💘38 あたしが見つけてあげなくちゃ
ベッドで眠るスパポーンの横で、あたしは缶コーヒーを握りしめたまま先輩の言葉を反芻していた。
“そんな奴を俺が苦手だと思うわけがない”
それはあたしへのフォローの言葉で、それ以上の意味はないんじゃないかと思う。
けれどもその一方で、その言葉を口にしたときの先輩の顔を思い出す。
耳まで真っ赤にし、目線を外して照れくさそうに呟いたあの表情――
もしかして、先輩は異性としてあたしを嫌いじゃないって言ってくれたんじゃないだろうか。
早くリュカに相談したいのに、肝心のリュカはさっきから姿を見せないままだ。
先輩の言葉と表情を何度も何度も反芻し、何度も何度も状況分析し、何度も何度も窓の外を見てリュカの姿を探しているうちに、雲の切れ間から差す陽の光がオレンジ色に染まり始めた。
「う……ん」
スパポーンの唸り声が聞こえて振り返ると、薄目を開けた彼と目が合った。
「藤ヶ谷……サン?」
「気分はどう? 頭が痛いとか、手足が痺れるとか、ない?」
「ん……。大丈夫だト思ウ。マスは?」
「先輩なら、さっき合宿所に戻ったよ。このままもう少し様子を見て、何事もなければあなたも今日じゅうに戻れるよ」
ベッドサイドの丸椅子に座り直して微笑むと、スパポーンは長い睫毛を伏せてため息をつく。
「でモ、ワタシはもう合宿ハ続けられナイんでショウ?
せっかくマスのためニ、無理して日程ヲ合わせタのニ……」
「先輩のため……?」
悔しさをにじませる彼の言葉が、あたしの心を漂う
そうか。
手のひらを反すような彼のアプローチには、そういう意図があったんだ!
「ねえ、スパポーン。あなたが空手部と同じ日程で合宿をねじこんできたのは、大山先輩をムエタイに転向させるためだったの?
……だとしたら、あなたがあたしに近づいてきたのは、あたしに好意を持ったからじゃなくって、大山先輩にあたしを近づけないためだったってこと?」
単刀直入に尋ねると、スパポーンは黒い瞳を一瞬大きく見開いた後に、ふふっと笑みをこぼした。
「さすがネ、藤ヶ谷サン。ワタシが見込んだダケのことハあるワ。
そうヨ。ワタシはアナタが空手部ノマネージャートしてマスに近づくことデ、マスのムエタイ転向ガさらニ遠のクような気ガしたノ。
逆ニ言えバ、アナタをワタシの側ニ引き入れることサエできれバ、マスを連れテくるのモ簡単ニなるっテ思ったんダけどナ」
“俺が苦手だと思うわけがない”
先輩のあの言葉が頭の中で再生される。
スパポーンから見ても、大山先輩はあたしのことを憎からぬ存在だと感じているように見えたということなんだろうか。
「デモ、今回は失敗ニ終わっチャッた。ムエタイの練習モしばらクできないシ、ワタシ何のためニバイト増やしテ頑張ったンだろう……」
吊り目がちの黒い瞳が悔し涙で潤む。
無茶な賭けを仕掛けてきたのはスパポーン本人だし、あたしを騙していたのも面白くはないんだけど、彼は彼なりに一生懸命なんだよね。
大山先輩が彼のひたむきさを憎めないのはわかる気がする。
「……ねえ、スパポーン。
ムエタイの練習がしばらくできないなら、マネージャーとして合宿を続けてみない?」
あたしからの唐突な提案に、スパポーンは「エ?」と訝しげにこちらを見上げた。
「どうせムエタイの練習ができないなら、空手部のマネージャーとして大山先輩の練習を見学するのもいいんじゃない?
空手の練習方法や組手の技術を研究するのは、ムエタイ同好会の活動の参考になるかもしれないよ」
本当のことを言うと、あたしの意図はちょっと違うところにある。
それには敢えて触れずにスパポーンの心に響きそうな理由を挙げると、彼の瞳にいつもの挑戦的な光が戻った。
「そうネ。このまま帰ルくらいなラ、空手部の練習ヲ見ておくノもいいかモ」
「オッケー! じゃあ、合宿の間はあたしがマネージャーの先輩だからね! こき使うから覚悟してよねっ!」
悪戯っぽく笑いかけると、スパポーンが苦笑いで返す。
彼の復調を確かめたあたしは、目覚めを知らせるためにナースコールボタンを押した。
👼
タクシーで合宿所に戻ると、各部はすでに夕食をすませ、
「ちえりちゃんとスパポーンのご飯は食堂にあるから食べてから来てね」
空手部の先輩に促されたけれど、あたしには真っ先に探さなくちゃいけないひとがいる。
「スパポーンは先に食べてて。あたしはちょっと用事があるから」
彼にそう伝え、荷物を部屋に置くと、あたしはもう一度合宿所の外に出た。
あたしとスパポーンが合宿所に戻ったことは、どこかで見ていて知っているはず。
どうしてちっとも姿を見せないんだろう。
自分のせいで事故が起こったことを悔いて、まだしょんぼりしているんだろうか。
こういうところがめんどくさいひとだけれど、あたしが見つけてあげなくちゃ。
あたしじゃなくちゃ――
めんどくさいリュカを励ますのは、
あたしじゃなくちゃだめなんだ――
辺りはすっかり闇に溶け、合宿所の窓から漏れる蛍光灯と小さな虫がたかる門灯の光が庭のソテツのシルエットを浮き立たせている。
リュカを探しながら波の音が聞こえる裏庭に回ると、誰かの話し声が聞こえてきた。
聞き覚えのある二つの声。
「……誰かいるの?」
じゃり、と小石を踏む音に、シルエットが一つ、こちらを向く。
「真衣……?」
「ち、ちえり――」
薄い布のカーテン越しに漏れる光に照らされた真衣の表情は、まるで幽霊でも見たかのようにこわばっていて――
「え……。ガブリエル?」
真衣の横に立つ石碑の上では、艶やかな羽の表面に僅かに光をのせた一羽のカラスがじっとこちらを見つめていた。
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