💘30 まさか忘れていたの?

 結局、男性下着専門店を出ておもちゃ屋で花火を買い終わる頃になって、リュカはようやくホクホク顔で戻って来た。


 白磁のように滑らかな頬をほんのりと赤く染め、瞳をキラキラと輝かせる表情は、まるで宝物を見つけた子供みたいに無邪気だ。


『ちえりっ! ダイ〇ーですっごく良い物を見つけたんです!

 ちょっと来てくださいっ』


 ダ〇ソーへと急かすリュカを宥めつつ有紗ちゃんとカフェでお茶をし、まだ買い物が残っているからと伝えて現地解散した。


 リュカの欲しがった便利グッズを買い、買い物袋をいくつもぶら下げてバスに乗る。


 自宅近くのバス停で降りると、街路樹のケヤキの枝にガブリエルが止まっていた。


「ショッピングモールを出る時に見かけたと思ったのに、ガブリエルの方が先に着いてたのね」


 あたしが彼に話しかけると、お目当てのグッズをゲットしてホクホク顔だったリュカが視線を枝の上に向けた。


『最近は監視対象の僕から離れてることが多いのに。

 今日は一日僕たちについてくるなんて、どういう風の吹き回しですか?』


 緩く美しい弧を描く眉を不機嫌そうに歪めるリュカ。

 それを一瞥したガブリエルがふいと横を向く。


「別に。繁華街に出れば美味しい残飯にありつけそうだからついて行っただけのことよ」




 あれ?

 ガブリエルに対するリュカの態度がいつになく刺々しいな。

 別にガブリエルがあたし達について来てたって構わないじゃない。

 何か害があるわけでもないんだし。




「それで、美味しいご飯にはありつけたの?」


 あたしが尋ねると、彼は真っ黒な頭をふるふると横に振る。


「結局収穫なし。日曜日だからゴミ捨て場にも何もないし、飲食店の残飯は蓋つきのポリバケツに入れられちゃって食べられないし」


 リュカから聞いた話では、ガブリエルはリュカ同様、食事を摂らなくても飢えたりすることはないらしい。

 けれど、下級悪魔や使い魔は七つの大罪と呼ばれる欲のうちのどれかを強く持っていることが多く、彼の場合は食欲が強いために残飯漁りを趣味にしているんだとか。


 それにしても、いくら飢え死にしないとは言え、収穫なしというのはちょっとかわいそうな気がする。



「そうだ! さっき買ってきたパンがあるんだ。よかったら食べる?」


 あたしはガサガサと袋を開けると、その中に入っていたベーグルをガブリエルに差し出した。


『それはちえりの明日の朝食用じゃないですか。彼には僕が後で野菜の切れ端でもあげますから、そこまでしなくてもいいですよ』


「他にもパンは買ったんだから、一つくらいあげたって平気だよ。

 ていうか、リュカ、今日はやけにガブリエルに冷たくない?」


『そ……。そんなことは……』


 焦るリュカに詰め寄っていたあたしの手から、枝から飛び立ったガブリエルがさっとベーグルをかっさらっていく。




「リュカは天上界に戻りたくて仕方ないから、地底界の目付役のアタシが鬱陶しいだけなのよ」




 ガブリエルは忌々しげにそう言うと、「このパンは遠慮なくいただいてくわ。じゃあね!」とどこかへ飛び去った。




『まったく、彼の減らず口には困ったものです。

 さ、暗くなってきましたし、アパートに戻りましょう』


「え、あ、うん……」




 やれやれと苦笑いしながら歩き出したリュカの黒い翼を見つめる。




 なんだろう……。

 このもやもやした気持ち。




「リュカ。ガブリエルの言ったことは本当なの?

 リュカは天上界に戻りたくて仕方がないから、ガブリエルが鬱陶しいの?」


『そんなことはありませんよ。ただ、彼は最近僕に隠し事をしているようなので、それが気になっているだけで……』


 振り返ったリュカが、少し困ったように笑みをつくる。


「リュカがガブリエルに聞きにくいことなら、あたしが代わりに聞いてあげようか?」


『いや、それはダメです!

 この件は僕とガブリエルの問題ですから、ちえりは関わらなくていいんです』


 その言い方にカチンときた。


「関わらなくていいってどうして?

 あたしのことにはいつも必要以上に首をつっこむくせに」


『ちえりのことに僕が首をつっこむのは、それが僕の成すべきことだからです』




 モヤモヤが膨張していくあたしに、きっぱりとしたリュカの一言が向けられる。




 なにそれ。




 あたしの笑顔を見るのが嬉しいっていうのも、

 あたしの喜ぶことをしたいっていうのも、

 あたしのことをいつもあれこれ気遣ったり心配しているのも、



 全部、贖罪を終えて天上界に早く戻るためにしていることなの──?




「……それって、あたしに世話を焼くのも、あたしのことを心配するのも、リュカは贖罪のために仕方なくやってるってことなの?」


『仕方なく、なんてことあるわけないじゃないですか。

 前にも言ったでしょう?

 ちえりのために世話を焼くのは僕の楽しみでもあり幸せでもあるんです。

 ただ、ガブリエルとのことは本当に僕達二人の問題なんです。ちえりは気にしなくていいんですよ』




 深い湖の色の瞳が夕焼けを閉じ込めるようにきらきらと輝く。

 いつもなら惹き込まれてしまうリュカのたおやかな笑顔を見返すことができなくて、あたしは思わず俯いた。





 そうだよ。ちえり。

 まさか忘れていたの?


 あたしはリュカの贖罪の対象に過ぎない。

 あたしのためにリュカがしていることは全部、天上界に自分が戻るためにしていることなんだ──






 二人並んで歩きながら、リュカが今日の晩ご飯の予定を楽しげに話す。


 けれども、膨らみきって破裂しそうなモヤモヤを必死に抑え込んでいるあたしは、両手に提げた買い物袋の重みにつられるようにずっと下を向いていた。




『あれ?

 ちえりの部屋から明かりが漏れてますね。

 電気は全部消してきたはずなのに、おかしいな』


 リュカの訝しげな声に顔を上げると、アパートの二階のあたしの部屋の窓が確かに光っている。

 辺りはまだ夕闇に染まりきっていないのに、レースのカーテン越しに漏れる光は不自然なくらいに明るい。


「なんだろ? 部屋の明かりにしては随分と明るい気が……」


『とにかく、部屋に戻ってみましょう。

 ちえりはすぐに110番通報ができるように携帯を手に持っていてくださいね!

 僕が先に部屋に入りますから、僕が安全を確認してから中に入って来てください』


「うん。わかった」


 音も立てず歩みを早めるリュカ。

 あたしもにわかに緊張しながらリュカの後ろについてアパートへと急いだ。


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