第36話 幕間 呼び起こされる記憶

 ステージの後方。街の北側近くにある憩いの場は珍しく、他の人の気配が全くなかった。セレナはハルトの後ろを歩き、この場所へやってきた。

「あれ、リズさんに、オリビアさん。それに…」

「はじめまして。私はイリスと申します。アイシーラ聖教皇国の元勇者です。彼とは昔からの知り合いでして」

 そこには、ハルトたちより先に、リズ、オリビア、イリス、3人の姿があった。

「はじめまして。セレナです。ところで、皆さんはなぜここに…?ハルトさんのお話に関係があるってことなんですか?」

「まぁ、話といってもたいしたことじゃないんだ」

 それにしては、4人とも真剣な表情を崩さない。それに、リズは今まで見たことない杖と、縦長のケースを持っているし、オリビアもイリスもなぜか武装していた。会場の警備にでもあたっていたのだろうかとセレナは考える。

「本当にいいの?止めるなら今のうちだけど」

 オリビアが小さい声でハルトに問いかける。

「頼む」

 ハルトが短くそう答えると、オリビアは両手のひらを前に突き出し重ねて、

「時よ、凍れ」

 そう唱えた。

「えっ…?」

 すると、セレナの周囲が漆黒の光に包まれる。光は直方体の形となり、箱に閉じ込めるようにその体を囲い込む。わずかに透けて見える箱の中ではセレナが驚きの表情のまま固まっている。

「これで彼女の時間は止まったけど」

「次は私ですね」

 続いて、イリスが背中に携えた鞘から一本の太刀を抜く。それを地面に突き刺すと、

「断絶!」

 そう叫んだ。太刀が刺さった場所から四方八方に赤い光が伸びていき、直径30mの巨大な円ができる。出来上がった円の円周から空に向かってさらに光が伸びると、パンッと音がなる。すると、風の音や遠くから聞こえる人の声が一切なくなった。さらに、周囲の木々やベンチがすっと姿を消し、円の中には4人とセレナが入った黒い箱だけが残る。


「これで、セレナの時間が止まって、この空間は周りと完全にシャットアウトされたわけだよね。いやー、本当に2人ともおそろしい魔法を使うよね」

 オリビアの魔法『凍結』により、セレナの動きが完全に止まった。また、イリスが使う、形のないものを切ることができる魔法『切断』により、この空間は外の世界から『互いに絶対に影響し合わない』ように切り落とされた。

「そういうあなたの魔法も恐ろしいと思います」

「私も同感なんだけど」

「ですよねー。自分でもそう思うよ」

 リズは黒い箱に向かって手のひらを突き出した形で両手を伸ばす。つい先ほどまでへらへらと笑っていたのが嘘のように、今までで一番真剣な表情へと変わる。

「じゃあ、行くよ。失敗したら冗談抜きで大変なことになるから。皆、全力でお願いね」

「あぁ、もちろんだ」

 ハルトの呼応に合わせて、オリビアとイリスも頷く。そして、オリビアは腰から一本の細剣を抜き、左手に構える。

 一方、ハルトはリズが魔法発動のため地面に置いたケースを開き、中から土色の弓と矢を取り出して背負う。両手には刃渡り十数センチほどの短刀を持つ。

「コール・メモリー!」

 リズが叫ぶと、両手から放たれた純白の光が黒い箱に直撃する。すると、徐々に黒い箱から同じ色の真っ黒な靄のようなものが上空へと噴き出す。

「さて、久しぶりの勇者の仕事か」


 黒い靄はその姿を変えていく。それは御伽噺に出てくるようなドラゴンの姿。上半身だけしかないものの、巨大な双翼と凶悪な鉤爪、恐ろしく獰猛な牙があるのが見て取れる。

「初めて見たんですけど、リズたちは本当にあんなのと戦ったの?」

「3年前はもっとデカくて、魔力も尋常じゃなかったけどね。あれはあくまで思い出だから。…本人が覚えてなくて助かったよ」

「しかし、ハルトが言ったことは本当だったんですね。リズの魔法で“これ”が出てくるということは…」

「あぁ。それに嫌ってくらいセレナから感じるよ。3年前にあの城で体の芯から味わったこの脅威的な魔力の感覚を」

 4人は一様に、眼前で叫び、暴れ狂う巨竜をにらみつける。 



「間違いない。セレナは、3年前に俺たちが倒したはずの、魔王だ」



 リズの魔法は『再生』である。対象の記憶を引き金に、その時の状態を呼び起こすというもの。発動するとケガを負った人物を全快させたり、損壊してしまった物を元に戻すことができる。ただし、その者の記憶がない、思い出したくないという強い意志があると効果はない。さらに、老衰や年月の経過による破損を元に戻すことはできない。また、強力な魔力を持つ者に抵抗されると、効果が弱まってしまう。主に事故やや事件によって発生してしまった事象を解決するために使う魔法である。


「ということは、3年前に倒したはずの魔王が生きていて、本当の記憶を失い、可憐な一人の少女と生き延びていた」

「ざっくり言うと、そういうことになる」

「それって、ただのあなた方の大失態のように聞こえるんですけど」

 オリビアの容赦ない指摘にハルトは苦笑いする。

「まぁ、そうかもしれないが、あの魔王、全ての魔法を使えるかもしれないんだ」

「全ての?」

 人間や魔人が使用できる魔法はどういう理屈なのか不明だが、一人につき一種類しかない。しかし、魔王はハルトたちとの戦いの中で複数の魔法を使用してきた。それでも倒せたのは、魔王が常に他の魔法を発動していたためなのか、疲労した状態で戦うことが出来たからだった。

