💘04 いろいろめんどくさいんですけど!
思いっきり尻もちをついたせいで、今日は一日じゅうお尻が痛かった。
痛みを心配してまとわりつくリュカは相変わらずめんどくさかったし。
5限の講義を終え、バスでアパートまで戻ったあたしは、靴を脱ぎながら薄暗い八畳1Kの部屋に向かって声をかける。
「ただいまー」
『おかえりなさい♪』
若干弾んだ低い声が、背にしたドアの方から聞こえてきてイラッとした。
「あのね、リュカ。ずっとあたしにくっついて外出してたのに、あなたが『おかえり』って言うのはおかしいって何度言ったらわかるの?」
『だって、せっかくのちえりの “ただいま” に誰も返事をしないのは寂しいじゃないですか。
僕が “おかえり” って言った方が、ちえりも幸せを感じるでしょう?』
今日も一日背後にぴったりとついていた黒ずくめの堕天使は、そう言いながらあたしの脱いだ靴をきっちりと揃える。
何か言い返そうかと口を開いたけれど、めんどくさいからやめた。
代わりに軽くため息を吐いたあたしの横をリュカは音もなく通り過ぎていく。
窓から零れる月明かりに浮き立つシルエットが部屋の明かりを点けると、彼の姿が生命を吹き込まれたかのように立体と色彩を帯びて現れた。
背中に折り畳まれた大きな翼とやわらかな長めの髪。見事なまでに漆黒のそれらの表面を滑りながら蛍光灯の白い光が反射する。
堕天使って、こんなに清らかで美しいものなんだろうか。
天上界で天使を務めていたリュカは、とある罪(めんどくさいから詳細は聞いていない)で堕天し、三百うん十年の間地底界で謹慎生活を送っていたらしい。
そして、その謹慎期間が満了した日に十九歳と五か月と何日か目(なんでこんなにめんどくさい数字なのよっ!)を迎えたあたしが彼の贖罪の対象として選ばれたんだって。
要するに、リュカはあたしを幸せにできれば天使に戻れるらしいんだ。
それであたしの身の回りの世話をいろいろと焼いているんだけど……。
過保護すぎて、めっちゃストレスたまるんですけどっっ!!!
「ねえ、リュカ? あなたに幸せにしてもらわなくたって、あたし今のままで十分幸せなんだけど」
部屋着のジャージに着替えながら、あたしは暗にこの現状に抗議してみた。
リュカが現れたばかりの頃は目の前での着替えはさすがに躊躇っていたんだけれど、元天使の彼には性欲の欠片もないみたいだし。
いつの間にかそういうことにいちいち気を遣うのがめんどくさくなってしまった。
リュカはあたしが脱ぎ捨てた外出着をてきぱきとハンガーに掛け、シュッシュとファブ〇ーズしながら反論する。
『確かに、ちえりは決して不幸せではないでしょう。が、充分な幸福感を得ているわけでもありません。
僕が罪を贖い天上界へと戻るためには、神に感謝したくなるほどの幸福感をちえりに与えなければならないのです』
いや、ストレスたまりまくりの生活の中で、あたしが神様に感謝したくなるほどの幸福感なんて感じられる気がまったくしないんですけど。
散らかし放題のワンルームをせっせと片付けているリュカを尻目に、お腹の空いたあたしは備え付けの小さな冷蔵庫から納豆のパックを出し、戸棚から〇トウのごはんを出した。
ごはんのパッケージをぺりっと開け、納豆をそのままかけようとしたその時──
『ああっ! またそんなもので食事を済まそうとするっ! しかもレンジで温めようとすらしないし!』
リュカがすっ飛んで来て、あたしの手から納豆とごはんを奪い取った。
「ちょっ!何すんのよ!?
納豆は日本の文化が誇る健康食品なの! あたしは納豆と〇トウのごはんさえあれば生きていけるんだからっ!」
納豆を冷蔵庫へ戻し、開封してしまったパックのごはんをラップに包んで冷凍室に入れ直すリュカは、そんなあたしの抗議なんてものともしない。
『そんな食生活ではいくら健康食だって栄養が偏ります! 僕が作りますから今から食材の買い出しに行きましょう』
「えー!? もうジャージになっちゃったし、お腹もすいてるし、尻もちついたお尻もまだ痛いし、今からスーパー行くのめんどくさーい」
『僕だって買いに行ってあげたいのはやまやまなんです。けれど、僕の単独行動では、スーパーで浮遊するレジかごに野菜や魚が勝手にぽんぽんと入っていく
「じゃあやっぱり納豆ごはんで……」
『ダメです! 今朝のちえりの体温は平熱より0.2度低かったんです! このままでは免疫力が低下して風邪を引きます。今日は体の温まる根菜を中心に、大学のレポートが捗るようDHAを豊富に含んだ青魚を食べていただきます!』
埒の明かないいつもの押し問答。
結局めんどくさくなって折れるのはいつもあたしの方だ。
「へいへい。わかったわよ。スーパーに行けばいいんでしょ!?」
あたしの投げやりな言葉にリュカはぱっと顔を輝かせ、クローゼットからいそいそとあたしのカットソーとフレアスカートを出してきた。
あたしがジャージを脱ぎ捨てて渋々それに着替えると、手馴れた様子でジャージをさっと畳む。
『ちえり、マイバッグを忘れちゃダメですよ』
過保護な微笑みを投げかけながら、リュカはあたしを促すように玄関のドアを開けるのだった。
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