💘50 ところでこれってライブ中継?
気がつくと、あたしは真っ白な空間の中にへたりこんでいた。
かぐわしい花の香りが優しく鼻腔をくすぐってくる。
ここはどこ……?
あたし、溺れて……
そうだ! リュカはっ──!?
『ちえり。久しぶりであった』
聞き覚えのある声に顔を上げると、そこにはあのラファエルが穏やかな眼差しで私を見下ろしていた。
今日はタモさんサングラスがなくても、はっきりとその完璧に美しい姿を見ることができる。
「あっ……ねえっ!! あなたが助けてくれたの!?
リュカはどこっ!?」
『助かったのではない。お前さんは死んだのじゃ』
ラファエルの白い燕尾服に縋り付くあたしの耳に、しゃがれた声が届いた。
────は?
死……!?
ぎょっとして振り向くと、そこに立っていたのは人の好さそうな白髪のおじいさん。
麦わら帽子のつばの下にはひらひらと日除けの布がついていて、デニムのオーバーオールを身に着け、腕には泥だらけのガーデニング用アームカバーを着けてニコニコしている。
「おじいちゃん、誰?」
『ちえりっ! おじいちゃんとは何と無礼な! この翠晶牡丹のごとく美しきお方こそ我らが主であるぞ』
厳然たる態度のラファエルの肩に、おじいちゃんがゆっくりと手をかける。
『ほっほっ。ラファエル、よいのじゃよいのじゃ。
わしの姿も声色も定まりはなく、相見える者の心のままに映し出されるもの。
ちえりにはそのように見えるのじゃろうて』
「あの、いろいろ話が見えなさすぎなんだけど……。
主って?
あたしが死んだって?
一体どういうことっ!?」
『有り体に言うと、わしは地上界で神と呼ばれる存在じゃ。
天地を創造してこの方、地上界、天上界の生けるものすべてを慈しみ育てておる。
そのわしが、先ほど海で溺れていたお前さんの魂を体から抜き取ったのじゃ。
魂を
このガーデニングおじいちゃんが神様ですって──!?
……って、驚いたり話の内容を噛み砕いてる場合じゃないっ!
「そんなめんどくさいことよりリュカはどうなったのっ!?」
『お前さん、自分が死んだことを “めんどくさい” で片付けられるのか。
ほんにズボラで面白い子じゃ。
リュカならば、ほれ』
おじいちゃんが指さす方へ目を向けると、広くて真っ白な空間のど真ん中に丸い泉が垂直に立っていて、水が零れ落ちることもなくきらきらと輝いている。
その澄んだ水面を覗くと、まるでテレビを観ているかのようにあたしの姿が映った。
『ちえりっ! しっかり!』
目をつぶり、人形のように浮かぶあたしの肩に、必死の形相のリュカが縋り付いている。
とりあえずリュカが無事そうで安心した。
ところで、これってライブ中継?
事態が飲み込めないうちに、パッと画面が切り替わった。
浜辺でスイカ割りの準備をしている大山先輩が映る。
そこに、聞き覚えのある声が割り込んできた。
「ちょっとアンタ! ちえりが大変よっ!」
見上げる先輩。
「なんだ? このカラス……」
「沖を見て! ちえりを助けに行って!!」
「え? 助けに……って……」
訝しみながら屈んでいた体を起こして沖を見やった先輩が切れ長の瞳を見開いた。
「あれ何だ……? あいつら何をしてるんだ?」
「ちえりが海に沈められてるっ! 早く助けないとちえりが死んじゃ……」
「藤ヶ谷ぁっ!!」
ガブリエルが言い終わらないうちに、大山先輩はざぶざぶと海へ入っていった。
再び画面が切り替わる。
「有紗、ヤバいっ!
こいつ、急に力が抜けてぐったりしたんだけど」
意識のなくなったあたしに気づいて羽交い締めの腕を緩めたのが、あたしを階段から突き落とした美奈子とかいう子だ。
「えぇ? マジで? 気絶するまで折れないなんて、ほんとにめんどくさい奴」
気絶してるっていうか、死んでるらしいですけどね、あたし。
それにしても、素の有紗ちゃんってこんなにガラが悪いんだ。
「足がつって溺れてたところをうちらが助けたってことにしとこっか」
潜ってあたしの足を引っ張っていたムエタイ同好会の子が提案する。
あの子、武道場で会う時はいつも愛想がよかったのに……。
「そうだね。でも、意識戻っていろいろバラされても面倒じゃない?