「確かに命を奪ったはずだった。死んだところも確認した。だけど、生きていたんだ」

「魔力感知能力に長けてない私でも押しつぶされそうなくらい感じるこの重圧。忘れたくても、忘れられないよ。体が覚えちゃってる」


 ただし、ここで疑問が生まれる。それではセレナは一体何者なのか。エリオ(クラル)の記憶が捏造されている可能性は、セレナたちがアロウズに下宿することになった際、こっそりとエリオの記憶を呼び起こして確認していたため、ありえなかった。

 つまり、一番可能性が高いのは、セレナの村が襲われた際、クラルが姉妹から離れた後に入れ替わった可能性である。

 また、これまでハルトがセレナの正体に気づけなかったのは、記憶とともに失ったのか、セレナからあの時のような全く魔力を感知できなかったからである。

「でも、それならなんで、ハルトはあの子が魔王かもしれないと疑ったの?そもそも、3年前は討伐したって思っていたんだよね?誰一人疑うこともなくさ」

「それは…」

 

 すると、ドラゴンが轟音ともいえる叫び声をあげる。その声による強力な振動がハルトたちの体に伝わっている。

「昔話はまた後にとっておきましょう。今はこの魔王もどきをどうにかしないと。これをなんとかすれば、とりあえず、彼女は元に戻るんでしょう?」

 イリスが両手で太刀を握り、戦闘態勢に入る。


 セレナの体には数日前、魔王の力が復活するような兆候がひそかに現れていた。ライブ中に起きたセレナの体の異常が顕著な証拠である。

 あの時は元々のセレナの状態をリズの魔法によって呼び戻したため、その場しのぎに成功したが、このままだといつかまた兆候が現れ、最悪の場合、大勢にこの事実がばれてしまい、再び魔王討伐の事態が、世界を揺るがす恐怖の物語が蘇ってしまう。

「だから、この半覚醒みたいな状況であえて力を呼び起こして、確実に封印するんだ」

「たしかに私とオリビアさんの魔法を組み合わせれば、これを封印することも可能ですが…」

「だったら、ここでこの子を殺した方が早いけど?」

 イリスとオリビアはハルトの考えが実現できることと、より確実に魔王の脅威を消すことができる事実をそれぞれ告げる。


「すまん。俺には出来ない。そして、セレナを誰にも殺させることなんてさせたくないんだ。だって、苦しんでいる女の子一人助けられないのに、勇者を名乗るだなんておかしいだろ?」

「世界が再び恐怖に変わる可能性を残してでも、かわいい女の子を救う。それが世界を救った勇者の選択なんですね」

「なんとも自己満足たっぷりで男丸出しの浅はかな考えだけど」

 そう言うと、イリスとオリビアはドラゴンに向かって走り出す。それに反応したドラゴンが紅蓮の業火を巨大な口から勢いよく吐き出す。2人は左右に分かれて、それを避け、さらに迫っていく。


「「はぁあっ!!」」


 2人は跳躍し、ドラゴンの丸太のような両腕にそれぞれ剣を振るう。両腕は胴体から切り離され、ずるりと落下し、地面に落下する前に靄となって消えていく。ドラゴンが今度は切断された痛みから、再び大きな叫び声を上げ、苦しみ悶える。地面や上空、あらゆる方向に灼熱の息吹を暴れるように吹きかける。


「でも、同じ勇者として、その意見には同意します。私も何もせずに命を見捨てることだけはしたくありません」

「うん。そういう考え、私も結構嫌いじゃない。それに、私たちならちゃんと封印することくらい余裕で出来るから」

 ドラゴンの腕を切り落とした2人は竜の息吹をかわしつつ、ドラゴンの体を剣で何度も切りつけていく。


「ワタシは元々賛成していたからね。でも、魔法でセレナの記憶を取り戻せたかもしれないからってワタシを呼んだのに、ここまで引き伸ばしにしていたハルトのチキンっぷりには後できついお仕置きが必要だねー。まぁ、本当に記憶を失っていたみたいだから、私の魔法でもどうにも出来なかったんだけどさ」

「それもすまなかった。で、いかほどのもので?」

「あの2人と皇女様、姉妹とミーアと、それにシスティも入れた皆とそれぞれデートっていうのはどう?いやー、ハルトが曲者揃いの乙女たちをどういう風にエスコートするのか、見物だよねー。ま、一人は実質、男だけどさ」

「俺、本当にそういうの苦手なんだよ…」

「ごめんね。人の嫌がる顔を見るの、ワタシ大好きだからっ」

 リズは思わず顔面を殴りたくなるくらいの清々しい満面の笑顔を見せる。

「畜生め…」

 すると、リズは両手をハルトの背中に押し当てる。

「さぁ、そうと決まれば、ここからはハルトの出番だよー。フルパワーモードで戦わせてあげるから、おいしいとこ、あの2人から取っていっちゃいなよ」

 リズの両手が光ると同時に、ハルトの体内に不思議な力が満ち溢れてくる。これまでの戦いで消費した魔力が、その思い出と共に蘇る。

 

「じゃあ、魔王を倒してくる」

 ハルトを蒼い光が包み込む。正面に聳えるドラゴンに狙いを定め、歴戦の勇者が攻撃の構えをとる。

「疾風迅雷!!」

 目にも留まらぬ速さでドラゴンとの距離を一瞬でゼロにする。



 元勇者は世界を救ったその加速の力を、一人の少女の未来のために、今ひとたび振るうでのあった。

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