第44話 アイドルと世界

「はい。今週も一日頑張って……あら、みなさん、お疲れのようですね」

 入学から2週間。朝の教室内は重い空気で包まれていた。生徒たちは一様に疲れた表情で、中には目の下にくまができている者、足に湿布を貼っている者、時折無意識に言葉を呟く者などがいて、満身創痍、いや、死屍累々に近いような異性には見せられない状況になっていた。

 セレナも寝不足がたたって落ちそうになるまぶたをこすりながら、必死に前方を見ている。一方のライラは体力的には問題ないものの、覚えることの多さから毎日頭の中がショート寸前な状態である。


 この2週間、ひたすら基礎的なステップ練習と発声練習を繰り返し、座学では国の法律や貴族のマナー、各地の伝統行事や地理、魔王侵略前から世界の歴史や政治について勉強していた。歌って踊るレッスンは一度もなく、繰り返される基本練習と厳しい指導。そして、日々積み重なっていく課題の数々に彼女たちは心が折られそうになっていた。


「それじゃあ、授業を始めますよ。皆さん、しゃきっとしてくださいね」

 朝のホームルームを終え、マールが教室を去っていく。マールは体力づくりのための筋トレや運動を担当しているが、やはり、レッスンになると途端に男勝りな性格へ変わるため、生徒たちからはすでに畏怖の眼差しを送られている。


「えっと、最初の座学はなんだっけ?勉強が苦手な私にはどれも変わらず苦痛でしかないけどね……」

 早くも机に突っ伏しているライラがため息混じりに弱音を吐く。

「まぁまぁ、そんなこと言わないでがんばって。今日は世界史からだよ」

 セレナが横からライラの肩を優しく叩き、起き上がるように促す。仕方なく起き上がるライラの動きと同時に担当の先生が入室してきた。


「おっ、今日は見事に疲れきった顔をしてるな。かわいい顔もこりゃ台無しだ」

 世界史と政治担当のブライアンは46歳。この学校の教師の中では学校長も含めて最高齢。女性だろうとお構いなしの失礼な発言を連発し、多くの女子からは非難の視線を浴びているが、本人は全く気にしていない。

「この前は魔王討伐までの歴史を話したわけだが……」



 この王都グランディアがあるオーランドをはじめとする世界の国々は、8年前から5年間、魔人と魔獣、そして、魔王を相手に一致団結して戦ってきていた。しかし、それ以前は互いの国同士が資源や土地を巡って争っていた過去がある。血で血を争う戦いで各国では戦争に赴いた兵士や多くの一般市民などたくさんの死者が出ていた。

 ところが、戦争は20年ほど前に、武器を作るための資源の急速な減少と争いによって耕作地が荒らされたことによる食料不足によって唐突に終わりを迎えた。それは戦争に勝利して手に入れるものを、戦争によって失ってしまうという皮肉な結果だった。

 その後、世界は争いを止め、武器製造を中止し、相互不干渉による表向きの安寧の時代へと入った。だが、突如として現れた魔王の存在が再び世界を揺るがした。


「まさか、平和にするための策がこんな形で裏目に出るとはどの国のお偉いさんも思いもしなかったわけだ」


 武器がほとんど枯渇した世界各国にとって、人知を超えた『魔法』を使う魔人や凶暴な魔獣たちとの戦いは厳しすぎるものだった。小国は国をまるごと奪われてしまい、中には魔王側に寝返る国も現れた。しかし、その圧倒的不利な状況を覆したのが、魔人と同じように魔法を扱える『勇者』たちの登場だった。


「勇者たちは魔人たち以上に魔法の力が強かった。研究によると魔法は草木や大気などの環境に依存しているらしくて、勇者たちはこのの環境に元から馴染んでいるアドバンテージがあったかららしいんだが、それは要するにあいつらが……まぁ、ここから先は小難しいな話になるし、知る必要もないからやめとくか」


 魔王たちが何だったのか、それを知るものはいない。結局のところ、世界を救った勇者たちでさえ、終ぞ魔王からその正体と目的を聞き出すことができないままだったのだから。



「さて、それで今日話す内容は、お前らが目指しているアイドルの『歴史』だ」

「でも、アイドルって3年前くらいに生まれたものですよね?だったら、そんなに学ぶことって少ないんじゃ……」

 一人の生徒の発言に、ブライアンはため息とつき、やれやれと腕を動かす素振りをする。

「だから、流行乗りのミーハーは嫌いなんだよな、オレ。自分がなりたいものくらいもう少し勉強してほしいもんだが……ここは学校だからな。今日は君たち未来輝かしい乙女たちの“偽りのない素顔”が見れたことだし、特別に教えよう」

 これまたたっぷりの皮肉を込めて女子たちの機嫌を悪化させたブライアンは毛ほども気にせず、話を続ける。

「実はアイドルって名前は3年前くらいについた名称だが、それの由来とも言われているようなことをしていた女性たちは国同士が戦争をしていた頃、つまり、20年以上前からあったんだよ」



 男は戦う者、女は守られる者という意識が世界中にあった戦争の時代、各国の王族は男たちを鼓舞するために女性たちに舞を踊らせていた。その艶やかと美しさは『女なんて……』と女性を見下していた男たちにとって、とても衝撃的なものだったという。

