第46話 アロウズの日常
商業都市アムズガルドにある喫茶店『アロウズ』
元勇者・ハルトが営むこの店は不安だらけのオープンも束の間、ある日出会った姉妹、セレナとエリオのおかげで人気店となった。
「はぁ……。なんで私がこんなことを……」
店の厨房で1人の女の子がため息をついていた。
「やっぱり家だとお手伝いさんがやってくれるから、家事はあまりやらないのか?」
「……それは、遠まわしに『皿洗い遅いんだけど。もっと早く終わらせてくれないか?』と催促していると受け取っていいんですね」
「解釈はひとそれぞれだ」
仕事の邪魔にならないように一つに結んだ髪を小刻みに揺らしながら、その女の子、システィ・アムズガルドは腑に落ちない気持ちで、けれど熱心に大量の皿を磨いていた。
「システィー。また混んできたからフロア手伝ってー」
「だそうだ、頼む」
しばらくはため息をつく暇もなさそうだと悟ったシスティはここぞとばかりに大きく息を吐き出すのであった。
ディナータイムも終わり、気づけばとっくの昔に太陽は地平へと沈んでいた。
「13歳にこんな労働させるなんて、訴えられますよ……」
「あぁ。街の人たちに見られるとさすがに心象悪い。だから、夜は厨房にずっと入っててもらったんだ」
この鬼……と、怨念を込めた視線をシスティはハルトに向ける。
「でも、システィが手伝ってくれたおかげで助かったよ。僕もさすがに1人であの人数は無理だからね」
「まぁ、あなたたちにはいろいろと借りがありますから。それと、本当は手伝うなら変身後の方が動きやすいのですが……」
システィは3人しかいない店の席に座りながら、自分の身体を見やる。
「いや、アスティナでやったら、今まで以上に店が人気になって手に負えなくなるから」
システィは魔法を使えるようになった後遺症のようなもので外見年齢は13歳(本人曰く幼児体型なのでさらに1~2歳若くみられる)だが、本当は19歳の少女である。この町の長である商工会長の娘だが、人前に出る機会が少なかったため、認知度はそこまで高くない。だから、客の中には彼女の素性を知らない人もいる。
「でも、店の看板娘が2人とも不在とは……」
「仕方がないことだけど、切り盛りするのは大変だね」
セレナがアイドルスクールに入学するため、王都へ旅立ってから1ヶ月。本来ならエリオと、この店の所属アイドルにもなったミーア、そして、店主であるハルトの3人で店をやっていくはずだったのだが……
「エリオさんが本格的に音楽を勉強したいと話したときは驚いたね」
「きっとセレナに影響を受けたんだろう。自分からやりたいことを見つけるのは良いことだと思うよ」
1週間ほど前に、エリオはしっかり音楽を勉強したいと言いだし、ここから離れた別の町に住む音楽家の元へ修行に行った。どうして、音楽家なんてアテがあるのか、と思ったハルトだったが、どうやら彼女……というより、彼女と心身を共有している男性、クラルの知り合いとのことらしい。とはいえ、今のクラルの姿は女性そのものである。いろいろ大丈夫なのだろうかと不安には思ったが、先日、店の様子を伺う電話をかけてきたところを見ると、どう説明したかはわからないが上手くやっているのだろうとハルトは思っている。
そんなこんなで、さらに欠員が出てしまったアロウズをなんとかするべく、ハルトはシスティにヘルプを依頼した。断られそうになったが、エリオの話を出したところ、システィは渋々OKしたという。
「ところで、この状況はいつまで続くんですか?」
「とりあえず、明後日までかな」
「あら、意外と早いんですね」
予想外の返事に少し驚くシスティ。他に新しい店員を雇うのだろうか。まぁ、後それくらいならがんばってあげようと思ったのだが、
「来週からミーアが実家に帰るみたいでさ。さすがに、2人じゃ切り盛りは無理だから、エリオが戻るまでは夜の営業は一旦やめようかな、と」
「……はい?」
