💘 エピローグ
夏休みも終盤になると時間の感覚が狂う。
アラームを止めて二度寝の微睡みを楽しんでいたあたしが携帯の着信音で起きたのは、すでにお昼に差し掛かろうという時だった。
ゆるゆると起き上がり、ベッドに座ったまま画面をタップする。
「もしもし? おはよー……」
「おはヨウ……って何? 寝起キ?
こんな時間マデ寝てルなんテ、ほんとニちぃチャンはズボラよネ!」
「だって今日は部活お休みなんだもん。寝坊くらいしたっていいでしょ? ……で、LIN〇じゃなく電話してくるなんてどうしたの?」
「そうソウ! ちぃチャンにビッグ&ハッピーなニュースよ!
今日アナタと明瀬サンがうちの店ニ遊びに来ルでショウ? 誘っテみタら、マスも来ルって!」
「ええっ!? 多国籍ニューハーフバーに大山先輩も来るのっ!?」
「今マデ誘ってモ断ってタくせニ、ちぃチャンが来るトなったラ現金よネ!
そういうコトだかラ、めいっぱイお洒落してくるノよ?
じゃあまタ後でネ!」
スパポーンはハイテンションでまくしたてると一方的に電話を切った。
今日は真衣とスパポーンのキューピッドを全力で頑張るつもりだったのに、相変わらず強引なんだから……。
苦笑いが漏れたあたしは、スパポーンとの友情が深まるきっかけとなった合宿での出来事を思い出した。
一ヶ月前の合宿では、赤フン同盟のせいで大変な目に合った。
フンドシ差し替え事件の犯人に仕立て上げられた上に、空手部のマネージャーを辞めるように脅されて海に沈められた。
意識を失っていたところを大山先輩が助けてくれたから良かったようなものの、先輩が来るのが遅かったらあたしは死んでいたんじゃないかと思う。
先輩はカラスのお告げであたしのピンチを知ったと言うけれど、そんなことを真顔で言っちゃうあたり先輩も意外とお茶目なのかもしれない。
結局、スパポーンの証言もあり、それらの嫌がらせはすべて有紗ちゃん達の仕業だということが明らかになった。
警察や大学に連絡しない代わりに有紗ちゃんはじめとする同盟メンバー5人はそれぞれ退部届を出し、事件の決着はついた。
彼女らの愚行を未然に止められなかったのは自分の責任でもあると言って、大山先輩はあたしのことをすごく気にかけてくれている。
スパポーンはあたしと先輩との仲を取り持とうとしてくれてるし、もう誰からも嫌がらせを受けることはないし、先輩との距離は順調に縮まってると感じている。
嬉しいはずなのに、なんだか気になって仕方がない。
この──
あたしの隣を埋めていた何かが抜け落ちている感覚が──
「んー、起きるかぁ……」
誰に言うともなく伸びをして立ち上がると、あたしは廊下に備え付けられたキッチンへ足を運んだ。
冷蔵庫の中にあるのは、常備している卵と納豆、そして何となく気が向いてスーパーで買ったトマト。
めんどくさいから、今日は納豆と〇トウのご飯にしようかな。
そう思って納豆のパックに手を伸ばしたとき──
“野菜もきちんと取ってくださいね!”
またあの声が頭に響く。
海で溺れてから時折聞こえてくるようになった、伸びやかなテノールボイスの男性の声。
一体誰の声なんだろう。
記憶の中から手繰り寄せようとしても、いつもあと一歩のところですり抜けて、底へゆらゆら落ちていく。
何かとても大切なことを忘れているような気がするのに、手が届かなくてもどかしい。
「へいへい。トマトもちゃんと食べますよー」
誰に言うともなく返事をして冷蔵庫からトマトを出したとき、開けっ放した部屋のドアの向こうから何か音がしていることに気がついた。
なんだろう?
ベランダに近づくと、甲高い声が聞こえてくる。
「チエリッ! チエリッ!」
へっ!? あたしを呼んでる?
恐る恐るカーテンを開けて見ると、一羽の真っ黒な鳥がベランダの柵に止まっている。
「チエリッ! チエリッ!」
「カラスかな? 大きいけど、九官鳥?」
それにしても、どうしてあたしの名前を知ってるんだろう?