 その後、戦争は終わったが、資源と食料の減少による窮乏で人々は苦しい生活を送っていた。そこに現れたのが独特の装束を身に纏い、自然を司る神の使いや土地に眠る先祖たちの霊を宿した写し身と称して、華麗に歌い踊る少女たちだった。はじめは訝しげに見ていた人たちも少女たちの説得と舞から垣間見える神々しさに心を開きはじめた。それと同時に、各地で荒れた土地が蘇り、作物がよく育つようになり、枯渇していたはずの資源が再び発掘されるという不思議な現象が起こり始めた。


「これは戦争の最後の方でちょこっと兵士をやっていた俺も経験した列記とした事実だ。あの子達、本当にきれいだったなぁ……」

「先生。思い出に耽ってないで話を続けてください」

「なんだよ、お前らはいつも連れないなぁ。それと、オレが兵士として戦っていたことは誰も気にしないんだな。なんか寂しい」

「いいから、さっさとお願いします」

 真剣にブライアンの話を聞いていた目つきの鋭い女生徒が、顔にピッタリな厳しい口調で講義の続きを促す。

「わかった、わかった」

 どこか渋々とした表情で説明が再開される。


 元々、世界を創造したという女神を崇拝をしていた国々では彼女たちを崇めるようになり、その存在が大きくなっていった。オーランドのような無宗教の国でも土地神や精霊の信仰があった地域では、その存在が認められていった。そして、8年前、魔王侵攻の時、新たな動きが起きた。


「あっ、それ聞いたことある気がする。不思議な力を持った女の子たちが魔人の侵略を食い止めたって話だよね?」

 教室後方にいる長髪の女子が声をあげる。

「お前、タメ口はないだろう。なんのためにマナーや礼儀作法の勉強をしてるんだよ」

「大丈夫。他の大人にはちゃんと丁寧に喋ってるから」

「……納得いかないが、まぁ良しとしよう。じゃあ、話を続けるぞ」


 不思議な力を持った少女たちの話は世界各地であったという。その後、勇者たちが登場し、その中には多くの女性の姿もあったため、これまでの出来事も相まって、女性=守られるだけのか弱い存在というイメージはほとんど払拭された。それでも、古くから続く貴族などの家系では習慣は変わらないし、一部の国を除いて堂々と女性を立てる文化は根付いていない。歴史というものは唐突に変わるものあれば、長い年月を経ても変わらないものある。


「やっぱり、男が前に出てがんばる、みたいな長年続いた男のつまらない意地やプライドは早々に消えたりしないものってことだ。これはもうちょっと我慢してくれ」


 そして、平和になった世界で、人々は娯楽と興奮を求め、それに答えるようにして、“アイドル”が誕生した。ほとんどの人たちがアイドルを“見世物”のようなものとして考えているが、これまでの歴史の中でそういった女性たちを見てきた一部の人たちはアイドルを宗教などでの崇拝の対象である“偶像”として見るようになった。事実、高ランクアイドルの中にはそのように神聖視されている者もいるし、領主のような権力者と同等の発言力を持つ者もいるという。


 

「とまぁ、ここ数年人気が出てきたアイドルは、実はそれなりに深い歴史を持っていて、ずいぶん前から世界中に根付いていたわけだ。まぁ、今のアイドルと昔の偶像アイドルから生まれたものかどうかは明確にはわかっていないがな」

 ブライアンの長い説明を生徒たちは知らず知らずのうちに興味津々に聞いていたようで、勉強が苦手だと言っていたライラも真面目に講義を受けていた。

「つまり、私たちはなんかすごい存在になることを目指していたってこと……?」

 ライラはあまりのスケールの大きさに驚きを隠せないようだ。

「いや、そこまで肩肘張らなくいいぞ。最後に話した例はあくまでほんの一部で、基本的にはアイドルってのはお前らが想像して目指しているもので合ってるから」

「あはは……ふぅ、それなら安心、安心……」


 ――でも、やっぱり高ランクのアイドルの人たちって、それっぽい雰囲気があるかも。


 セレナはしばらく前に行動を共にしたオリビアのことを思い出す。Aランクである彼女はリズと話すときこそ少し柔らかい感じを見せているものの、それ以外はどことなく近寄りがたい、どこか神秘的なイメージがある。性格による部分もあるかもしれないが、システィもアイドル・アスティナとしての一面を見せるときはカリスマ性があるように見える。


――私もああいう風になれるのかな?


 とは言っても、自分にああいう雰囲気は合わないかな、とセレナは誰にも気づかれないようにこっそりと苦笑する。


「というわけで、この歴史をお前らがどう考えて解釈するかは自由だが、あまり深く考えすぎないことだ。歴史はあくまでも過去のこと。もちろん、今に生かすのは大事だし、大きな手助けになることもある。けど、未来を作るのは若いお前たちだ。あまり過去に縛られすぎずに、のびのびやってくれ。それくらいの前向きな気持ちが純真無垢なお前たちが明るい世界を作るためにはちょうどいいさ」

 終業の鐘がなり、教材をまとめたブライアンが教室を出ようとすると、

「うわ、なんか先生がかっこいい言葉で締めようとしてる」

「ちょっとかっこつけすぎじゃない?」

「合わない。すっごく合わない」

 鐘の音に混じって、生徒たちの口々から今日の感想が聞こえてくる。


「あのさ、わかってるから、せめてオレが出て行った後にそういう話をしてくれ」

 そんな言葉を残して、ブライアンは少し寂しそうに教室を後にした。

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