💘19 いつもそれじゃ息が詰まる
「藤ヶ谷さん、このレモンの輪切り、5枚もつながってる……」
「あっ!ごめんなさいっ!」
「ちえりちゃん、今日の蜂蜜漬け、ちょっと酸味がきついかも……」
「えっ!? そうかな!? 次は気をつけるねっ」
翌日、キッチンに立つあたしの周りを心配そうにウロウロするリュカを部屋に押し込め、一人で格闘して作ったレモンの蜂蜜漬け。
輪切りがつながってたり、厚みがバラバラだったり、蜂蜜が少し足りなかったり。やっぱりリュカのように上手くは作れなかった。
それでも、大山先輩が「酸味のきいてる方が疲れが取れそうな気がするだろ?」って、僅かに顔を
「献身的なマネージャーとして、他に何かできることないかなぁ」
部活が終わり大学からの帰り道、あたしは歩きながら独り言のようにぼそっと呟いた。
『ケガだってしょっちゅうするものではないですし、マネージャーの仕事といったら道場の掃除や道具の準備、後片付けなど地味なものばかりですからねえ。
白フンの君へのアピールポイントがもっと欲しいところですね』
隣を歩くリュカがうーんと唸っていたかと思うと、ぱっと顔を上げた。
『あっ!こんなのどうです?
週末は練習時間が長くなるから、休憩中に頬ばれるおにぎりを握って持っていくとか』
「それいいかも!」
『じゃあ今週末は僕が夜のうちに炊飯のタイマーをセットしておくことにしますね。
具はクエン酸たっぷりの梅干しがいいですかね?
いや、クエン酸はレモンで摂れるから、タンパク質の鮭か……』
「リュカは何もしなくていいよ!
あたし、自分でおにぎり握るし、炊飯器のタイマーもセットするから」
『え……?』
やる気満々のリュカの言葉を遮ると、彼はぽかんと口を開けてあたしを見つめた。
「今日レモンの蜂蜜漬けを作ってみて思ったんだよね。
やっぱり自分が頑張って作るからこそ、先輩が食べてくれるのが嬉しいんだなって。
だから、ちょっとくらい不格好でも時間がかかっても、おにぎりも自分で握ろうと思うんだ」
“ズボラなちえりが一人でできますかね?”
いつものリュカなら、そんな風にからかい半分の言葉をかけてくるはず。
応戦しようと身構えたのに、隣の堕天使からは何の反応もない。
「リュカ……?」
リュカの顔を覗き込むと、彼は我に返ったように首を振った。
『そうですね……。
そこにちえりが気づいてくれてよかったです。
……頑張ってくださいね!』
柔らかな微笑みをこちらに向けると、リュカはあたしより少し前に出て歩き出した。
彼からの励ましの言葉に僅かな違和感を覚えたあたしは、艶やかな黒い翼の生えた背中を首を傾げつつ見つめた。
リュカの瞳が翳っているように見えたのは、きっと気のせいだよね──?
👼
土曜日の朝。
「ええーっ!?
どうしてご飯炊けてないのぉーっ!!?」
炊飯器の蓋を開けたあたしの絶叫に、リュカが慌てて駆け寄ってきた。
『ああ~やっぱり僕がチェックをするべきでしたか……!
ちえりのセットした予約時間、午前6時じゃなくて午後6時になってます』
「タイマーなんて使い慣れないことするんじゃなかったぁ……」
『ちえりの場合、タイマーどころか炊飯器そのものを使い慣れてませんからね。
急速モードなら今から30分で炊けます。
味は少々落ちますけど、なんとか間に合うでしょう』
「……わかった」
なんだろう。
あたしのフォローをするリュカが妙に張り切っているように見える。
身支度などできるだけのことを済ませているうちに炊飯完了のメロディが鳴ると、あたしがキッチンに戻るより先に、リュカがしゃもじを片手に炊飯器の蓋を開けた。
「ちょっと待って!
あたしがやるからリュカは手を出さなくていいよ!」
『何言ってるんですか。時間がないんですよ?
ご飯が足りないからもう一回炊飯しなければいけないし、僕が握った方が早いですから、ちえりは海苔を巻いてください』
てきぱきとご飯を混ぜ始めるリュカ。
「自分でやるから大丈夫だってば!」
彼の手からしゃもじを奪うと、あからさまにムッとした表情を浮かべている。
『ほら、ご飯をボウルに空けないと、次の炊飯が出来ませんよっ! ちえりは内釜を一度洗ってそこに浸してあるお米を入れてください!』
あたしを押しのけるように調理台の前に立ち、しゃもじをあたしから再び奪う。
いつにも増して出しゃばりなリュカに、あたしの中でパチンと何かが弾けた。
「いい加減にしてよ!
自分でやるって言ってるんだから、もうほっといてっ!!」
鋭く飛び出たあたしの言葉に、リュカが目を丸くした。
『僕はちえりのために……』
「 “ちえりのため”って言うけど、自分の好きなようにやらせてくれたっていいじゃない!
あたしのために色々してくれてるのはわかるけど、いつもそれじゃあ息が詰まるのよ!」
深い湖の色をした瞳が翳る。
つきんと胸が痛んだけれど、投げつけた言葉を今さら回収することなんてできない。
リュカがため息を一つ吐いた。
『……すみませんでした。
傍で見ているとつい手を出したくなってしまうので、僕は外に出ています』
エプロンを外し、ベランダから外へ飛び立つ。
黒い翼を広げた後ろ姿が遠ざかるにつれ、あたしの胸に重たい泥がたまっていくように息苦しくなる。
「早くおにぎり作らなくっちゃ……」
心に蓋をして、おにぎりを握ることに集中した。
二度目に炊きあがったご飯も握り、開始から約二時間後──
「やっとできたー!」
海苔を巻いた歪な形のおにぎりが30個、大きな二つの容器の中にぎゅうぎゅうに収まった。
「リュカ!見て!がんばったでしょ……」
嬉しくて思わず振り向くと、いつも隣にある黒ずくめの姿が視界からぽっかりと抜け落ちていた。
「あ、そっか。
リュカ、出ていっちゃったんだった……」
零れ出た言葉につられるように心の蓋が外れかけ、重たい後悔がずるずると這い出てくる。
「あっ、部活遅れちゃう!
早く仕度しなくっちゃ!」
わざとらしく口に出して、エプロンを外してジャージを脱ぎ始めた。
いつもなら片っ端から綺麗に畳まれていくジャージが、今日は脱いだ形のままベッドの上でふにゃりと情けなくへたり込む。
服を着て玄関に向かうと、調理台の上に炊飯器の内釜がぽつんと置き去りになっていた。
“水に浸しておかないと、ご飯粒がこびりついて洗いにくくなりますよ!”
どこからかそんな声が聞こえた気がして、あたしは抱えていた荷物を床に置き、内釜をシンクに入れて水道のレバーを押し上げた。
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