第43話 嵐の前の小休止
「あれ?ここは……?」
ライラは目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。ベッドの上にいる自分と、隣で椅子に座ってこちらを見ているセレナの姿を確認する。
「保健室だよ。ライラが急に倒れたから心配しちゃった。でも、ここの専属医さんの話だと特に問題ないって。本当にすごいね、ライラは」
「そっかぁ。私、ゴールした途端、疲れて……って、何泣いてるの、セレナ?」
「だって、だって、私のせいで……」
汗と涙で顔がびっしょりと濡れたセレナは近くにあったタオルを掴み取り、ぐしゃぐしゃになった顔を隠す。
「もう……“セレナのせい”じゃなくて、“セレナのおかげ”でしょ?」
それに大げさなんだから、と苦笑いを浮かべるライラ。
「あれは『魔法』なの?」
ゴールへと向かう中でその答えに行き着いていたライラは問いかける。
「たぶん、そうだと思う。今まで一度も使えたことなんてなかったからわからないけど、私の知り合いの人も魔法が使えて、たしかこんな感じだったから……」
魔法は不思議な力を発揮するが、その力がどんなものかは人によって決まっている。セレナはアムズガルドでの事件後、ハルトやリズから事件のあらましと魔法についての説明を聞いていた。
そして、その説明を聞いたからこそ、あの時の現象が魔法によるものであることに思い至った。しかし、同時にひとつの謎に直面してしまった。
――あれって、ハルトさんの使う魔法と同じ……
急に足が速くなったライラ。その効力と全く同じ魔法をハルトが使えることはセレナも知っている。実際に使ったところを目撃したのは少しだけだが、魔法を発動する際に体の輪郭部分が青く光るのも同じだった。
しかし、2人から魔法の説明を受けた際、リズはこんなことを言っていた。
『同じ魔法を使える人はいない』と。魔法は基本的に一人一種類しか使えず、その魔法は他の誰とも被ったことはない。ただし、これはあくまで今までの調査結果に過ぎず、イレギュラーが発生する可能性はあるという。
それでも、そのイレギュラーに自分がなってしまったことにセレナはどこか不安を感じていた。そして、強力で不可思議な力を扱ってしまった自分が怖くなっていた。
「すごい!話には聞いたことあるけど、魔法って勇者みたいな選ばれた人たちしか使えないと思ってた!」
爛々と目を輝かせるライラ。
「えっ?そ、そうかな……」
「そうだよ!いいなぁ、魔法だなんて羨ましいよ」
「でも、あの時は偶然だったから、どうして魔法が使えたかはわからなくて……」
「じゃあ、自由に使えるわけじゃなくて、たまたまその力に目覚めた、みたいな感じ?」
「そう、なるのかな」
「そっか。それは残念だけど、まぁ、あの時使えただけでも良かったよね」
「う、うん。そうだね」
セレナは興味津々そうだったライラが一瞬浮かべた安堵の表情が気になった。セレナが魔法を使いこなせないと知った時に浮かべたその意味はなんだったのか。
「ところで、この後私たちはどうすればいいのかな?というか、夕ご飯は!?」
「だ、大丈夫。時間内にゴールしたから、時間は過ぎたけど、ちゃんと残してくれているみたいだから」
「ふぅ、それなら良かったぁ」
復路は自分を背負って走ったのだから、無理はないか。そう思い、食堂へ向かうためにライラの室内靴を準備するセレナ。足は治療を施したので、多少痛みはあるものの一人でもゆっくりなら歩けるようになっていた。
「よし!ご飯を食べに行くぞー!」
勢いよく立ち上がり、保健室を出るライラ。セレナは一旦その疑問は置いておくことにした。
「今日はお疲れさまでした。じゃあ、あなたたちの部屋はここね。2人の荷物と一通りの生活用品は置いてあるけど、何か足りなかったら寮の管理人さんに言ってくださいね」
「は、はい……」
空腹を満たすには十分過ぎるほどの夕食を校舎の食堂で済ませた2人は担任のマールに連れられ、離れにある寮へとやってきた。
「明日の予定はこの紙に書いてあるから読んでおくこと。朝食は時間厳守だから寝坊すると朝ごはん抜きになっちゃうから、早めにしっかり寝てくださいね」
「わかりました……」
「それでは、おやすみなさい」
一通りの説明をしたマールはその場を去っていく。残された2人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
「えっと……マール先生ってどっちが本当の性格なのかな?」
「今の方であることを切実に願いたいね……」
ゴール後も怖い表情で2人の結果を確認していたマールはいつの間にか午前中の優しい性格に戻っていたが、2人はいまだに困惑から抜けきれていない。
「考えても仕方ないし、とりあえず、入ろうか」
部屋は2人部屋にしてはやや広かった。
「なんで、2人部屋なのに二段ベッドが二つあるのかな?」