耳を疑うような言葉が飛んでくる。隣でミーアが必死に何度も頭を深く下げていた。
「実はアイドルやるのを親に認めてもらえないまま家を飛び出してきたみたいで、うちで働くのを機にちゃんと話つけておきたいんだとさ」
今度はシスティに向かって土下座をするミーア。
「ミーアさん、やめてください。はぁ……そういう理由でしたら仕方ありません。何事もきちんと説明することは大事ですから」
そのセリフで、システィが父親からこの町のアイドル禁止令について何も話されていなかったことをかなり根に持っていると2人は察した。どうやら、あっという間にアムズガルドが以前のようにアイドルに寛容な町になったのは、システィが父親をそれはそれは丁寧に論破した背景でもあったのだろう。
「それで、エリオさんが戻ってくるのはいつなんですか?」
「あー……1ヶ月くらいかな、たぶん」
「1ヶ月……たぶん……?本気で言っていますか、それは」
システィが光線でも発射されそうなくらい強烈な眼光でハルトを睨みつける。
「いなくなる僕が言うのも変だけど、さすがに新しい人を雇った方がいいと思うんだよね……」
「私がこの町の商売を管理する商工会長の娘とわかっての発言ですよね?労働者へ過度な負担は禁則に値しますが」
「一応、アテがないわけではないんだが、まだ交渉中なんだ。ちょっと気難しい相手でさ」
「……ちゃんと動いているのなら、まぁ良しとしましょう。本当にお願いしますからね」
システィはやれやれとまたため息をついて首を左右に振る。
「しかし、変身前は本当に外見とその貫禄のギャップがすごいな」
「えぇ。最近はシスティとして売り出すのもありかと思ってます。きっと需要がありそうで」
その商売根性もさすが商工会長の娘といった感じだった。
「そういえば、セレナが通ってるアイドルスクールってどんな感じなんだ?」
明日の準備も終わった頃、ふと、ハルトがまだ店に残っているシスティにたずねた。ハルト自身、セレナが通うバルディアス・スクールをよく知っていない。
「王都にある学校ですから、勉強の質は十分過ぎるほどにあります。講師も揃っていますし、課外活動も充実してるとか」
「なるほど。それなら安心だ」
「セレナちゃんが通っている学校でバルディアス・スクールなの!?」
と、ミーアがすごく驚いた様子で会話に入ってきた。
「あぁ、そうだけど……なんかあるのか?」
「いや……何もないんだけど……さ。大丈夫かな……セレナちゃん」
「その言い草で何もないはおかしいぞ」
「えっと、あくまでも他のアイドルの子からの噂で聞いたんだけど、あの学校ってとてつもなく厳しい学校で講師たちもかなりのスパルタで、女の子たちが耐えられなくなって半年間の学校生活でびっくりするほど退学者が出るんだって」
「それは私も初耳です」
「普通、退学者は学校の情報に表示されないからね」
「で、退学者ってどれくらい出るんだ?」
「8割以上……って聞いたことがあるよ」
「たしか、入学は100人くらいだったよな。ということは、約20人しか卒業できないのか」
「いくらなんでも多すぎませんか……」
知らされた驚きの事実に困惑するハルトとシスティ。
「でも、勉強の質がいいのは本当だよ。あの学校を卒業してAランクまで上り詰めたアイドルもいるくらいだから」
「セレナなら乗り切ってくれるよ。あの子は、強いから」
「大丈夫です。だって、ちゃんとアイドルになっていないのに、この私とライブで張り合った子なんですから。卒業してもらわないと困ります」
「うん。僕もセレナちゃんなら大丈夫だと思ってる。きっとあっちで良い友達も見つけて、元気にやってるんじゃないかな」
遠く離れた場所、1人で頑張っている少女に、3人はそれぞれの想いを馳せる。そして、彼女が一回りも二周りも成長した姿で帰ってくる姿を信じて待つのであった。
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