👼27 私の隣でもあの笑顔を綻ばせてくれるのだろうか


 スパポーンとちえりの一件があってからというもの、ちえりに対するリュカの過保護がさらに強まったように感じられる。


 LIN〇なるコミュニケーション手段で繋がったスパポーンからは、連日のようにちえりの元にデートの誘いが来るようだ。

 彼からの連絡をブロックするよう、リュカがちえりに口を酸っぱくして警告しているが、敵もさるもの。

 一日に一度、「今日のますじろう」というタイトルで大山益次郎に関する小ネタが送られてくるため、ちえりはなかなかブロックに踏み切れないようである。


 そんなこんなで些細な言い合いは日常茶飯事の二人だが、空手部のマネージャー業務に関することはちえりが主体に、その他ちえりの身の回りの家事に関してはリュカが主体に動くことで、衝突を上手く避けるようになったようである。


 スポーツドリンク粉末を相変わらずこぼしてはリュカに小言を言われているちえりだが、レモンの蜂蜜漬けも週末のおにぎりも少しずつ上達しているようで手際も良くなってきた。

 まだまだ口や手を出したいことが山ほどある様子のリュカもそこは我慢をしているようで、部活で益次郎達に振る舞うちえりの笑顔を彼女の隣で満足そうに眺めている。




 しかし、やはりリュカが最も幸せそうな表情をするのは──




「あー、美味しかったぁ。ごちそうさま!」


 今日も夕食を食べ終わったちえりが箸を置くと、黒い燕尾服の上からフリルエプロンを着けたリュカが抱えていたトレーに空の皿をのせ始めた。


『ふふっ……。美味しかった、ですか?』


 悪戯っぽく笑うリュカに、マグカップをリュカの持つトレーにのせたちえりが怪訝そうな視線を向ける。


「え? うん、美味しかったけど、何?」


『実は今日のサラダに、ちえりの嫌いなゴボウを少し入れたんですよ』


「ええっ!? 気がつかなった!!

 もしかして、あのトッピングの中に入ってたの?」


『はい。フライドオニオンとフライドガーリック、かりかりベーコンの他に、ゴボウを薄くスライスしてパリパリに揚げたものも混ぜてたんです。美味しかったでしょう?』


「うん、美味しかった! 全然わかんなかった!」


 子どものように素直に目を輝かせるちえりを、リュカが得意気に見つめ返す。




 ──そう。

 この瞬間なのだ。

 我が愛しきリュカが、まるで淡雪薔薇神の花のように柔らかで美しい笑みを綻ばすのは──




 長年の恋人である私の前ですら見せたことのない表情に、胸が締めつけられる。


 リュカは本当に天上界へ戻りたいと思っているのだろうか。

 このままずっとちえりの傍で、己の甘美な蜜を注ぎ続けたいと思っているのではないのだろうか。




 しかし……


 ちえりは人間。

 我らが主により、限りある生命しか与えられていない創造物だ。


 悠久の時の中では、流れ星の煌めきのごとく一瞬の生。


 リュカもそれはよくわかっているはずだ。

 我々が共に生きたいと願うには、人間はあまりにも儚い存在であるということを。


 それに、ちえりは彼の贖罪を成すための対象である。

 ちえりが真の幸福を手にすればリュカは再び天に住まう者となり、私の元に戻ってくることになる。


 とは言え、今はそれが少し怖くもあるのだ。


 私の隣でも、リュカはあの笑顔を綻ばせてくれるのだろうかと────




 先日上層部へと提出した、使い魔ガブリエルに関するリュカへの警告付与の許可申請は間もなく通るものと見込まれる。


 許可を受けた内容に関すること以外の会話は禁じられるであろうが、それでも直接会うことで、私のリュカに対する思いが伝わればいい。


 そして願わくば、彼が私への恋慕の情を思い起こしてくれればいい。




 そう。ガブリエルと言えば、先日のちえりの階段突き落とし事件に彼が絡んでいたことにはさすがのリュカも気づいたらしい。

 ここのところガブリエルの姿が見えない時を見計らって、鳩たちの目撃情報から彼の動向を探ろうとしているようである。


 しかし、天上界と地上界の伝令役であり我々天使と会話ができるとは言え、鳩はあくまで地上界の鳥。

 暗くなると活動を止め、夜はねぐらに戻ってしまう。


 一方、ガブリエルは姿かたちはカラスであっても、一端いっぱしの使い魔である。

 夜目も利き、リュカがちえりのアパートに戻ったことを見届けてから動き回ることが多いのだ。


 今日もまた、ガブリエルは先ほどアパートのベランダから飛び立ち、の元へと向かったようである。


 なるべく早急に、この事実をリュカに伝えられればいいのだが……。




『ちえり。お風呂が準備できましたから入ってください』

「えー! 今ドラマがいいとこなんだけど」

『追焚き機能がついてないんですから、早く入らないとお湯が冷めちゃいますよ! 録画して後で観ればいいじゃないですか』

「へいへーい……」


 リュカに促され、ゆるゆると立ち上がったちえりがバスルームへと向かう。


 彼女が座っていた場所に散乱するリモコンや雑誌をリュカが片付けている時に、テーブルの上のちえりの携帯が鳴動した。


 画面表示を覗き込んだリュカの表情が強ばる。

 今日もまたスパポーンから連絡が入ったようである。


 リュカがこっそりとちえりの携帯のパスコードを入力しロック解除した。


【こんばんは( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )

 昨日バイト先で美味しいクレームブリュレのお店を聞いたの♪

 今度の日曜に一緒に行かない?】


 スパポーンからのメッセージ。

 字面だけを読めばまさに女友達からの気軽な誘いのようだが、立派なデートの誘いである。


 ちえりもリュカも、彼がちえりに近づく真意を今ひとつ図りかねているようだが無理もない。

 これは彼の作戦なのだ。



 スパポーンはちえりに恋心を抱いているわけではない。

 彼の目的は当初よりただ一つ。

 益次郎をムエタイに転向させることである。


 ちえりが目的遂行の大きな障害となる可能性を察知した彼は、彼女を自分の側に取り込むことで益次郎から遠ざけようとしているのである。


 少々やり方が強引な気がするが、勝負事を好む傾向にある彼は、これもまた益次郎をめぐるちえりとの闘いとして楽しんでいるらしい。


 メッセージを確認したリュカが、不機嫌そうに眉を歪ませ、細く長い指でちょんちょんと画面を触り出した。




【あたし、実はめちゃくちゃズボラなの!

 汚部屋の住人だし、料理も大嫌いだし、あたしと付き合ってもなーんにもいいことないよ!

 ぷっぷっぷーだ!!】





 リュカ──



 その文章はいくらなんでも残念過ぎるぞ……。




 スパポーンがちえりに幻滅するどころか、彼の友人である益次郎の耳に入ったらどうするつもりなのだ。

 ちえりが益次郎から見放されれば、自分の贖罪も先延ばしになるというのに──



 まったく。

 しっかり者のように見えて、変なところで抜けている。

 他人の世話が大好きだけれど、君だって手がかかるところがあるのだよ。



 相変わらずの彼の姿に、上司と部下として、恋人として、共に過ごしていた楽しい日々を思い出し笑い声が漏れた。



 仕方ない。

 先ほどのリュカからのメッセージは、スパポーンに届かないよう、私の方で消去することにしよう。




 愛するリュカが、一日も早く私の元へ戻ってこられるように──

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