💘21 チンケな奴らに負けるわけにはいかない

 リュカと仲直りできたことで、階段を下りるあたしの足取りは駆け上がってきたときよりもずっと軽くなっていた。




 だからと言って、浮かれて足を踏み外したわけじゃない。




 確かに、誰かに背中を押されたのだ。




 ドンッ




「きゃ……っ」

『ちえり……っ!!』



 農林学系棟の屋上から棟内に入り、4階から3階に向かって階段を下りようとした瞬間――


 背中の一点にかかる衝撃。


 宙を浮いた足。


 凍りついた鼓動。


 そして、


 両腕を強く引き上げられる感触――





「あぁっ……!」


 引力に逆らって体が浮き上がるような感覚を覚えたのも束の間、一気にかかったあたしの体重に耐えきれず、抱き留めたリュカがぐらりと揺れた。


『くっ……!!』


 咄嗟にあたしを長い腕で囲い込み、仰向けの態勢に体をひねる。


 ドウッ


 ドンッ


 メキッ


 翼の生えた背中を数回打ちつけたのちに、あたしを抱きかかえたリュカの滑落は踊り場で止まった。


「リュカッ……!!」


 もがくように腕をほどいて起き上がり、あたしの下敷きになっているリュカを抱き起こす。


『あ……っ……!』

「ねえっ! 大丈夫!? ケガしてる!?」

『いえ……僕は……。ちえりこそ、ケガはありませんか……?』

「あたしは大丈夫よ! それよりリュカがっ……! あたしを守ったから――」


 守ってくれた感謝よりも、リュカのケガが心配で思わず詰め寄ると、リュカが痛みに歪んだ口元を整えて微笑んだ。


『僕は元天使ですから、一時痛みを覚えるだけでケガはしませんよ。

 ちえりが無事ならそれでいいんです。

 ……まあ、階段を踏み外すなんて不注意にも程がありますけど』


「ちがうのっ! あたし、誰かに背中を押されたの! それで足を踏み外して……」


 自分の言葉にハッとした。


 そうだ。

 あたしは階段から突き落とされたんだ。


 一体誰がそんなことを……?



 あたしは立ち上がると急いで階段を駆け上り、4階の廊下を見渡した。


 廊下には学生が何人も歩いているけれどそれらしき人物は見当たらない。

 もしかしたら、突き落とした犯人は足早にこの場を立ち去っているかもしれない。


 階段から落ちそうになったことと、リュカがあたしを庇ってケガをしたかもしれないこと。

 そして、誰かに故意に突き落とされたのだという事実で、背筋を冷たいものがつたい、鼓動が打ちつける強さも速度もどんどん増してくる。




 やっぱり空手部のマネージャーを始めたことで、あたしは誰かに恨まれている――?


 そして、最も疑わしきは……




『赤フン同盟の仕業なんでしょうかね?』




 同じ推測に辿り着いたリュカが、背中をさすりながら立ち上がった。


「わからない。でも、誰かの恨みを買ってることは確かみたいね」


 乾いた喉の奥に声がへばりついて掠れた。


『これは警告かもしれませんね。白フンの君にこれ以上近づくなと。

 身の安全を考えると、空手部のマネージャーはやはり辞めた方がいいでしょうね』


「……あたしは辞めない」


『え?』


「だって! せっかく大山先輩に喜んでもらえてるんだよ!?

 さっきリュカにも言ったでしょう? 先輩が喜んでくれるならって、今までめんどくさがってたことも自分でやってみようって思えるようになったんだもん!

 せっかく自分が変わりかけてるのに、赤フン同盟なんてチンケな奴らに負けたくない!」


『しかし、今後もこのような身の危険に晒されるのかもしれませんよ?

 ケガをしてからでは遅……』


「それも覚悟の上よ! もちろん万が一のことがあってもリュカのせいにしたり、神様を恨んだりしないから。

 だから空手部のマネージャーは絶対に辞めないっ!」


 心を奮い立たせたあたしを前に、リュカがやれやれとため息を吐いた。

 寄せていた眉根がほどけて、柔らかくも力強い笑顔で応えてくれる。


『その鼻っ柱の強さも実にちえりらしい。

 わかりました。僕が全力で守りますから、ちえりは己の道を信じて突き進んでいってください』


「うん!」


 決意を新たに空手部に戻ろうと農林学系棟を出ると、有紗ちゃんが道着のまま武道場の出入口から出てくるところだった。

 あたしを見つけるとほっとしたように人懐こい笑顔を向けてくる。


「ちえりちゃんっ! よかったぁ~。なかなか戻ってこないからどうしたのかと思って、探しに出ようとしてたとこなんだよ」


「有紗ちゃん、心配かけてごめんね。ちょっとトラブルがあって……」


「トラブル?」


「うん、ちょっとね……」


「……もしかして、スパポーンと何かあった?」


 有紗ちゃんの口から突然あのムエタイ留学生の名前が出てきて、全身が冷ややかな脈を打つ。


「どうしてスパポーンとだと思うの?」


「さっき、ちえりちゃんを探しに出ようとここに来たら、隣の農林学系棟から出ていくスパポーンを見たの。ちえりちゃんが来た方向と同じだったから、もしかして……って思っただけ」


「そうなんだ……」


 心臓が嫌な強さで鳴り始める。


『ちえりに危害を加えようとしたのは、彼女なんでしょうか……』


 背後にいるリュカの声が耳に入ってくるけれど、あたしはそれに応えずに、探しに来てくれた有紗ちゃんにお礼を言って一緒に練習に戻ることにした。

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