セレナはそこでふとした疑問が浮かんだ。
「2階まで使えるから、一部屋あたりの人数の割り振りが少なくなったんじゃないかな?」
寮内は2人の部屋がある1階だけで40部屋近くもあるため、100人を超える生徒数でも収容には何も問題ないようだった。
「良かった。ライラと同じ部屋になれて」
「一緒にゴールしたから、とかなのかな?あっ、でも、席が隣同士だったし、そっちが理由?」
「う~ん……どっちなんだろう?」
「まぁ、どっちでもいいよね!よし、お風呂に入ってさっさと寝よ!もう今日はさすがにクタクタ……」
「そうだね。私も、もう限界かな……」
先にお風呂に入るよう勧められたセレナは温かい浴槽で今日の汗と疲れを洗い流して、ふと思う。
――ライラって、明るくて元気な子だなぁ
今日だけで何度励まされたことか。しかも、自分のライブに勇気づけられてこの学校に入学したという。
――えへへ……私にもちゃんと出来ていたんだ、アイドルみたいなこと
自分が憧れていたアイドルに一歩近づけたことを噛みしめるセレナ。ふと水面に反射した、にやけてだらしなく開く自分の口元を見て、恥ずかしくなり顔の下半分を湯につけて隠すが、それでも顔は緩んだままだった。
――でも、ライラもきっと私と同じところがあるのかな……
会話のところどころで見せる憂いた表情や後ろ向きな言葉。ライラにも何か悩みや人に言えない想いがあるのだろうか。でも、きっとそういうところもあるから、人付き合いが少なくて苦手な自分でも不思議とすぐに仲良くなれたのかもしれない。セレナはそう前向きに考えることにした。
――明日からもっとライラや他のみんなと仲良くなって、一緒に卒業してアイドルになるんだ!
一つの決意を胸に抱きつつも、セレナはもう一つあることが気がかりになっていた。
――そういえば、一緒にお風呂に入って話したかったのに、ライラに断られちゃったなぁ。ミーアさんやリズさんは気軽に一緒に入ってくれたのに。ちょっと残念。
ライラはその提案をされた時、セレナの体をじっと見て、『なんだかそういうの恥ずかしいから』と少し後ずさりして断っていた。その後、『それに一日の最後に凹むのはつらいし……』と自分の胸の辺りを見て呟いたが、それはセレナには聞こえていなかったようだ。
風呂上がりのセレナを見たライラは『着痩せするタイプかぁ……』とため息を零して、そそくさとお風呂へ向かった。その背中はセレナを背負って走った時よりも不思議と小さく見えたという。
翌日。
「もしかして、昨日のマラソンで休んじゃったのかな?」
「う~ん、楽しい気持ちではじめたいけど、なんか複雑な気持ちだよ……」
朝食を済ませ、教室に集まるセレナたちと担任のマール。始業時間だが、数席の机には昨日いたはずの生徒の姿がなかった。
「はい、みなさん。今日から本格的にレッスンを始めますよ。まずは基礎的な歌やダンスのレッスンと、マナーや一般教養などの座学を中心に行っていきます」
マールは空席を一切気にすることなく説明を進める。
「先生。何人かいないですけど、あの子達はどうしたんですか?」
女生徒の一人が手を上げてマールにたずねる。
「今この教室にいない子たちは、昨日づけで退学しました。日没後にマラソンを終えた後に退学を申し出たり、何人かはマラソンから戻って来なかったり……」
退学。その事実を教室の誰もが薄々感じ取っていたが、いざ改めて聞くと一抹の不安がよぎり、教室内がざわめきだす。
「はい、静かにしてくださいね。あの子たちはあの子たち。みなさんはみなさんです。気持ちを切り替えて今日からのレッスンをしっかり頑張ってください」
「あの、退学する子たちを引き止めたりはしなかったんですか?」
どうやら、仲良くなった隣の子がいなくなっていたらしい女性とがなおも質問を続ける。
「仕方ありません。あのマラソン程度で根をあげていたら、この学校を卒業するなんて無理ですから」
その一言にざわめきが残っていた教室が一瞬にして静寂に包まれる。たしかに30数キロのマラソンは無理なことではないかもしれない。しかし、あの距離で普通にゴールできるのは、しっかり走る練習を積み重ねて、準備をした人だ。何の練習も準備もないそれなりに裕福な家庭の女子たちが走るには相当に過酷な長さだったはずである。それを踏まえて、“あの程度”ということは、これからのレッスンはどのくらい大変なのだろうか。生徒たちはそれを痛感して、声をあげる気持ちにもなれない。
「みなさんがこれから歩こうとしている道は、そんなに簡単な道じゃありません。もちろん、私たちはその道をしっかり歩いていけるようサポートはしますからね」
微笑むマール。しかし、その慈愛に満ちたような笑顔を見ても教室内の誰一人として安堵することはできなかった。
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