💘12 あたしに何てことを言わせるのよ
畳の臭い、木材の臭い、汗の臭い。
いろんな臭いの塊がもわっと鼻に入り込んできて、思わず息を止めた。
初めて入る、大学構内の武道館。
合気道サークルに入っている真衣の話では、空手部はいつも第二武道場というところを使っているそうだ。
目の前の第三武道場は畳敷きで、ガラス越しに柔道部の練習が見える。
右横が第四だから、第二は階段を過ぎてあっち側か──
胸に抱いた紙袋をぎゅっと抱き締める。
『あんまりぎゅってすると、せっかく(僕が)綺麗に畳んだTシャツに皺がつきますよ』
「だ、だって、緊張するんだもん……」
呆れ顔のリュカを恨めしげに見ながら奥へと進む。
「キェェーイッッ!!」
「チェストォーッ!!」
ダターン!!
甲高い気合いの声と、床を踏み鳴らす音に思わず肩を竦める。
ガラス窓をそっと覗くと、三十人ほどの男女が白い空手着を着て練習をしていた。
大山先輩を探すと、三列になって蹴りを出しながら前進する部員たちの最前列にいて、「引き足しっかり!」とか「回って!」とか声を張り上げて指示を出している。
『白フンの君、なかなかかっこいいじゃないですか』
あたしの背中越しに中を覗くリュカの言葉に無言で頷く。
素人目に見ても繰り出す技の早さや切れ味が他の部員とは段違いで、しかも美しい。
武道って、格闘技っていうだけじゃない様式美があるイメージだけれど、空手も美しい武道なんだ──
うん。
白くてパリッとした空手着もかっこいい……
けど、やっぱりベストは白フンかな!
時々差し込まれる白フン姿の大山先輩の妄想にニマニマしつつ見入っていると、どうやら休憩に入った様子だ。
扉を開けるタイミングを図りかねていると、女子部員の一人がこちらに気づいて近づいてきた。
「こんにちはぁ!
見学希望の方ですか~?」
勇ましい道着姿に似つかわしくない甘ったるい声で、ツインテールに髪を結んだ小柄で可愛らしい女の子が笑顔を向けてきた。
「あっ、あの!
大山先輩にちょっとご用が……」
上ずった声でそう伝えると、その女子部員が後ろを向いて「主将!」と声をかけてくれた。
汗を拭いていた大山先輩がこちらを向き、タオルを首にかけたまま近づいてくる。
な、何て言って返そう……!?
とにかく、次につながるチャンスを作らなきゃ!!
先輩との距離が近づくにつれあたしの鼓動はますます早くなり、緊張で感覚を失いそうな指先にぎゅっと力を込めた。
「こないだはすまなかった」
先輩の中では、水濡れ事件は自分の過失として処理されているらしい。
頭を下げる先輩の前で、慌てて手を振り否定する。
「いえっ! あれは先輩のせいじゃないです!
それより、これ、ありがとうございました!!」
胸に抱えていた紙袋を差し出すと、先輩は、ああ、と中身を察した様子で受け取った。
「咄嗟に渡せるのがこれしかなかったから……。
変なもの着させてごめんな」
「いえ!本当に助かりました!
先輩には助けてもらってばかりで……」
“今度何かお礼をさせてください!”
その一言を発する前に、
「わざわさありがとな。じゃ」
と大山先輩が扉のノブに手をかけた。
閉められる──!!
そう思った瞬間だった。
背後から黒い影がひゅっと飛び出したかと思うと、今まさに閉められようとしている扉に挟まったのだ!!
『ぐぅッッ!!』
「あれ?」
「リュカッ!?」
三人の声が同時に上がる。
閉めようとぐぐっとノブを引く大山先輩。
『ぐえ……っ』
薄い胸板を挟まれて、(堕)天使らしからぬ声を出すリュカ。
んもう!
また無茶な手で先輩を引き止めようとするんだからっ!
「なんで閉まらないんだ……?」
首を傾げた大山先輩が、力いっぱいノブを引き続ける。
このままじゃリュカが死んじゃう!
いや、堕天使だから死なないのか!?
とにかく何とかしなくっちゃ!!
「あっ、あのっ!実はあたし、入部を希望してるんですっ!
中に入って見学してもいいですか!?」
そ……
その場しのぎで、とんでもないことを口走ってしまったぁーーーっ!!!
驚いて切れ長の目を見開いた大山先輩だったけれど、「そういうことなら……どうぞ」と手にしたノブを押し戻した。
挟まれていたリュカがふうっと息を吐いてよろよろと抜け出てくる。
いや、わかる。わかるよ?
あのまま扉を閉められていたら、間違いなくあたしは今後先輩と話す機会を失っていた。
ぷつりと切れてしまいそうだった先輩との縁を、リュカが身を呈して繋ぎ止めてくれたんだ。
でも……でも……
あたしになんてことを言わせるのよーーーっ!!!
空手なんて、まともに見たのは今日が初めてだし、かっこいいとは思ったけれど自分がやってみたいだなんて1ミリも思ってない!
「田川! 見学希望の女子だ。
よろしく頼む」
大山先輩は、5人ほど見える女子部員のうちの、さっき声をかけてくれたツインテールの女の子を呼び出した。
人懐っこい笑顔が焦るあたしに再び向けられる。
「私、情報学部2年の田川
「あ、えと、文学部2年の藤ヶ谷ちえりです……」
「わぁ! 同じ学年なんだ♪ よろしくねっ!
今から型の練習をするから、見学はここに座ってて!
足は崩して楽な姿勢で大丈夫だよっ」
板張りの道場の隅におずおずと座ると、未だにふらふらとした足取りでリュカが隣に座った。
「よーし! 型やるぞ! 整列っ」
「押忍ッ!!」
大山先輩の号令で、きびきびと部員達が整列を始める。
さあ、今のうちにこの場の切り抜け方を考えなくちゃ──!
『まさかちえりが空手に興味を持つなんて思いませんでしたよ。
ぐうたらなちえりが、こんなきびきびした動きについていけ……うぐっ!!』
人の気も知らず呑気にからかってきたリュカにイラッとして、彼が投げ出した無駄に長い足をあたしは思いきり蹴飛ばしてやった。
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