第28話 暗闇に沈む

 あれ?ここはどこだろう…


 あたり一面は真っ暗で何も見えない。もう夜になっちゃったのかな。…って、そんなわけないよね。


 ぼんやりする頭で、さっきまで森に向かって走っていたことを思い出す。そうだ。ジョギング中、南の森に入っていったら、『あの場所』を見つけたんだ。巨大な竜巻が起こった後みたいに森の中がぐちゃぐちゃになっていて、


 その光景を見て、私、どうしたんだっけ?

 そこからの記憶が全然出てこない…。もしかして、また記憶喪失?

 体中がお店の冷凍庫から出てくるような冷たい空気に冷やされたような感覚になる。


 記憶が無くなるのは、もう嫌だよ…


 3年前のあの日、病院のベッドで目覚めた私は自分の一切の記憶を失っていた。名前、年齢、住んでいた場所、好きなもの、嫌いなもの、家族、全て。

 日常生活に最低限必要な動作や知識は覚えていたのは良かった。たしか、お姉ちゃんの話だと、そういう人として必要な体で覚える記憶と、思い出みたいに頭で覚える記憶は別に記憶されているんだっけ?


「お、おね…っ?!」

 

 声が、出ない?!


 暗闇の中で感覚を研ぎ澄ます。唇が何かに阻まれて開かない。たぶん、テープで塞がれているんだ。

 体をもぞもぞと動かす。周囲は暗いままだがだんだんと自分の状況を理解していく。


 ひとつ。私の体は手足が縛られ、口が塞がれ、目隠しもされている。つまり、身動きひとつできない。


 ふたつ。何か箱のようなものに閉じ込められていること。手・足・頭が時折壁にぶつかるような感じがする。


 みっつ。きっと変な薬みたいなものを飲まされたこと。口の中がなぜか苦い。それに、頭の中がいまだにぼんやりしたままで、手足もしびれるような感覚があって、関節を動かすこともままならない。


 たしか、南の森のあの場所で周りを見ていたら、突然、頭にすごい痛みが走って、そこで記憶が途切れて…。

 ということは、これって、誰かにさらわれたってことなのかな。

 

 こわい。途端に恐怖が波になって押し寄せる。抵抗するにももがくこともできない。唯一の救いは頭の中がぼんやりし続けているおかげか、パニックになっていないことだった。


 お姉ちゃん、大丈夫かな。ちゃんと家に帰ってきてくれたのかな?


 頭の中は自分のことなんかより、お姉ちゃんのことで頭がいっぱいだった。


 記憶を失ってしまった私の唯一の肉親。記憶があるのは3年前からだけど、いつも優しくしてくれて、頼りになる大事な存在だった。

 正直、最初は寂しさと不安から、お姉ちゃんだと信じこんだ気持ちもあったかもしれないけれど、本当のお姉ちゃんなんだとちゃんと思えるようになった。だから。もう離れたくないよ。離れたくなかったのに…。



 一人は怖い。真っ暗は怖い。自由じゃないのは怖い。怖いよ、怖い、怖い、こわい、こわい、コワイ、コワイ。私が、わたしじゃなくなっちゃう。


 頭や体の奥底から淀んだ泥のような何かが湧き出てきそうだった。失った記憶なのかな?何かはわからないけれど、これは今の私が呼び起こしちゃいけないもの。そう私の心が警鐘を鳴らしている。だから、必死に、必死に押さえつける。


 箱がカタカタと震えだす。いや、私があまりにも震えているからだ。この口の中に残る苦かった薬のせいだ。きっと。


 すると、目隠しの隙間から少しだけ光が入ってきた。


「あら、起きちゃったの?ごめんね。まだ早いから、もうちょっとだけ眠っていてくれる?」


 どこかで聞いたことのあるような声が聞こえたと思ったら、首筋にわずかばかり痛みが走る。


 あ、れ?これって、もしかして…


「本当は飲用するんだけど、これでもいいわよね。強く聞きすぎるかもしれないけど。本当、面倒くさいったらありゃしないんだから」


 たす…けて、ハルトさん、お姉ちゃん…


 でも、体から力が抜けて楽になる。溢れてくる何かも勢いを失ってきたみたい。


 あぁ、これはこれで助かった、のかな…?

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