思わず窓を開けてベランダに出ると、階下から「すみません!」と声がした。
チェロのように伸びやかなテノールボイス。
どこか聞き覚えのある声に、身を乗り出して下を覗くと──
そこに立っていたのは、黒髪で長身痩躯の超絶イケメンだった。
「僕のペットがお宅のベランダへ逃げ込んでしまって……。
申し訳ないんですが、捕獲しに伺ってもよろしいですか?」
「あ、はあ。いいですけど……」
イケメンの彼は穏やかに微笑むと、アパートのエントランスに向かって歩き出した。
程なくしてチャイムの音が鳴る。
着替える間もなく、中学のハーフパンツにTシャツという格好のまま玄関ドアを開けると、階下で見せた微笑みのままで彼が立っていた。
「ご迷惑をおかけしてすみません。
僕が捕まえないと、またどこかへ飛んで逃げてしまうと思うんです。
ちょっとお部屋へ上がらせてもらってもいいでしょうか?」
「ええ。ちょっと散らかってますけど……どうぞ」
不思議だ。
一人暮らしの自分の部屋に見ず知らずの男を上げるなんて有り得ない。
それなのに、彼ならば大丈夫なような気がした。
だって、彼の瞳の色が深い湖の色をしていたから。
穏やかに煌めくその瞳を、あたしはずっと待っていたような気がしたから──
彼は手にしていたペット用のケージを玄関に置くと、勝手知ったる家へ上がるかのごとくベランダへと一直線に向かった。
「ガブリエル! 君はなぜ隙あらば逃げようとするんですかっ!」
「チエリッ! チエリッ!」
「……またその名前を口にする。どこで覚えてきたんだか」
九官鳥にガブリエルって、ネーミングセンスが秀逸だな。
そんなツッコミを心の中で入れつつ、窓際で九官鳥を捕まえようとする彼の後ろ姿に話しかける。
「あの。ちえりって、あたしの名前なんです」
「えっ!? あなたがちえりさん!?」
「はい。どうしてその子があたしの名前を知ってるかはわからないんですけど」
あたしが首を傾げると、ベランダにいたガブリエルがばささと部屋に降り立った。
「オベヤッ! オベヤッ!」
「あっ、こら! 女性の部屋に入ってなんてことを……っ!」
「ちょっと! 汚部屋とは失礼ねっ!
これでも少しは片付けるようになったんだからっ!」
チョンチョンと歩き回るガブリエルをやっとのことで捕まえた彼が、持ってきたケージにガブリエルを押し込んでふうっと息をついた。
「ああ、もう、すみません。すっかりお騒がせしてしまいました」
「いえいえ。こちらこそ、汚部屋に上がらせて失礼しましたっ」
玄関で見送りながらチクリと言うと、彼はやれやれと苦笑いした。
「ガブリエルは逃げる度にどこかで変な言葉ばっかり覚えてくるんですよ。
気を悪くさせてしまってすみません。
でも……」
躊躇いがちに彼が言葉を区切る。
「“ちえり” さんというお名前がずっと気になってたんです。
前から僕はその名前の女性を知っていたような気がして……。
失礼ですが、以前お会いしたことはありましたっけ?」
「あ……。いえ……、多分、ないです……」
私も初対面ではない気がするけれど、こんなイケメンにどこかで会っていたのなら忘れるはずがないもの。
曖昧に応えたあたしに微笑むと、彼はケージを足元に置き、サマージャケットの胸ポケットから名刺入れを取り出した。
「でも、ガブリエルのおかげで “ちえり” さんに出会えたのも何かのご縁だと思います。
実は僕、こういう者なんですが……」
「千紫万紅ガーデン……。造園業の方ですか?」
「ええ。造園用の花木を育てる会社に勤めてるんですけど、そこの
僕はそこの責任者を任されたんですが、実際に誰かの家で家事をしたことなんてないからまだ自信がなくて……。
よろしかったら、研修としてちえりさんの家事を代行させてもらえませんか?」
「えぇっ!?」
突然降って湧いた話に仰天した。
「たしかに、あたしはズボラで家事は苦手ですけど……。女子大生の一人暮らしだし、商売にはならないんじゃ」
「お金をいただくつもりはありませんよ。
ちえりさんの身の回りのお世話をさせていただきたいと僕が思っただけです。
……でもやっぱり、初対面の男に家事をさせろなんて言われたら引いちゃいますよね?」
深い湖の色の瞳を細めて、困ったように笑う彼。
思わず私もくすりと笑う。
「……じゃあ、初対面の男性に汚部屋の家事を任せちゃうあたしも引かれちゃいますよね?」
「えっ!? じゃあ……」
「はい。よろしくお願いします!」
*****
こうして、ズボラなあたしは過保護な彼と運命の再会を果たしたのだ。
もっとも、あたし達が過去のあれこれを思い出したのは、千紫万紅ガーデンの
それについては、また別の機会に話したいと思う。
え? 肝心なところを端折り過ぎだって?
だって、めんどくさいんだもんっ!
💘おしまい👼
最後までご愛読いただきありがとうございました!
🌻陽野ひまわり🌻
過保護な堕天使、ズボラなあたし。【本編】 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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