💘47 身勝手な想いはやっぱり彼を傷つけている

 言い逃れようのないスパポーンの言葉に、有紗ちゃんが悔しそうに顔を歪める。


 やがて引き結んだ口の端が極端に下がったかと思うと、彼女の大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれだした。


「ごめんなさい……っ!

 本当はこんなこと私もやりたくなかったのっ!

 ちえりちゃんは大切な友達だし……。

 でも……でも……赤フン同盟に命令されて仕方なく……」


 途切れ途切れそう言うと、彼女は俯いて両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めた。


 小柄な体を鎧のように覆っていた虚勢がぽろぽろと零れ落ちていく姿を前にすると、なんて声をかけたらいいのかわからない。


 そんなあたしの代わりに、スパポーンが低い声で彼女に尋ねる。


「赤フン同盟っテ? 田川サンは誰ニ命令されタの?」


「それは言えません……。言ったら私、後でどんな目に合うか」


 震える有紗ちゃんが顔を上げた。

 すがるような眼差しで、立ち尽くすあたしの手を握る。



「ちえりちゃん、お願いっ! このことは誰にも言わないでっ!

 スパポーン先輩もお願いしますっ」


 あたしの手を握ったまま、深々とお辞儀する有紗ちゃん。

 耳元でリュカが囁いた。


『彼女が命令されたと言うのなら、命令した赤フン同盟の正体を突き止めなければ嫌がらせはなくなりません。

 今後のためにそこは追及した方がいいですよ』


 リュカの言うことはもっともだと思う。

 でも、赤フン同盟からの報復を恐れる有紗ちゃんを見ていると、彼女からそれを聞き出すのは可哀想な気がしてくる。


「わかったよ……。誰にも言わない。

 ただし、一つ聞いてもいい?

 ……有紗ちゃんは、ガブリエルっていう喋るカラスを見たことはある?」


「喋るカラス? そんなの見たことないけど」


 首を傾げる有紗ちゃん。

 じゃあ、ガブリエルが接触しているのは赤フン同盟のメンバーの誰かということなのだろうか。


「それから、有紗ちゃんに約束してほしいことがあるの。

 もう二度と赤フン同盟の脅しには屈しないって。

 もし今度脅されたら、あたしに相談してほしんだ。

 相手が何人いるかは知らないけれど、二人で組めば多少は抵抗できるでしょう?」


 あたしの言葉に、有紗ちゃんの瞳に膜を張っていた涙が大きな粒となって零れた。


「うん……うんっ! ちえりちゃん、ありがとうっ!!」


 スパポーンに視線で答えを促すと、あたしの催促に渋々といった様子で頷く。


「……私ハそもそも部外者だシ、言いふらスつもりハないケド」


 それを聞いた有紗ちゃんは「ありがとうございます……っ」と声を震わせた。



「あんまり長く懇親会を抜けてたら、赤フン同盟に怪しまれるよね。

 そろそろ戻ろう?」


 二人を促すと、有紗ちゃんが涙を拭って微笑んだ。


「泣いてたのがバレないように、トイレで目元を冷やしてくるね!」


 タタッと小走りで廊下の奥に消えた後ろ姿を見送ってから、あたしはスパポーンに向き直った。


「助けてくれてありがとう。

 スパポーンの証言がなければ、あたしが完全に悪者になるところだったよ」


「いいのヨ。アナタのコト騙しタせめてもノお詫び。

 ……実を言うト、あの目撃証言ハ真っ赤ナ嘘なノ。

 鎌ヲかけタラ案外簡単ニ引っかかっテくれたワ」


「ええっ!? そうだったのっ!?」


 愉快そうにくつくつと笑うスパポーンの美貌に背筋が凍る。

 彼はやっぱり喰えない人だ!


「ワタシ、藤ケ谷サンとハ良い友達ニなれそうナ気ガするノ。

 もうアナタのことヲ騙すつもりハないカラ安心シテ」


 そこまで言うと、スパポーンの大きな黒い瞳がにわかに鋭い光を帯びた。


「……たダ、田川サンのことハ油断しない方ガいいワ。

 彼女ハまたアナタを裏切ルかもしれナイ」


 あたしの肩にぽん、と手をかけて低い声で呟くと、スパポーンは黒髪を翻して懇親会会場へと戻っていった。




『はあぁっっ……』


 ずっと黙っていた隣のリュカが突然大きなため息を吐く。


『せっかくスパポーンの機転でピンチをチャンスに覆せたというのに、ちえりは詰めが甘すぎます!

 どうして僕の助言どおり赤フン同盟の正体を追及しなかったんですか?』


「だって、有紗ちゃんから赤フン同盟の正体を聞いたところで、あたしは下手に動けないでしょう?

 とりあえず大山先輩と距離さえ置いていればこれ以上の嫌がらせは受けないだろうし、後はほとぼりが冷めるのを待って……」


『ちえりっ! いつからそんなに消極的になったんですか!?』


 言い訳めいたあたしの言葉を、いつになく苛立ちの混じる強さでリュカが遮った。


『ちえりの恋を成就させるために二人で頑張るって決めたでしょう?

 そんなことではちえりの幸せはなかなか手に入らないじゃないですか。

 ……それとも、こんな僕じゃ頼りになりませんか?』


 歪めた眉の下で、深い湖の色の瞳が悲しげに揺れている。


 リュカともう少し長く一緒にいたい。

 あたしのそんな身勝手な想いは、やっぱり彼を傷つけている。




 何も言えないあたしは黙り込む。





『大切なちえりを幸せにするために、僕は迷いを捨てたはずなのに……』





 もう一度大きなため息を吐くと、リュカは黒い翼の生えた背中を向けて先を歩き出した。

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