポーン。
もしかして、今のは告白の現場だった――!?
戸惑うまま立ち尽くしていると、今度は大山先輩が姿を見せ、あたしに気づいた。
「藤ヶ谷、どうした? 手洗いか?」
「あっ、えっと、レモンの蜂蜜漬けを作ってきたので、先輩にも食べてほしくって……」
「そうか。ありがとう。今道場に戻る」
それ以上何も言わずにあたしの横を通り過ぎる。
「あの――っ!」
思わず出てきた自分の声に血の気が引いた。
ダメ。ダメだよ、ちえり!
先輩は控えめな女の子が好きなんだから!
「……どうした?」
大山先輩がこちらを振り向く。
「なんでもありません」ってはにかんで、三歩後ろを黙ってついて行けばいいんだ。
「めんどくさい」ってほっぽって、こじれるようなことは言わない方がいいんだ。
わかってる。
わかってるのに、それができない。
「……さっきみたいな言い方をしたら、誰でも傷つくと思います!」
いつもならドキドキしてまともに見られない先輩の瞳を真っ直ぐにとらえ、あたしはそう言い切った。
あたしに宣戦布告してきたスパポーンは、確かに恋のライバルかもしれない。
彼女の想いが先輩に届いていないことは、あたしにとって安心材料なのかもしれない。
けれど、あんな冷たい言葉で振り払われた彼女を見たら、何事もなかったように振る舞うなんてできなかった。
あたしからの突然の抗議に大山先輩は驚いたように目を大きくしていたけれど、切れ長の目尻をすぐに下げ、やれやれと言ったように頭を掻いた。
「ああ、聞かれていたのか」
「すみません。偶然聞いてしまいました。
スパポーン……泣いてました」
「あいつはあれくらいはっきり言わないと、いつも引き下がらないんだよ。
もう二年も同じことを言われ続けているから、うんざりしてるんだ」
二年もずっと――
彼女がいつもどんな思いで先輩にぶつかっているのか、それを思うときりきりと胸が痛む。
「藤ヶ谷が気にすることじゃない。行こう」
大山先輩はそう言うと、再びあたしに背中を向けて歩き出した。
硬派だとは思っていたけれど、自分を想う相手にここまで冷たい人だとは思わなかった。
それなのに、どうして先輩の後ろ姿を見つめる瞳の奥がじんじんと熱いままなんだろう。
遠ざかる背中を追いかけたくて、心がきゅうんと締めつけられるんだろう。
あの日、暴漢に襲われたところを助けてくれた。
あの時繋いだてのひらが、思い出したように熱を帯びる。
あの日、水に濡れたあたしの胸元を気遣ってTシャツを脱いで貸してくれた。
あの時被ったTシャツの香りが鼻の奥に甦る。
「リュカ。あんな言葉を聞いたのに、あたしやっぱり先輩のこと諦められないよ。
……でも、あたしが何をしても先輩に想いが届くことはないのかな……」
気弱になって落ちた肩を、リュカの手がそっと包んだ。
『何もしないままでは何も変わりませんよ。
諦められないなら、少しでも前に進みましょう?』
深い湖の色の瞳が細められ、沈んでいきそうなあたしの心をそっとすくい上げる。
やっぱりリュカがいてくれてよかっ……
『あ、でも先ほどの白フンの君への抗議は、彼の好みの “昭和の女”とは明らかに逆行してましたね!
率直なのがちえりの長所ではありますが、そこは空気を読まないと、前進どころか後退していく一方ですよ?』
ちょっと待て!
そこは優しくフォローしてくれるとこじゃないのっ!?
「傷口に塩を塗りこまないでよ!
それにその台詞、空気の読めない堕天使に言われたくないわっ!」
リュカの励ましにあたしが感謝する甘やかな流れになるかと思ったのに、せっかくの空気を台無しにするのがリュカ・クオリティなのだ。
けれど、今はその残念クオリティのおかげで、沈みかけた心が完全に浮上した。
「たしかに、さっきの抗議は一歩後退だったかもしれない。
だったらその分以上に前進できる何かをしなくちゃだよね……」
そこであたしが思い出したのは――
「リュカ。
やっぱり明日からは、自分でレモンの蜂蜜漬けを作ることにする!」
『えっ!? ズボラなちえりが自分ひとりで作るんですか?』
「だって、何もしないままでは何も変わらないんでしょ?
全部リュカ任せじゃあ、結局あたしはずっと前進できないままだと思うんだ」
リュカの不安げな瞳を、決意を込めてまっすぐに見つめ返す。
自分で作ったと嘘を吐いて先輩にアピールしても、永遠に思いは届かない。
上辺だけを取り繕うんじゃ、きっと何も変わらないんだ。
あたしの眼差しを受けたリュカが、小さく息を吐いた後に柔らかく微笑んだ。
『確かにちえりの言う通りです。
ちえり自身が努力しなければ前に進むことにはなりませんよね。
明日はちえりが自分で作ってみてください』
「うん。頑張る! ……でも、やる気なくすからお小言はほどほどにしてよね?」
茶化して言うと、リュカは「はい。気をつけます」と苦笑いして、先輩の後を追うように道場へ向かっていく。
「ありがと」
何だかんだで背中を押してくれた堕天使に小さく呟くと、黒い翼の生えた彼の後姿を追いかけた。
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