いっそのこと、助けようとしたけど間に合わなかったってことにしちゃう? 」
有紗ちゃんの冗談とも本気とも取れるような言葉にぞわりと身の毛かよだったとき、大山先輩がざぶざぶとすごい勢いで近寄ってきた。
「藤ヶ谷ぁぁっ!!」
赤フン同盟の三人がその声に顔をこわばらせる。
「主将ぉっ!!
大変ですっ! ちえりちゃん、泳いでて足がつったみたいでぇ……」
有紗ちゃんがいつものぶりっ子口調になって先輩に虚偽の報告をする。
この人ほんとに女優だな。
彼女なら国家スパイになれるかも。
「藤ヶ谷っ! 大丈夫かっ!? しっかりしろ!」
リュカを押しのけ、羽交い締めにしてる子からあたしの体を奪うと、先輩はあたしを抱えたまま顔を近づけた。
「意識もないし、息をしていない。
急いで浜へ戻る!!」
有紗ちゃん達が後ろを追いかけながら「溺れてたのが見えて……」とか「私達が行ったときにはもう……」とか言い訳をしているけれど、その声は先輩の耳には入ってこない様子で、あたしをお姫様抱っこして岸に上がる。
海の中、一人残って呆然とするリュカ。
「リュカッ! 大丈夫! あたしはここにいるよっ!」
呼びかけてみたけれど、あたしの声は届かないようで、彼は力なく波間を漂うままだ。
「ほらっ! ボケっとしてる暇はないでしょうがっ!
あのお嬢ちゃんを助けるのはアンタしかいないのよっ!
お嬢ちゃんが誰よりも大切なんでしょう!?」
リュカの頭の上にとまったガブリエルが、つんつんと嘴で彼をつつく。
『あ……ちえり……ちえりっ!!』
ガブリエルの言葉に弾かれたリュカは、濡れた翼を引きずるように岸へ向かって泳ぎ出した。
「ねえ……。
あたしはこれからどうなっちゃうの?
リュカはどうなるの?」
まるで映画を観ているようで今ひとつ現実感がわかないけれど、必死の形相の大山先輩や呆然自失のリュカを目の当たりにすると、もう二度とこの泉の向こうの世界には戻れないんじゃないかと不安になってくる。
『地上界、天上界で起こるすべての事象は主の思し召しである。
我々にできるのは、ただそれを受け入れることだ』
『ほっほっ。花を愛で育てるのがわしの務め。これから美しい花が咲く蕾をわざわざ摘み取るようなことはせんよ』
ラファエルの言うことも、おじいちゃんの言うこともピンとこないけど、どのみち今のあたしはここで事態の成り行きを見守るしかなさそうだ。
再び泉の中を覗くと、砂浜に敷かれたレジャーシートの上にぐったりと横たわるあたしが見えた。
幾重もの人の輪に囲まれたその中心で、あたしの傍らに大山先輩が跪いている。
重ねた両手であたしの胸を何度も圧迫し、心肺蘇生を試みているみたい。
ぐっ、ぐっ、とリズミカルに圧迫を繰り返した後、顔を上げた大山先輩が突然大声を出した。
「いいか! 今から人命救助のための人工呼吸を行う!
あらぬ方向に誤解して藤ヶ谷を傷つける奴がいたら、俺は容赦しないからなっ!」
周囲を見渡しながら早口でそう宣言すると、先輩はあたしの鼻を右手でつまみ、顎に左手を添えるとあたしの唇を僅かに引き下げた。
ちょっ……
あたしがあらぬ方向に誤解しそうなんですけど────っ!?
先輩の唇が重ねられそうになったまさにその時──
「きゃっ!」
「うわっ!」
「なんだよ、押すなよ!」
「押してねえよ!」
人の輪の一角が崩れ出した。
『やめろおおぉーーーっ!!!』
聞こえるはずのない絶叫を上げ、人垣をものすごい勢いで崩しながら中心へ突き進むのは、ずぶ濡れになったリュカだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます