第12話 とある村の悲劇
3年前、人間と魔王軍の5年にわたる戦いは、勇者たちの登場によって人間たちが形勢逆転をして、魔王のいる城の攻略まで後一歩と迫るところにきていた。
アムズガルドがあるオーランド国の北に位置するマウントリア国。その最東端の国境は険しい山脈が連なっている。山を越えた先には魔王たちが一番最初に占領した王国もあるが、この山脈は何か不思議な力に守られているらしく、ここを越えるのは魔王軍にも至難の業だったため、これまで山を越えて攻め込まれたことはなかった。そして、その麓にある小さな村にエリオとセレナ、2人の姉妹が住んでいた。
「私とセレナは魔王たちとの戦いのことなど露知らず、霊山と呼ばれる山脈によって守られ、5年間もの間、これまでと変わらぬ平穏な生活を送っていたんだ」
・3年前 とある小さな村
あの日、セレナと私は村のはずれの森で秋にやってくる収穫祭のための歌と踊りを練習していた。私はもう16歳。そこそこの年齢になり、他に子供がいないからという理由で押し付けられたこの役目にほとほと嫌気がさしていた。しかし、セレナはそれを嫌がることなく練習していたんだ。
「セレナちゃんは本当に歌と踊りが好きなんだね」
「そ、そうかな…。本当はすごく恥ずかしいんだけどね。でも、歌ったり踊ったりしてると、少しだけ自分が強くなれる気がするんだ」
当時、14歳のセレナは今よりもずっと恥ずかしがりやで、私がいないと家族以外の人とはまともに話すことができなかった。
「そっか。それは良かった。セレナちゃんは歌ってる姿がとても似合ってると思うよ」
「あ、ありがとう、ございます…」
そんなセレナが家族以外で唯一ちゃんと話せる人物が、時々この村にやってくる吟遊詩人のクラルだった。クラルは2年くらい前に現れてから、時々この村にやってくるようになった。魔王のこと、勇者のこと、他の街のこと、いろんなことを私たちに教えてくれた。まるで兄のような存在だった。
「私はこういうのが似合わないからな。セレナの1人の方が綺麗に見えるし、絶対いいと思うんだが…」
「ダメだってば!私1人じゃあがっちゃって絶対にうまくできないから。隣にちゃんとお姉ちゃんがいてくれないと」
「じゃあ、私の代わりにクラルが隣で弾き語りでもすればいいんじゃないか?クラルも歌はできるんだろう。一緒に歌うのもありだと思うぞ」
そう私が言うと、セレナの顔は一気に赤くなった。
「それはもっとダメっ!」
一方のクラルはそれを聞いて大層凹んでいた。
夕方くらいになると、雨が降りはじめた。この地帯は東の山脈によって乾いた空気しか吹いてこないため、滅多に雨が降らない。そのため、作物も乾燥に強く、水をあまり必要としないものが栽培の主流だった。
「雨か。仕方ない、今日はこのくらいにして家に帰ろうか。クラルもまだ村にいるんだろう?とりあえず、うちで雨宿りしないか?」
「そうだね。そうさせてもらうよ」
生い茂る木々のおかげであまり雨にうたれなかったから、私は気づかなかったその異変にセレナがいち早く気づいた。
「ねぇ、お姉ちゃん。この雨、黒いよ…」
「うそ…?いや、ほ、本当だ…」
まるでインクのようにその雨は黒かった。ぽたぽたと降り始めた雨は強くなり、真っ黒な雫が豪雨となって地上に降り注いだ。それはあまりにも不気味な光景だった。浴びるのもおぞましいその黒い雨を避けるために、私たち3人は近くにある横穴で雨宿りすることにした。小さな入り口から1人ずつ入り、大人に近づいた男女3人が過ごすには狭かったが、我慢した。
その時だった。どさり、どさりと何か重いものが落ちる音がした。3人でこっそり外を覗き込むと、そこにはたくさんの黒い影がいた。人のような何かに見えたそれらは、一歩ずつ進み、うめき声を上げながら村の方へ進んでいく。その足取りは少しずつ速くなり、最初は亀が歩くような遅さだったのが、だんだんと駆けるくらいスピードに変わっていった。
恐ろしいのはその数だ。黒い何かたちは過ぎても過ぎても一向に減らなかった。まだ続く、まだ続く。どさり、どさりと音は繰り替えし、絶えることなく続いていく。
「なんなんだ、あれは…?!」
雨の音で聞こえないはずだが、それでも限界まで潜めて話す。
「あれが魔王軍の兵、『魔人』たちか…」
話には聞いたことがあった。確かに人の形をしているけれど、ちゃんとした言葉も話さず、ただ人を襲うだけの化け物。銃で撃ち抜いても、剣で切り裂いても、中心にある『核』を破壊しない限り死ぬことはない。いつまでも戦い続ける戦闘兵器。
「でも、やつらはこの周辺には現れないはずなのに…。この山だって越えられないはず…」
「あくまで『はず』なだけで、確証なんてなかった。これまでの数年間はたまたま運が良かっただけなんだとしたら…」
その運が悪かった日が今日だというのか。
「ど、どうしたら…」
セレナは一番奥で小動物のように泣いて震えている。慌てて近づき、ぎゅっと抱きつく。妹の恐怖を減らすために。私の恐怖をごまかすために。
「2人はここで待っているんだよ」
クラルが私たちの頭を優しく撫でる。
「ど、どういうことだ!」
「エリオ、わかっているだろ?この先にあるのは村だ」
ハッとなって息を飲んだ。失念するほどの恐怖を覚えていたというのか。あの大量の魔人たちが村に向かったら…、村はどうなる?
「母さん、父さん…」
「いい?何があっても絶対にここから出ちゃダメだからね」
「待てっ!クラル!」
そんな声もむなしく、クラルは横穴から抜け出し、漆黒の雨にうたれながら、村の方へと全速力で走っていった。
クラルがいなくなり、雨の音に慣れたころ、段々と他の音がはっきり聞こえるようになってきた。 人の悲鳴、魔人の声、家が壊れる音。聞きたくもない騒音が黒い雨をすり抜けて嫌でも耳の中に入ってきた。
「お姉ちゃん、怖いよ…」
「大丈夫。私が一緒にいるから…」
これっぽちも大丈夫な要素なんてなかった。それでも、『大丈夫』とずっと呟いていないと、頭がどうにかなりそうだった。心が壊れてしまいそうだったんだ。
「誰か、誰か助けてくれっ…」
世界では魔王たちと戦うために勇ましき者たちが力を合わせている。だから、もうすぐ世界は平和になる。クラルはそう言っていた。そんな勇猛果敢な人たちが助けに来てほしい、そう願っていたけれど。
勇者?もちろん彼ら彼女らがこの村に来ることなんてなかった。
そして、事態は最悪の展開を迎える。
「あ、あ、あ…」
セレナがかすれた声をあげる。私は彼女の精神が壊れないように痛いくらいに妹を抱きしめた。
「あそこで、見てる…!」
その言葉でハッとなった私は後ろにある入り口を振り向いた。戦慄が体中を駆け巡った。視線の先に、すっかりいなくなっていたと思っていた魔人が1人、立っていたんだ。真っ黒な顔で眼はないはずなのに、恐ろしいほどに冷たい眼で私たちを見ている、そんな気がした。
だから、私はセレナを必死に抱きかかえて入り口へ駆け出した。それとほぼ同時に魔人もこちらへ全速力でかける。魔人が近づくより先に入り口から飛び出した私たちは体を左に大きくずらし、魔人の突進を間一髪で避けることができた。次の瞬間、魔人は私たちがいた横穴の壁に激突した。あっという間に横穴は崩れ、周囲の山壁が大きく崩れる。ビリビリと崩れる振動が伝わってきた。
「逃げるないと…ほら、セレナ!」
無理やりセレナを起こそうとするが、半ば放心状態のセレナは全然起き上がってくれない。
「セレナ!お願いだから!」
必死にセレナを立ち上がらせようとする私の後ろで、横穴に上半身を突っ込んだ魔人がその体を引き抜き、体勢を立て直してこちらを向いた。
殺される。そう思った。すると、てっきり言葉を話せないと思っていた魔人がなんと言葉を喋ったんだ。しかも、魔人は、
「ユウシャハドコニイル…?ココニイルトキイタノニ…」
確かにそう言ったんだ。
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