💘09 正座で小一時間説教したい

「ちょ……っ!

 何すんのよぉーーーーっ!!」


 突然あたしに水をぶっかけてニコニコしているリュカに怒鳴ったのだけれど――


「あ……っ、あれ? 俺?」


 どう見ても大山先輩に向かって怒鳴りつけているような構図になってしまったぁ……っ!!


「あ!いえ!違います!大山先輩じゃないです!」

「いや……。でも、それ、俺のコップの水だよな……」


 大山先輩からしたら、トレイの上に置いてあった紙コップが浮き上がったと思ったら、勝手にあたしに向かって中の水がぶちまけられたのだ。

 何が起こったのかさっぱりわからなくて当然だ。

 後でリュカは正座で小一時間説教だ!!


「先輩は気にしないでください!ただの水だし、すぐに乾きますからっ」

「いやしかし……。やっぱり俺の水だよな? 憶えがないんだが、とにかくすまない」


 とりあえず抱えていたバッグからハンカチを取り出して胸元を拭きつつ、気まずくなって後ずさりした。


「びっくりさせてすみませんでした! じゃ、失礼しま……」

「あっ、ちょっと待って!」


 大山先輩はトレイを芝生の上に置いて立ち上がると、あたしに歩み寄った。


「そのままじゃ困るよな……。さっき筋トレ後にシャワー浴びて着替えたばっかだから、臭くないと思うから」


 そう言った大山先輩が、目の前でいきなりTシャツを脱ぎだした!!


「えっ、ちょっ……?」


 上半身裸になった先輩を前に、心臓が暴発したかのように一気に体が熱くなる。

 目を逸らそうとする理性とは裏腹に、あたしの脳には視覚情報が瞬時に鮮明に送り込まれてくる。


 細いと思っていたのに、肩回りにはしっかりと筋肉がついているし、胸板も厚い。

 それに――それに――!!


 肉眼で見る、初めてのシックスパック(しかもキレッキレ!)だぁぁーーーっ!!


 うわー。うわー。

 マジでヤバいわー。


 これ絶対フンドシ似合うわー。


 ブリーフ(ボクサータイプ含む)より、トランクスより、断然フンドシだわー。


 自分の置かれている状況を忘れ、妄想一直線となったあたしに、脱いだばかりの黒いTシャツが差し出される。


「乾くまでの間だけでも、よかったら」


 え? 先輩のTシャツを、あたしに着ろと!?


「そっ、そんな! 水だし、すぐに乾くし……」


 そう言いかけて、先輩の顔もすごく赤くなっていることに気がついた。


「その……。濡れて透けちゃってるから、まずいだろ」


 気まずそうに横を向く先輩の前で、慌ててもう一度胸元を確認する。

 確かに……。白い薄手のカットソーが透けて、ぺったりと貼りついた胸元の肌の色と、水色のブラジャーのレースの凹凸までくっきりと浮かび上がっていた。


「きゃっ……! あ、ありがとうございますっ!」


 慌てて差し出されたTシャツを受け取る。

 こんなあられもない姿を憧れの先輩の前に晒してしまった――!

 フンドシ姿なんて妄想してる場合じゃなかったっ!





 リュカめ、後でそこの木の下に吊るし上げててやるうっ!!





 恥ずかしさと怒りで頭が爆発しそうになりつつも、とりあえず先輩のTシャツを上から着させてもらった。

 頭を入れた瞬間に、ふわりと柔軟剤の香りがした。

 袖を通すと、先輩の温もりがまだわずかに残っている。

 着てみると、先輩の背はそんなに高くないのに、やっぱりぶかぶか。

 優しく包まれた感覚に、きゅんと胸が鳴った。


「俺は武道場に行けばジャージがあるから。悪いけど、このトレイだけ食堂に戻しといてくれるかな」


 先輩は足元に置いたトレイをあたしに手渡すと、「じゃ」とこないだみたいに片手を上げて、ジョギングするように走り去って行った。


 肩甲骨が男らしい陰影をつくる背中を見送り、ため息をひとつ吐き出してから、一部始終をニコニコと傍観していたリュカを睨みつけた。


「ちょっと……! 何してくれたのよっ!」


『何って……白フンの君にまた会うきっかけを作ってあげたんですよ。

 ほら』


 微笑んだままのリュカが、長い人差し指で私が着たTシャツを指さす。

「押忍」と毛筆のロゴが胸に入った、乙女が着るには違和感ありありの黒いTシャツ。


 そっか。これ、洗って先輩に返さなきゃだ――。


「リュカ……。ここまで計算して、あたしにわざと水をかけたの?」


『えっと、まあ、ハンカチくらいは貸してくれるかと思いましたが、まさか白フンの君が脱いだシャツを渡すとまでは思わなかったです』


「だったら胸元じゃなくてスカートを濡らすくらいでよかったんじゃない」


 苦笑いの口元が思いのほか緩んでしまい、先輩のTシャツの胸元を引っ張りあげて顔を隠した。




 いつもはあれこれ細かいくせに、いざという時には意外と大雑把なんだから──




 過保護な堕天使に、この日あたしはちょっとだけ感謝した。

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