💘39 励ましの言葉は薔薇の棘のように

「どうして……真衣とガブリエルが……」


「ちえり……。このカラスのこと、やっぱり知っていたのね」


 じゃり、と真衣が一歩を踏み出したとき、あたしは反射的に一歩下がってしまった。






 どうして……。


 どうして……?


 真衣は、あたしの親友なのに。


 どうして、ガブリエルと……?






「あっ、ちえりっ! 待っ……」



 気がつけば、あたしは彼女に背中を向けて走っていた。




 どこをどう走ったのか、いつの間にか足元は砂に変わり、スニーカーを踏みしめるたびに砂がざらざらと入り込んでくる。


 ざんざんと波の音がする。




 足首が痛い。

 膝が痛い。

 心臓が痛い。




「リュカッ……!!」




 苦しい――――




「リュカァァァ…………」




 肺の空気をすべて彼の名に変えると、とめどなく涙が溢れ出た。










『ちえり……!? ど、どうしたんですかっ!?』








 瞼を開けて見上げると、滲む視界に映るのは真っ暗な海と空。

 その夜闇から欠片かけらのように浮かび上がる、翼を広げた黒い影。





「ああぁ……うぅ……リュ……っぅ」

『え!? なんで? どうしてそんなに泣いてるんです!?

 何があったんですか!!?』


 探していた夜闇の欠片は、慌てて舞い降りてきたかと思うとその暖かな胸にあたしを抱き寄せた。









「……少し落ち着きましたか?」


 どのくらいそうしていただろう。

 抱きしめたあたしの髪を撫でながら、いつもより低い声でリュカが尋ねた。


 泣きじゃっくりをさせながらもこくりと頷くと、リュカがそっと離れた隙間にぬるい海風が入り込んできた。


「あたし……。落ち込んでたリュカを励まそうと思って。

 それでリュカを探していたのに……」


 あたしの言葉に、リュカがくすりと笑う。


『そうだったんですか? でも、僕を呼ぶ声がしたと思って飛んできたらちえりが大泣きしてるじゃないですか。

 一体何事かと思って、僕の方のもやもやは吹き飛んじゃいましたよ』


 その声色からは沈んだ様子はもうなくて、安心すると同時にまた涙があふれてくる。


「だって……ぇ」


 やれやれと苦笑いしたリュカがもう一度あたしを抱き寄せる。

 ざんざんと波の音がする。




 リュカのぬくもりと、波の音。

 失望と悲しみと怒りの淵に引きずり込まれそうな心を、月の光が届く仄明るい場所へとそれらが優しくいざなってくれた。



 👼




『そうでしたか……。やはり、真衣さんとガブリエルは接触を続けていたということですね』


 二人で浜辺に座り、さっきの出来事をリュカに話すと、彼のため息が砂の上に落ちた。


「あたし、真衣がガブリエルと接触してるかもって知った後も、真衣に限ってあたしを裏切るなんてことはあり得ないって信じてた。

 だから、さっきはどうしていいかわからなくて、そのまま逃げてきちゃったけど……。

 もしかして、真衣は前から大山先輩が好きだったのかな。赤フン同盟のメンバーだったことをあたしにずっと隠していたのかな」




 そう言えば、真衣との付き合いは一年以上になるけれど、真衣のコイバナって聞いたことがない。

 あたしや渚の話をいつも聞いているだけで、真衣に話を振っても「今は好きな人がいない」っていつもはぐらかされていた。

 もしずっと大山先輩に片思いしていたのなら、あたしが大山先輩を好きになったことを知って余計に言い出せなくなっていたのかもしれない。




「どうしよう……。やっぱり真衣ときちんと話をした方がいいよね?」



 隣に座るリュカを見上げると、尻込みするあたしを彼の瞳がやさしく捉えた。



『そうですね。真衣さんとの話し合いは必要でしょう。

 ただ、先日ガブリエルは僕に “あの子はもう止められない” って言ってました。

 ちえりが真衣さんと話し合う前に彼女が何かしらの行動に出ないとも限りません。それまでは彼女が間違いを起こさないように僕が見張っていますよ』


「ありがとう。真衣から話を聞くまでは信じていたい気持ちもあるけれど、リュカにそうしてもらえると心強いな」




 さっきは逃げてしまったことを後悔していたけれど、こうしてリュカに話を聞いてもらえてよかったと思う。

 少し落ち着いてからの方が、お互いの思うところをちゃんと伝え合うことができそうな気がするから。




「それはそうと、リュカの方は本当にもう大丈夫なの?

 今までどこにいたの?」


 ふと当初の目的を思い出してリュカに尋ねると、彼はほんの少し微笑んで、それから星の瞬く夜空を見上げた。


『ちえりとスパポーンが合宿所へ戻るのを見届けてから、空を飛んでいました。

 できるだけ高いところに行こうと思って』


「高いところ? どうして……?」


『ラファエルに会いたかったんです。

 ──結局、会うことも、言葉を届けることも叶いませんでしたが』




 あの真っ白で美しい天使の姿を思い出す。

 リュカを愛し、ずっと見守っていると告げていたラファエル。

 やっぱりリュカも彼に会いたいと思っているんだ。




「なぁに? 急にラファエルが恋しくなったの?」


 わざとからかう口調でリュカの顔を覗き込むと、彼の深い湖の色の瞳が月の光を閉じ込めて揺れた。


『そうではありません。

 会いたかったのは……僕の迷いを導いてほしかったからです』


「迷い……?」


 迷いって、どういうことなんだろう。

 スパポーンを事故に巻き込んだことで、リュカの中で何か悩みでも生じたのだろうか。


「スパポーンが転倒したのはリュカのせいだけじゃないよ?

 彼、合宿前にバイトを詰め込んでかなり疲れていたみたい。

 だから、あの事故をそこまで気に病むことは……」


『ちえり。そうじゃないんです』


 フォローしようとしたあたしの言葉をリュカが穏やかに遮った。


『僕の迷いは、僕の心の内にある問題です。

 ……でも、ちえりの涙を見て、その迷いは消えました。

 だから、僕はもう大丈夫ですよ』




 揺らめく彼の瞳の中にあたしが映っている。


 彼が救いを求めたのはラファエルだった。

 けれど、彼を救えたのがあたしならば――






 あたしは――







『そう言えば、もう懇親会が始まってだいぶ経つんじゃないですか?

 真衣さんとの話ももちろん大事ですが、白フンの君とさらに距離を縮めるチャンスですし、参加しなくちゃもったいないですよ!

 僕が先に戻って調理場から氷を拝借してきますから、腫れた目元を冷やしてから行ってくださいね』




 少し前から朧げに見えていた心の奥の扉。

 そこに手をかけたとき、ぽんと頭にのせられた大きな手と共にリュカの過保護があたしの意識を呼び止めた。


 そして――




『僕はちえりの幸せのために、これからも全力を尽くします。

 二人で一緒に頑張って、白フンの君のハートをゲットしましょうね!』




 そう微笑んでガッツポーズを見せたリュカが、翼を広げてふわりと浮いた。




 真っ黒な後ろ姿が合宿所の方角へ遠ざかる。

 けれど、彼からの励ましの言葉は薔薇の棘のようにあたしの心に刺さったまま、そこに置き去りにされたのだった。

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