💘03 押し掛け女房? いいえ、押し掛け堕天使です!


「はぁ……。なんだったんだろ。さっきの」



 部屋の明かりをつけ、息を切らしたままベッドに倒れ込む。



いたっ!」



 お腹に硬い突起が当たり体を起こすと、昨日つけていたベルトがベッドの上で蛇の抜け殻のようにだらしなく伸びていた。


 合わせて履いていたプリーツスカートはヘッドレストの方にくしゃくしゃに押しやられ、繊細なひだがくたびれて張りを失っている。



 あー、めんどくさ。



 あたしはベッドに無造作に脱ぎ捨てられていたベルトとスカート、それから一昨日履いたデニムパンツと部屋着のジャージを床に薙ぎ払うと、外出着のまま寝転がって目を閉じた。





 これは悪い夢に違いない。


 目が覚めたら、この感覚が現実のものじゃなかったって思えるはず。


 今日はこのまま寝てしま──





『うわぁ! これが汚部屋ってやつですか……! 新聞記事で読んで知ってはいましたが、実際に見たのは初めてです』





 耳に飛び込んできたテノールボイスにぎょっとして飛び起きると、あの黒づくめの自称堕天使がカーペットの上に散乱する雑誌や服の上から数センチ浮いて立っている。



「い……いやぁーーーーっっ!!」



 再び絶叫しながらスマホを探すけれど、帰宅するまで握りしめていたはずなのに見つからない!



「いやぁーっ! いやぁーっ!」



 叫びながら床やテーブルに散乱するものをどけながら、スマホを必死で探していると、自称堕天使が呆れたような声を出した。



『携帯を探してるんですか? そんな風に散らかったものを別の場所に移動するだけではますます埋もれてしまいますよ。とりあえず散らばった物を元の場所に戻していかないと』



 そう言いながら、あたしの脱ぎ捨てた何着もの服を拾い上げ、洗濯できる物とできない物へと手際よく分けていく。


 ハンガーへ掛けておくべきものは形を整えてきっちりとクローゼットへしまい、アイロンが必要なものは畳んで部屋の隅へ積み上げる。



『ちえり。ファブ〇ーズはありますか?』


「ふぁ? ……え、あっ、どっかに転がってるとは思うんだけど……」


『あ、ありました!テーブルの下に!服が片付くと少しは物が見えてきますね。ちえりはここにまとめた雑誌を捨てるものと取っておくものに分けてください』


「あ、はい……」



 あまりにテキパキと指示を出されたものだから、思わず彼の声に従ってしまった。


 二人で黙々と片付けること小一時間。


 気がつくと、足の踏み場のなかった汚部屋が掃除機をかけられるほどにまで片付いていた。



『ああ~。部屋が綺麗になると心まで浄化されるようですね!

 そう言えばちえりは夕食を食べていないんじゃないですか? お腹空いてませんか?』


「は? ……え?」


『さっきはコンビニで何を買ってきたんですか?』


「……〇トウのご飯と納豆だけど……」


『今日はもうスーパーに行くような時間でもないですし、仕方ない、それで夕食をすませましょう。冷蔵庫に何か入ってますか? 開けますね。……うわー。見事なまでにすっからかんですね!

 あ、この卵、賞味期限切れてるじゃないですか! 生で食べるのは心配ですから目玉焼きにでもしましょう』



 すっきりと片付いた部屋のベッドに呆然と座るうちに、黒い翼の生えた黒づくめの人は、大学入学時に揃えたきり一度も使ったことのないフライパンを使って廊下のキッキンで調理を始めた。


 あれよあれよという間にテーブルの上に置かれたのは、つやつやの目玉焼き、レンチンされたほかほかご飯に納豆、一度も使ったことのない急須で入れたお茶。

 結局ベッドの下から見つかった携帯も、角にちょこんとお行儀よく置かれている。




 ――もう一度警察に通報する?


 いやいや。この状態で呼んでも、どうせこの男のことは見えないんだろうし、一人暮らしの女子大生のつつましやかな晩ご飯風景にしか見えないよね?

 ヤバイ薬をやってると疑われるのも怖いし、通報するのは無駄な気がする。




 それに、確かに今、あたしはお腹が減っている。

 湯気の立つご飯が久しぶりに目の前に並んでいるこの状況には抗い難い。


 今あれこれ考えるのはめんどくさいし、まずは腹ごしらえだ。

 冷静に考えるのは満腹になってからにしよう。


「……いただきます」

『どうぞ、召し上がれ♪』


 あたしが箸を取りご飯を口に運ぶ姿を、自称堕天使はとびきりのやわらかい笑顔でじっと見つめている。


「……あったかいご飯と目玉焼き、おいし……」


 思わず正直な感想を口に出すと、彼の笑顔は蕾が花開く瞬間のようにますます美しくほころんだ。


『今日は材料がなくて大したものは作れませんでしたが、これからは僕がもっと美味しいご飯を作りますよ。

 明日の帰りは早速スーパーに寄りましょうね?』


 男性は料理上手な女性に “胃袋をつかまれる” って言うけれど、この時のあたしはまさにそんな感じだった。


 普段レンジですらめったに使わないあたしは、あっという間に出てきた魔法のようなほかほかご飯を頬張りながら、リュカのその言葉に思わず頷いてしまっていた。




 そんなこんなで、過保護な押し掛け堕天使とズボラな私の奇妙な共同生活が有耶無耶のうちに始まったのだった。




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