💘35 嫌な予感が増し増しになるだけなんだけど
夏休みに入り、いよいよ合宿の日。
空手部は早朝に大学の武道場に集合し、バスと電車を何度か乗り継いで海岸近くの合宿所に到着した。
部屋割りを伝える大山先輩に続き、タイムスケジュール担当の私が今日一日のスケジュールを説明していると、車に分乗した合気道同好会が到着した。
「おはようございまーす! 三日間よろしくお願いします」
「押忍! よろしくお願いします!」
互いの部員たちが和やかに挨拶を交わす中で、あたしの視線は真衣を捉える。
女子部員たち数名が固まる中に見つけた顔はいつもどおりの穏やかさで、あたしと目が合うと軽く口角を上げた。
『うぅむ。真衣さんの表情から今のところ敵意は感じられませんね。
ガブリエルもまだこの辺りでは見かけていませんし、合宿中に何を仕掛けてくるんですかね』
説明を終えて最後列に下がったあたしにリュカが話しかけてくる。
(真衣はあたしに話があるって言っただけだし、ガブリエルと組んでいるとも決まってないでしょ)
あたしの親友を疑念に満ちた目で見るリュカをたしなめつつも、あたし自身この合宿中に真衣からどんなアクションがあるんだろうかとかなり緊張している。
今夜は合宿所の食堂で各部とも夕食を取った後、懇親会と称した部屋飲みが予定されている。
その時に二人で話す機会はできそうだ。
「各自部屋に荷物を置いたら着替えて体育館に集合すること! 解散!」
大山先輩のきびきびした指示に部員たちが「押忍!」と返事をし、ボストンバッグやリュックを持って動き出した。
「ちえりちゃんっ! いよいよだねぇ。合宿楽しもうねっ♪」
有紗ちゃんが人懐こい笑顔を向けてあたしの隣に並んだ。
「そうだね! 楽しくやろうねっ!」
微笑み返したあたしは真衣に軽く手を振り、有紗ちゃんと一緒に宿泊部屋の方へと向かった。
👼
昨晩のうちにリュカと一緒に仕込んでおいたレモンの蜂蜜漬けを用意して午前の練習に参加する。
いつものように壁際に座り、ノートに練習内容を記録していると、隣でいつものようにひょろひょろとひ弱な突きを練習していたリュカが慌てたようににじり寄ってきた。
『ちえりっ! スパポーンが現れましたよっ!』
敵意まるだしのリュカの声に弾かれて顔を上げると、色とりどりの鮮やかなトランクスを履いた集団が現れた。
ムエタイ同好会だ!
「今日カラ三日間、よろしくお願いシまス! 楽しク一緒ニ切磋琢磨しまショウネ!」
部長のスパポーンがこちらへ向かって笑顔でお辞儀をすると、黒髪のポニーテールがさらりと揺れた。
目じりが少し上がった黒目がちの瞳があたしを捉えて細められる。
今日もお美しいこと……。
「おう。こちらこそよろしくな!
みんな! ムエタイのキックはスピードも威力もあるし、力のため方など組手の参考になると思う。
ムエタイ同好会の練習も積極的に見学させてもらおう」
大山先輩の声掛けに部員たちは「押忍!」と威勢よく応える。
合気道同好会はミーティングルームを使うとのことで、この時間は空手部とムエタイ同好会で体育館を使うことになった。
空手部が基本練習に続いて
「藤ヶ谷サン、こんにちハ」
『あっ! 何でこっちに来たんですかっ! あっちに行ってくださいよ! シッシッ』
「あ、ども……」
「空手部のマネージャー、頑張ってるみたイネ」
『ええ! ちえりはよく頑張ってますとも! 貴方には関係ないことですけどっ』
「うん。まあね。楽しくやってるよ」
「アナタを見てルと、うちノ同好会ニもマネージャーガほしくなっチャうナ」
『欲しけりゃ勝手に募集すればいいでしょう! わざわざそんなこと言いに来たんですか?』
「ちょ、リュ……。そ、そう?」
スパポーンとあたしの間に割り込んでいちいち突っかかっているリュカが超うざいんですけどっ!?
座りなおす振りをしてリュカを軽く蹴飛ばしたら『イテッ』と小さく叫んでしぶしぶ後ずさりした。
そのとき。
「ワタシちょっとマスに掛け合っテこようかナ♪」
意味深な言葉を呟いたスパポーンが、あたしの目線まで下げていた顔を悪戯っぽくニイッと歪ませた。
「へ? 掛け合うって何を?」
あたしの問いには答えず、彼は立ち上がってスパーリングしている大山先輩の方へと向かう。
「なんか嫌な予感がする……」
『ですよねっ! 僕が様子を見てきますっ』
「あっ、ちょ、リュカッ!?」
嫌な予感がするところにリュカが首を突っ込むなんて、嫌な予感が増し増しになるだけなんだけどっ!!
ハラハラと様子を伺っていると、スパポーンが近づいてきたことに気づいた大山先輩が組手の手を止めた。
「マス、せっかくの合同合宿だシ、
部員のみんなの勉強にモなるシ」
「スパーリング? お前が誘ってくる時は大抵何か企んでいるんだよな。
言っておくが勝っても負けても俺はムエタイなんかやらないぞ」
道着の袖で汗を拭いながら訝しむ大山先輩に、スパポーンは不敵さをのせた妖艶な笑みを見せ、先輩の肩に親しげに手をかけた。
「わかってル。今日はネ、もっト面白い賭けヲ思いついたノ」
先輩の耳に桜色の唇を寄せるスパポーン。
その唇に、自らの耳を近づけるリュカ。
何かを囁いたスパポーンに、大山先輩の顔が強ばった。
「なっ! そんな賭けは──」
『有り得ませんっ!!』
リュカと先輩の奇跡のリアクションコラボを「問答無用ッ!」と突き放し、手にはめたグローブをバスンと突き合わせると、スパポーンは筋肉のついた脚をしならせて先輩に襲いかかった。
「くっ……」
咄嗟に右足を曲げ、肘と膝を寄せてガードした大山先輩が後ろに下がると、畳み掛けるようにスパポーンの右足がしなる。
スパポーンの鋭い目付きといい、先輩に反撃の隙を与えまいとするラッシュといい、とても練習とは思えない。
ていうか、スパポーンがこんなに強かったなんて──!!
他の部員と共に固唾を飲んで見守るあたしの元に、わたわたとリュカが駆け寄ってきた。
『ちえりっ! 大変ですっ!!』
(ちょっと! 何で急にスパーリングが始まったの!? 賭けってどういうこと!?)
『賭けの対象はちえりです! スパポーンが勝ったらちえりをムエタイ同好会のマネージャーに転籍させるって……』
「はあぁぁっっ!!?」
思わず叫んでしまったそのとき──
あたしの声に気を取られた大山先輩のガードが緩んだ。
その僅かな隙を狙い、スパポーンの真紅のグローブが先輩の顔を目掛けてねじ込まれた。
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